笠原和夫
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それにしても自分の番組なんだから、舛田利雄が出る事くらい知らなかったのか?>浅草キッド
構成台本か香盤表に名前なかったのか? 妄想だが舛田が隠居で「水戸黄門ごっこ」してたのかもなあ。
倅はCXでドラマのDだった筈。
そういえば「浅ヤン」自体に中華シェフでそういう企画もあったなあ。 浅草キッドは師匠が笠原を小馬鹿にした発言(>>246)をどう思っているんだろ?
笠原は正面切った批判でたけしを小馬鹿にしていた訳ではないのに。 どうというほどの感想は無いよ。
たけしの発言なら何でも支持だろう。
アサヤンの件は全部やらせで
水道橋が一人目立とうとしていると推測。
この話、舛田スレですれば? 舛田が「死ぬときは脚本家・笠原和夫ではなく、元帝国海軍二等兵曹・笠原和夫だ」と笠原が言っていたと回想してた。
恐らく笠原の本音だったと思われるが、この感覚はちょっと自分にはわからないな。 軍隊にいってない舛田の対して優越感を示したかったような気も。 同じようなことは舛田に対してじゃなくても著書の中とかで
書いてるじゃん 伊丹十三の映画を批判していたね>笠原
「ディティールばかり凝ってドラマがない」と言っていた
実録路線は仁義シリーズ以外だと
『県警』と『やくざの墓場』の2本だけなんだよね。
もっとやって欲しかったけれど
共産党の企画や浪人街リメイク等、実現しなかったものに
エネルギーを割いていた事は、ファンとしては残念だ。
>実現しなかったものに
エネルギーを割いていた事は、ファンとしては残念だ。
は?
結果として実現しなかっただけだろ。
誰だって映画化するために企画するんだから。
実録共産党はシナリオだって残ってる。 いまさら「実録共産党」を映画化することに意味があるとは思えないし、客も集まらないだろう。
大森ギャング事件とリンチ事件を中心に暴力活劇としてやるなら、面白くなるかもしれないが、共産党の名は外さないとな。 外しても、ありとあらゆる妨害があって、
東映以外では製作は無理だろう。 今の東映なら、なおさら無理だ。
今度の土曜からは渋谷で、笠原脚本作品だけ見てくる。 先日テレ東で放送されていた肉体の門を見た
脚本は悪くないと思うけどやっぱり五社監督は駄目だわ
全体的に出来の悪いコントみたいだった 「肉体の門」は題材が監督にあってないよ。
役者はかなりマッチした人を揃えてるんだけど。
極妻、吉原炎上と日下部、五社のコンビ、
かたせや名取で当ててきたから、
スタンダードをやってみたいってのも分かるけど。
笠原とやるなら、極道者でやって欲しかった。 今チャンネルネコでオーディーンやっとるが
いきなり人類の海軍さんの歴史から始まって
笠原節全開なんだな
しかしラウドネスの主題歌がカッコよすぎww >>157-158
三上真一郎の演じた組長は、本当に在日ヤクザだったのかな?
笠原氏の指摘だけど
貧乏の問題、ゼニカネが犯罪の動機なのは、戦争直後から高度経済成長期まで
愉快犯や異常者の犯罪でなく、ヤクザという職業的犯罪者を描く以上、
当然ではないかと 今更ながら、>154が指摘してることの、何がまずいのか一切分からない。
>154は映研の子かなんか? >>293
いや、まじなんだが。
繰り返しが駄目なの?
原因の一端に貧困が見えるところがマンネリでショボイって事?
>>293
繰り返しじゃなく、オウム返しだったね。
そのオウム返しが多いことと、原因の一端に貧困が見えるところの何が悪いの?
>>295
たぶん、
娯楽作品として、もうちっと目新しい展開やアイディア出せ
とか言いたいんじゃね?
