【任侠】藤(富司)純子【ヒロイン】
父親の東映プロデューサー俊藤浩滋のお陰で女優として大輪の花を咲かせただけで、同年代の吉永小百合同様に演技力があるとは言えない雰囲気がある。
吉永小百合とは違うのは主演の座を早々と譲って若手女優を支える燻し銀な女優になった事かな とても簡単な在宅ワーク儲かる方法
暇な人は見てみるといいかもしれません
いいことありますよーに『金持ちになる方法 羽山のサユレイザ』とはなんですかね
WDQ BSで緋牡丹博徒の第一作をやっていたね
富司純子にムラムラした
ちょうど息子くらいの年齢だけど 息子が富司純子と同じくらいならおまえはいったいいくつなんだ 任侠映画ブームは東映を中心に1960年代から70年代初頭だから、当時のファンは今60代以上だよな
藤純子の任侠映画はソフト化されてない物も多いから語れと言うのは無理だよな >>602
1年近く前の無知なレスにナンだが
主演したシリーズは全作ソフト出てるんだが 緋牡丹博徒は作品的にみても、なかなか質が高かったですよね。
あれはやっぱり女性が主人公だったからなのかもしれないな。
任侠映画というのはいわばラストの斬り込みによるカタルシスが
最大の見せ場なわけで、だとするなら当然女性の主人公では
男性に比べて(とりわけ高倉健のような忍従とそれからの解放に
爆発的なエネルギーの奔出を期待できる俳優に比べて)迫力不足は
否めない。そこでラストに至るまでの過程を丹念に、緊密に構成
することで補おうとした結果が、作品的な質を高めた ただ、闇に流れでる色彩になりきることにいっさいを賭けているかのようだ。
もちろん、その色彩とは、刻々彩度を変えてゆく緋色にはかならず、闇とは、『明治侠客伝 三代目襲名』と
『博変打ち・総長賭博』とを頂点に持ち、上はマキノ雅弘から下は石井輝男にいたるまで拡がっている巨大な虚構としての
仁侠の世界なのだが、いまや、あの藤純子という女は、個々の作品の枠を身軽にすり抜けながら常に同じ微笑を微笑み続け、まばゆいまでに鮮明な輪郭のうちにおさまっておりながら、
その花弁に触れられることをあくまで拒み、散ってゆく瞬間を永遠の未来におしやっているかと思えるので、一瞬、精緻な造花かと見まごうばかりなのだ。
(蓮實重彦)