偏差値50から「ハーバード」を自称するまで
http://gendai.net/articles/view/syakai/139170
ナゾに包まれていたニセ医師の過去が見えてきた。生い立ちを知ると、なぜあんなすぐバレる
デタラメを吹聴したのか、何となく分かる。背伸びし続けた半生というか、自己顕示欲の塊みたいだ。
1964年、森口氏は奈良県に生まれた。3人兄弟の長男で、中学時代の口癖は「京大へ行く」だったという。
今では想像もつかないが、朗らかな性格で、友人にも恵まれていたようだ。
 そんな森口少年に訪れた最初の挫折が、高校受験。京大を目指す勉強熱心な中学生は
県下トップクラスの県立奈良高校か、私立東大寺学園に進学する。しかし、彼が入学したのは
「西の京」という県立高校だった。
「森口君は確かに当校の卒業生です。創立3年目に入学しました。でも、なにぶん30年以上前
のことですし、彼のことを覚えている教師は見当たりません」(西の京高校教頭)
 現在の同校の偏差値は50。京大はもちろん、関関同立に進学する生徒も数人で、
東京医科歯科大に進む生徒は珍しい。ただし、彼が大学に入学した年齢は25歳。
合格まで7年かかったことになる。「京大合格」の夢を捨てきれず、遠回りの青春があったのかもしれない。
 大学進学後、森口氏が没頭したのは医学の勉強ではなかった。
「音楽にハマったそうです。当時は80年代後半でイカ天ブーム。森口さんも髪がフサフサしていて、
同級生とロックバンドを組んでボーカルを担当したと聞いてます。その傍ら、論文書きにも目覚めました。
財団法人・日本刑事政策研究会と読売新聞社が共催する、『刑事政策に関する懸賞論文』に、
2年連続で応募。大学1年の時に最優秀賞を受賞しました。iPSについて書いた論文の筆力の下地は
大学時代に身に付いたのかもしれません」(事情通)
 理想と現実のギャップがどんどん開き、最後は“妄想”を研究成果として発表した。
それが答えのような気もする。 .