そんなこと言われても、戦後の高度成長期までの時代背景、しかも現役金持ちの息子が、ヤクザやるわけないじゃん
それに、この映画はヤクザ映画であって、サイコ映画じゃないから、快楽殺人鬼なぞ登場されるわけがないだろ
要するに、ワンパターンで、動機が万事金ばかり、というのは、
笠原氏の想像力の貧困が原因と>>293 は考えテルっぽい 二年位前にスカパーで「黒い雨にうたれて」なるアニメを観たが
はだしのゲンの原作者が笠原仁義にインスパイアされたんだな
主人公の名前が「ショウゾウ」で「西条」秀樹が声優出演
もちろんヤクザ「笠原組!」に使いされにされる原爆遺児話が満載
思えばはだしのゲン自体が仁義をトレースしてたりもするな 仁義なき戦いは、ヤクザ映画こえた普遍性もってるから >仁義なき戦いは、ヤクザ映画こえた普遍性もってるから
ジャンルが違うだろう
実録(リアリズム派)と美学(ロマン派)
俺は、「美学」の方が好きだけどね >>299
それ以前に中沢啓治は(現実の)広島ヤクザ抗争の間近に居たわけでしょ。
チンピラヤクザとの喧嘩もしょっちゅうで、当時住んでたアパートの近くに
あったキャバレー“パレス”でのダイナマイト爆発事件なども目にしていた
らしいし。(「はだしのゲン自伝」より)
>>303
中沢は原爆症の殺し屋の漫画も書いてるよ。 調べてみると、連載開始と映画公開が同じ年(1973)だね。
飯干の原作連載が前の年。美能の手記が1965だ。 映画共産党、是非実現して欲しかった....
丹波哲郎が宮本顕二でもやっていたのだろうか 宮本がまだ青年だった時代の共産党の話だよ。丹波は有り得ない。 笠原さんは若い頃背は高いし男前なんだよな
東映ニューフェースに受かって会社に潜り込んだってのも凄い話だ
普通逆だろ三船みたいにさあ 高倉健と並んでる写真見たら、以上とは言わないが高倉並に格好いいからな。 櫻の園のPに「この映画は山谷の労働者は観ないね」といったら観てもらおうと
思ってないと言われてショック受けたと書いてたけど、あの時代に山谷の労働者
を持ち出すんだがらズレてる人だよね。 ヤクザ映画のPが「この映画は田園調布の有閑マダムは観ないね」と言われたら
観てもらおうと思ってないと答えるんじゃないか? たけしの映画への批判なんかも相当ズレてると思ったよ。 あれは、最近はたけしの映画みたいなのも流行ってるけど、
俺はこう脚本を書いているんだっていうだけの内容なのに、
どういうわけだかたけし映画批判として出してる。
かなり直情的な人なんだろう。ワイズ本読んでもそれが分かる。
なんかある人じゃないとあれほど脚本を書き続けられないんじゃないかな。
深作の仁義監督に反対したんだから、もうその頃からズレてると言えばズレてる。
でも、劇場で大ウケしているのを見て、自分の考えが間違っていたのを素直に認めているのが凄いと思う。
それ以後は笠原、深作、お互いが刺激しあって、日本映画史に残る傑作シリーズが生まれた。 自分でも80年代後半ぐらいから受けなくなってきてるのを認めてるじゃん。
半分はプロデューサーのせいにしてるけどw >>313
つか、原作が少女漫画の映画に、山谷の労働者は観ないよねってw
本当に>>314の言ってる例と同じ事だよな。
が、老いたりとはいえ、いくらなんでもそこまで理解力が無いとも思えんし、
「俺はこんなブルーカラーが理解できないような映画は好かん」って、
Pに嫌味を言いたかっただけじゃないの?ショックを受けたってのは嘘だよ嘘。
最初から向こうが、そんな客層を求めてないって分かった上で、ワザと言ってるって。 自分とはまるで縁のない映画だったのに、
それなりにいい映画だと思ったから悔しかったんじゃないだろうか。 つい最近、総長賭博をDVDで観た若僧だけど、やっぱコレ、凄いっすね。
ドラマってやっぱり人間関係だけと思うけど、ヤクザ映画の場合、それが剥き出しで、
特にこれは、人と人の間に発生する喜怒哀楽のみで話が進行してくから、
1秒たりとも目が離せなかった。
笠原さんはテンポが遅いって不満だったみたいだけど、話に余計な贅肉がなくて、
凄く早いと思ったけどなあ。
同じくこないだ観た植木等の無責任シリーズと同じでw あと、この親子だの兄弟だので、情念ドロドロの愛憎劇と殺し合いが展開していって、
結局みんな死んでゆく宿命っていう展開、ガキの頃どっかで見て熱狂した覚えがあるぞ・・・と、
考えていたら「そうだ!これは北斗の拳だ!」と思ったw
男たちだけでなく、女性像もなんか似てる。
要するに原作者の武論尊は、ヤクザ映画好きなんだろうな。 >>321
笠原+山下だと「女渡世人おたの申します」が一番だと思う。
笠原の言う山下のちょっとテンポ遅いところが、女主人公に良く合う。 「あの夏いちばんしずかな海」に対する笠原の批判は、
つげ義春の漫画に、友情努力勝利が無いじゃないかって批判するようなもの。
まあ、映画はやくざなりを読むと、頭が冷えた後は、的外れだったって
気がついたみたいだけど。 個人的に北野映画は全く面白いと思わないので、こんなの絵葉書
じゃないかという笠原さんの批判はよくわかる。 そういうのとは違って笠原さんのは半ば嫉妬だと思う。
桑田や村上龍の映画には何も言わなかったが、
たけしの映画にはわざわざ筆を握った。
映画として成立しているからこそ書く必要があると思ったのだろう。
自分のことはまったく必要としてない映画が成立している。
それが許せなかった。自分の仕事に否定にも近い映画だった。
>>322
武論尊は現在池上遼一と組んで書いてる三国志マンガ「LORD」でも極道モノのノリで
三国志を書いてますからかなーりヤクザ映画も好きなんじゃないかと。
「女渡世人・おたの申します」を観てみたいんだけど、DVDになってない?
