昭和39年、緑魔子入社当時の東映では
女優は全て、三田佳子派と佐久間良子派に二分されてた、
「中立」なんてのはありえない話で、
自動的にどっちかに振り分けられて、泥沼の派閥抗争に
巻き込まれる仕組みになっていた。

我らがマコはどうだったのだろう?
三田佳子との競演が多いので三田佳子派だったような気もする。
マコがこのような派閥抗争でうまく立ち回っている姿は想像できない
のだが、万事ソツが無いところもあるので、うまくやっていたかも
しれない、なんせ渡辺祐介という監督の強力な後ろ盾が、あったのだから、
しかしそれゆえ陰険ないじめの対象になっていたかもしれない。
緑魔子の東映退社は渡辺祐介の東映退社と同じ時期なので、
緑魔子は東映専属というより、渡辺祐介専属だったのではあるまいか?
緑魔子の東映時代は謎が多すぎる。