渋谷実とのことで、1964年に小津安二郎が野田高梧と原案を練っていて死んでしまった脚本『大根と人参』を映画化する件が非常に面白い。
渋谷が映画の準備に入ったとき、ある日築地の松竹会館の社長室に渋谷が呼ばれて入った。すると城戸四郎は、
「おっ、渋谷君、まだ生きていたのかね」すると渋谷は、
「墓場に近いのはぼくより城戸さんでしょう」と切り返したそうだ。
城戸四郎は、前作の『モンローのような女』がひどかったので、渋谷を首にしたかったのだが、契約が1本あったので、仕方なく製作を認めたのである。
印象の薄い映画で、この直後彼は松竹を解雇される
渋谷実が好きで、しかしその割に彼の評価が低いのはなぜか疑問に思っていた。
それは渋谷が大変に非社交的で、子分も作らず、親分風も吹かせず、また助監督以下のスタッフの面倒を見る、
と言った世俗的なことを一切しなかったことも理由