>>924
ーーー

ガラテヤ3:21-29

では、律法は神の約束と相いれないものか。断じてそうではない。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに律法によって実現されたであろう。

しかし、『約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって与えられるため』に、
『聖書はすべての人を"罪の下に閉じ込めた"のである』。

しかし、『信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視されており、やがて啓示される信仰の時まで閉じ込められていた』。

このようにして律法は、
『信仰によって義とされるため』に、
『わたしたちをキリストに連れて行く"養育係"となったのである』。

あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。

キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである

もはや、『ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない』。
あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。

もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、『約束による相続人』なのである。

ーーー