まあビデオでも別にいいんだけど、レンタル店に置いてありますか? 晩年のコメントを読むと、ちょっと被害妄想気味になってたなって思う。
確かに北野映画みたいなものも出てきたが、この人のように、万人に向けたエンターティメントの
骨法を踏まえた作品もたくさんあったし、それを支持する人もたくさんいたのに、
「若い人は狭い部屋でゴチョゴチョやってるような作品ばかりしか創れない」
「自分はもう古臭い、観客もそういうのを求めてるんだろう」
とか言ってたけど、悲観的に過ぎるなと。
ただ後継者は、映画界よりも、漫画やテレビドラマの世界に多いかも、とは思う。
(といっても、映画界にだって皆無というわけじゃないと思う)
笠原さんは、黄金期の少年ジャンプか漫画ゴラクを読めば良かったんだよw
さすれば日本はまだ安心だ!自分はまだ不要な存在では無いと思ったに違いない。 笠原「今の若い人は、そういうアヤというものをほとんど考えないでしょ。
ひとつの筋書きの中で、逆転だとか、人間的な意外性を出すという
職人的なうまさがね……」
この手のコメントも、そりゃ笠原氏ほど上手いアヤ作りの名人は滅多にいないだろうが、
このやり方が主流から外れていたとは、どうしても思えないんだよな。 オタキング岡田が、岡崎京子の漫画を評して、
「カッコいい男女が出てきて、その人たちが性倒錯者で、お洒落なファッションや
生活していて、こんなのが現代のリアルとかやられたら、
俺たちオタクの出る幕がないじゃんと憎しみを覚えた」
など言ってたのを思い出した。
>>330の言ってるとおり、櫻の園やあの夏〜が、映画界の主流とは
思わんし、笠原さんの最近の若いもんは〜は、杞憂だったと
思うけどね。 出てから大分経つからなァそろそろ本屋の店頭からも消えるころ 自著で、海軍の兵士であったことをしきりにアピールしてるけど、
正式任官したのは、戦争が終わった9月で、実際は国内で3ヶ月
見習いとして訓練受けただけなのな。
他にも自分が無頼であったかのような、カッコつけたような発言が
多々あるけど、これって、よくいる「昔は俺も悪かった」
って言うのが大好きなオッサンだよねw
この人の場合、才能があったから、それを脚本に活かしたって点は
凄いとは思うが。 あ、別に笠原さんが嫌いなわけじゃないよ。もちろん作品も凄く好き。
いや、愛すべきオッサンだなーって思ってw
そういうホラ吹きでナルシーな所もないと、創作者としては
ダメなのかもって思うし。 >他にも自分が無頼であったかのような、カッコつけたような発言
思い当たるところが無いんだけど、例えば? >>337さん
俺は笠原氏は右にも左にも囚われなかった真の無頼だったと思います
結果三ヶ月訓練して終っただけにせよ
確実に死を意識したろうし当然それは後の作品に昇華されてる
戦中戦後に青春時代を生きた故の無頼は本物だろう
それは「昔は俺も悪かった」などと云う単純な「カッコつけ」では無い
であればあの作品群など描けんし今日まで残らない
>>335-336手前ぇは実にクダラネエな
カッコ悪い事をカッコつけさせてくれってポーズが笠原節だって事がワカランお前みたいな奴はダサ杉
>>332
映画の脚本家の本で長い間版を重ねてる本ってのはないのでは? 脚本家が書いた小説なら他にもあるけれど、
>>332みたいな脚本家自身が対象となった本のつもりだった。
出版物全般なら新藤兼人が圧倒的でしょ。
本の印税だけで個人事務所構えられるレベル。 そう? 「小説・田中絹代」「ある映画監督の記録」しか知らないけど、そんなに本を出してたっけ? >>337
そーね、いろいろあるが、「女渡世人・おたの申します」の時、山下将軍に、
最後の藤純子の立ち回りは俺に撮らせてくれって申し出たことがあるらしいが、
「お前のような大学出よりも、俺みたく風来坊のような奴が撮った方が(凄みが出る)」
