筋が通っているし、筆者自身ITベンチャーを渡り歩き、様々な企業を取材してきたが、こういう状況はどこか別の世界の話ではなく、具体的にイメージできる。
実際に、そうとしか言いようのない人たちが一定数いることは間違いないだろうとも思う。
では、なぜ必ずしも会社が全人格労働を強要しているわけではないと考えるかというと、ひとつ目は冒頭で述べた通り、被雇用者の「被害者側」の視点、もしくはそこに同調し憑依したメディアの視点で語られていて、
雇用者は匿名のまま抽象的な加害者として仕立てられることが多いからである。
そしてもうひとつは、全人格労働としか言いようのない事態が起こっていたとしても、真の理由と問題はむしろ「ブラック化した企業」の側にはないからである。
つまり、ある人が全人格労働をできてしまうという、まさにその状況こそが危機的なのであり、なぜ全てを注ぎ込んでしまうようなことができるのか、この理由にフォーカスする必要があるということだ。
念のため断っておくが、「いじめられる側も悪い」「弱者も戦うべきだ」といった議論を展開する気は毛頭ない。これから書くことは、本当の意味で他人事ではない、より根深い問題であり、全人格労働そのものの是非を問うといった話ではない。
現状定義されている「全人格労働」はそのままに、あくまで全人格労働が実践されているとはどういう状況なのか、そしてそれはなぜ起こるのか、なぜそこから脱出できないのかに迫りたいと思う。