【軍事立国化】日本学術会議、軍事目的研究否定の原則の見直し検討 [無断転載禁止]©2ch.net
軍事研究否定、見直し検討 年内に見解
http://mainichi.jp/articles/20160521/k00/00m/040/126000c
日本の科学者の代表機関「日本学術会議」は、戦後堅持してきた軍事目的
の研究を否定する原則の見直しに向け検討を始めた。20日の幹事会で、「安全
保障と学術に関する検討委員会」の設置を決定。政府が軍事用にも民生用にも
使うことができる「デュアルユース(軍民両用)」技術の研究を推進する中、「時代に
合わない」との意見が出てきたためだ。第二次世界大戦で科学者が戦争に協力
した反省から導かれた教訓が見直される可能性が出てきた。
学術会議は1950年の総会で「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない」
とする声明を決議。その後、日本物理学会の国際会議が米軍から補助金を受けた
ことが問題となり、67年の総会でも改めて「軍事目的のための科学研究を行わない」
との声明を出した。
しかし、昨年度から防衛省が防衛装備品に応用できる最先端研究に資金を配分
する「安全保障技術研究推進制度」を始め、大学などの研究9件が対象に選ばれた。
今年度から始まった国の「第5期科学技術基本計画」でも関連技術の研究開発
推進が盛り込まれた。ロボット分野などで従来の原則に従うと研究を進めにくくなるとの
指摘もあり、幹事会は防衛省や文部科学省の担当者から意見を聴取し、検討委の
設置を決めた。
検討委の委員は、会長の大西隆・豊橋技術科学大学長や山極寿一・京都大学長
ら15人。軍事研究の線引きや防衛省からの研究資金受領の是非などを議論し、年内
に見解をまとめる。検討委は公開し、見直しに慎重な立場の会員もいるため、意見を聞
く場も設ける。
大西会長は「戦争を目的とした科学研究を行うべきでないとの考え方は堅持すべきだが、
自衛のための研究までは否定されないと思う。周辺環境が変わっており、長年議論もない
ことはおかしい。科学者は何をやってよくて何をやってはいけないのか、議論を深める時期に
来ている」と話す。【千葉紀和】 【ことば】日本学術会議
1949年に設立された内閣府の特別機関。理工学、生命科学、人文社会科学などの
約84万人の研究者を代表し、政府への政策提言や海外の学術団体との連携などが役割。
30の学術分野に分かれ、優れた業績のある科学者から選出される210人の会員と約2000
人の連携会員が実務を担う。
全科学者で議論を
日本学術会議の元原子核特別委員長で平和運動に取り組んできた小沼通二・慶応大名
誉教授(85)=素粒子理論=の話 学術会議は出発点で戦争中の科学者の行動を反省し、
その延長線上に軍事研究を否定する決議がある。日本は自衛のためと言いながら戦争ができる国
に向かっており、軍事研究の線引きを見直すのは危険だと感じる。閉じた議論でなく科学者全員で
原点を見直し、議論してほしい。 解説 戦後日本科学、転換も
日本学術会議が半世紀ぶりに軍事研究を否定する原則の見直しに向けて検討
を始めたことは、戦後の日本を支えてきた科学技術研究の歩みを一変させる転換点
となる可能性がある。
科学技術は、その使い方次第で善悪の二面性を持つ。原爆をはじめ大戦の災禍
からその脅威を再認識した日本の学術界は、戦後自ら軍事研究に幅広い歯止めを
かけた。当時は「過剰反応だ」と内部で反発もあったが、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹
や朝永振一郎らを中心に核廃絶運動や「科学者の社会的責任」の議論を深めてきた
経緯がある。
一方、こうした姿勢が時代遅れとの声も出てきた。海外では大学での軍事研究は珍し
くなく、有望な研究を巨額の資金で支援し、産業振興を促す動きもある。現代社会に欠
かせないインターネットや全地球測位システム(GPS)などは米国の軍事技術由来だ。高
度な軍事技術を求める政府と、研究費の確保に悩む科学者とは利害が一致する。
科学技術が発展し、軍事研究かどうかの線引きは難しさを増している。例えば現在、
人間の操作を不要とする自律型人工知能(AI)兵器の開発が世界的に懸念されている
が、こうしたことにつながる恐れのある研究は多い。デュアルユース技術の研究開発を進める
政府の動きになし崩し的に追従するのではなく、自らの研究成果がどのように使われるのか
を踏まえた主体的で透明性のある議論が求められる。【千葉紀和】 知恵のあるサルが武器を発明して、知恵のないサルを倒してエサを奪い取る。
よって、知恵のあるサルだけが生き残る。
これを繰り返して、サルが進歩していく。
知恵のあるサルが合議制の群れで奴隷として酷使され、
その生産物を知恵のないサルが横取りし、知恵のないサルが群れに守られて生き残る。
これを繰り返して、サルが退化していく。
科学者が取るべき立場は明白だ。