とか言ったらしいが(映画はやくざなり)、人の出自と自分のとを比較して、
「自分はエリート様とは違う人種」的なことを言いたがるのも、その手のオヤジには
よくあるわな。
>>338
まあまあ、そう怒るな。お互い同じ笠原ファンじゃないか。
他の戦争体験者、実際に戦地に行った人、戦後のドサクサの中でいろんな職を転々とした人の
エッセイなんかもたくさんあるが、笠原さんはやっぱり自意識過剰だよ。
たとえば同じ創作者で、笠原さん以上の過酷な体験を、戦中戦後くぐり抜けてきた
水木しげるあたりの自伝と比較してみればよくわかる。
カッコ悪いことをカッコつけさせてくれってのが笠原節だってのは同意。
もちろん俺もその笠原節は好きだ。
でもそれは「昔は俺も悪かったって」言いたがるオヤジ像と、別に矛盾してないよ。 >>342
横レスだが、横浜市の図書館の”新藤兼人”の検索結果。俺も知らなかったが凄い量だな。
ttp://www.lib.city.yokohama.jp/cgi-bin/Swissken.sh?0+991+0 戦地に行った人より、笠原みたいに国内にいた人の方が
軍の対しての思い入れが強いような気はする。 >>344
リンク、違ってるよ。
短いエッセイが収録されているだけの本、解説だけ書いた本なども入っているから、それほどの量ではない。
http://www.lib.city.yokohama.jp/cgi-bin/Swwwssrt.sh?0+1485+192+2+0+1
そういや、新藤がお姉さんのことを書いた本(「地平線」の元になった)や新藤兼人シナリオ集は、
そこで借りて読んだんだった。 わしゃあ妹さんとのエピソードが涙無しには読めんよ....
まあ脚本家なので文章がうまいとか
多少脚色もあるかもしれないが....
昭和の劇に、一言も書かれていないけど
写真だけ出ているのが泣ける >>335
笠原氏は日本軍全般を「言われているほど大したもんでも立派なもん
でもない」と言うよね。等身大に見ようとしてると言うか。
そう言ってる人つかまえて、軍歴振りかざして悪ぶってるというのは勘違い
だと思うよ。
笠原氏は著書を読む限りかっこつけ、虚勢を嫌う人でしょう。
正直だし、美化されてるけど本当はこうだぜ、って揶揄するような発言多い
しね
>>322
池上遼一と組んだ「サンクチュアリ」の、ヤクザと警察官のコンビのヒントは、
県警対組織暴力かなと。 じゃあ「やくざの墓場くちなしの花」が「ドーベルマン刑事」ですか? >>348
でも、軍隊にいってない深作(三つ下)には優越感みたいなものを感じるんだよな。 仁義〜広島死闘編の山中(山上)を、「戦争に間に合わなかった軍国少年」って
キャラにして(深作には別のとらえ方をされたって愚痴ってたが)、
自分の想いを託したってのが、笠原さんの心情を現してる気がする。 戦地に行った人達と軍に入らなかった人達に挟まれた、
不安定な立場だったのかもしれない。 徴兵されたかどうかってのも大きな境界ではあるけど、
・戦場を体験したかどうか、
・軍国主義時代に少年時代を過ごしたか、(思春期に敗戦を体験したか)
ってのが二つの大きな境界でしょうね。
小津くらいの世代だと、戦場は体験しているけど、
既に大人になって価値観が定まってから日中戦争が始まってる。
笠原(1927)、深作(1930)は軍国主義日本で少年時代を過ごしてる。
大島(1932)もそう。この辺りの人は
大きな矛盾を抱えて生きていたんじゃないかな。
だからどこか過剰なところがあるんだと思う。
>>330
映画界は確かに衰退したかもしれないけど、その代わりに新しい表現者が向かう
媒体として、漫画界といった別のジャンルもあったわけで、そちらは
どの程度意識していたのかな?とは思いますね。笠原さん自身が
出涸らしのヤマトとか、創価学会向けのアニメとかで
