一般市民の側に反省すべき点があるとすれば、「結論を学者に求めるな」だと思う。
逃げるか否かは自分で判断すべきことだ。判断の元になる正確な情報や分析を学者に期待するのは良い。
しかし最終判断までを求めてはいけない。最終判断を求める人々こそが、科学者としての声を雑音に埋もれさせた。.

今の私は、公に雇われた(山下さんのような)真正御用のカウンターに「逃げろ」と
言うことも辞さない危険派学者がおり、更にそのカウンターにエア御用がいたと思っている。
エア御用を生み出す(彼らが持てはやされる)理由は一般人の住むこの社会の側に(も)ある。

原発に限らず、情報を主体的に集め自己責任を負いながら一市民として選択する、
あるいは行動する、という意識はとても大切だと思う。
そういう意識を持つ人間には、逃げろと言う学者もまた、
逃げなくていいと言う学者と同程度に自由を奪う存在だとわかるはずだ。
逃げろ、と本人に成り代わって結論を出してしまう学者より、
冷静に分析し中立な情報を発信する学者の方が尊敬される社会になって欲しい。
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