アンチは信用金庫の客観的な現状と自身の体験から論理的に信用金庫を批判している一方で、擁護はアンチ個人を攻撃することしかしない。
例えば「お前は信金が勤まらなかった無能」だとか「それは全てお前の責任だ」とかだ。
これでは議論にならないから「擁護はアンチの人格攻撃ではなく、論理的に反論しなさい」と言っても「信金にも良い所はあるが、アンチに反論されるから言いたくない」などと呆れる言い訳。
挙句の果てには「人格攻撃されるような人格のアンチが悪い」とことの本質をまるで理解出来ていない言動で周囲の嘲笑を買う擁護。
Fラン信金マンと旧帝卒公務員を大勢見てきた転職組の俺から言わせてもらうと、この会話の噛み合わなさ具合がアンチと擁護の暮らしている世界の格差を如実に表していると言える。