>>565
スティーヴン・ワインバーグ(1979年物理学賞)「日本では、どの大学を出たかが非常に大きな意味を持っているが、それは研究の本質とは何の関係もない。
私は自分の研究室のメンバーがどの大学を出たのかを知らないぐらいだ」

この代慶は大学どころかその前の3年間にいた場所だけを取り出して論じている、その意味がさっぱり分からないのだが???
もちろん高校時代に業績をあげた人など一人もいない。
こういう奴は必ず、平和賞、文学賞受賞者も自然科学部門と同列に論じている。いい加減、それは外せよ!
一つの賞だけを神から授けられたかのようにありがたがっているが、何人かのスウェーデン人が勝手に選んだだけだとわかっているのか?
野依良治「ノーベル賞はオリンピックのメダルとは違う。何を重要とするかは委員の主観の問題であり、研究者にはどうすることもできない」

日本人であらゆる国際科学賞を総ナメにしたと言えるのは南部陽一郎ぐらい。大半の人は賞によって受賞したりしなかったりで、ノーベル賞も
受賞してもしなくてもおかしくない当落線上だった。田中耕一にいたっては欧米中の科学者から「タナカへの授賞は間違い」と言われた。
こいつらは2008年の受賞時から「南部陽一郎=福井県」で思考が停止してしまっているが、これが凡人が凡人たるゆえんだ。
南部陽一郎の母・きみは福島県出身で東京女高師(お茶の水女子大)在学中に福井県出身の南部吉郎と知り合い、結婚した。
南部が研究者としての基礎を培ったのは東京時代。「一高時代は人生でもっとも楽しい時期だった」「理論ができた時は興奮した。
東大で叩き込まれた物性論が生きた」しかしこいつらの手にかかるとそれは一切なかった事になってしまう。
同様に大半の受賞者もその功績をある一か所だけに帰することなどできない。