完結していたのは勿体無かったかなぁ。
「昭和の天皇」への入れ込みが大きかった分、失った
ものも大きかったのでしょうけれども。
ストーリー軽視の映像派や
内向的な青春群像に焦点を当てるような作品が嫌なんだろうな。
ヤクザや戦争等、剛毅な映画を作っていた人の反応としては、当然だろう。 日露戦争調査のストレスで胃を切ったと言ってるけど
力の配分間違えてるとしか思えない
学者じゃあるまいし、リアリズムにこだわる映画でもないのに
キャラやエピソードの磨き上げにエネルギー割いて欲しかった >>356
いや、自分では絶対書かないような作品、違う価値観を持つ作品を、
観る側としては好きな人っているよ。
でもこの人はそうじゃないね。受け手としても、とにかく自分の作風に近いものが
好きな感じ。
黒澤明作品も、七人の侍はあまり好きじゃなくて、一番好きなのは「素晴らしき日曜日」
ってのが、そのまんまやんけ!って感じだし。
「生きる」も、自分がガンなった経験から、あれはリアルじゃないと思ったから
好きじゃないって言ってた(じゃあガンになる前は好きだったのか?) 「七人の侍」は好きなんじゃないの?
「昭和の劇」を読んでないんで、そこでどう言ってるのかは知らないけど。
キネ旬の「七人の侍」リバイバル特集号では絶賛してたよ。
黒澤の場合は、タルコフスキーや北野武の映画が好きだったというのが、やはり不思議。
黒澤自身が撮る映画とはあまりに違い過ぎ。 昭和の劇では、映画としての見せ方は上手いと思うが、
侍たちが全員正義の味方で誰も裏切らず、、野武士が全部悪って
単純な構図が好きになれないって言ってた。
笠原さんらしい意見というか。でもそりゃ作品の是非じゃなくて、
個人の趣味だよな。本人も承知の上でそう言ってると思うけど。
まあ笠原さんなら、侍、野武士、農民の関係は、もっともっと
カオスにするわな。 >>360
「乱」で一段落した黒澤が「夢」をやる気になったのは、
タルコフスキーの「ノスタルジア」の影響じゃないかと思っているんだけど。
黒澤は、深作、笠原のグループより、あっちの方に近いと思うし。
主演の三船さん一人は、深作、笠原のグループだと思うけれど。
黒澤の映画は黒澤と三船のあのバランスがいいね。
深作&笠原もうまい補完になっていると思う。
深作は現場の勢いで変りすぎるから、外すことも結構あるから。 夢、幻覚は元々、黒澤映画の重要なモチーフのひとつだから、「ノスタルジア」の影響ってことはないんじゃない?
むしろ、「ノスタルジア」の方が、黒澤映画からの影響があるようにも思える。 モチーフじゃなくて、ドラマ主体じゃない映画ね。
ドラマやパッションが演出術と古典的な二人三脚をしてない映画。
「どですかでん」はまだちょっと遠慮があるもんね。
深作や笠原さんはああいうのはまるでやる気ないんじゃない?
やっぱタルコフスキーには、ここの組よりはずっと近いと思うけどね。
「夢」観たのかね、笠原さんは。 >>361
で、最後は、岡田イズムに則ってハッピー・エンドにしてね。
>>360
宮口精二の殺陣は得心がいった、と書いてあったね。
出展は「破滅の美学」から。 やっと映画はやくざなりの、沖縄進撃作戦の脚本を読んだ。
いや凄い。これまで脚本のみを読んだ中では、一番、頭の中で映像がクッキリ浮かんだし、
勢いが凄くて一気に読んでしまった。
ただ正直、仁義シリーズや県警対組織暴力の後に、この映画が公開されたとしても、
二番煎じ、三番煎じって言われたんじゃないかなあ・・・もう、まんま、あのノリだし。
舞台が沖縄で、沖縄と本土の関係を扱った部分がキモなのは分かるけど、
登場人物たちがあまりに、いつもの笠原的過ぎるというか・・・だからこそ頭の中で
映像が浮かびやすいんだけど。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています