キリスト教がないものだと思ってください。
つまり、江戸時代以前の日本の合戦の世界。
弱肉強食の戦いがあっただけ。
 
アメリカが日本に原爆を落としてなにが悪いのか?と。
単なる大きな合戦じゃないかと。

ところが、キリスト教というモノサシを使って
日本がアメリカを道義的にどうなのか?
と責めるのはいかがなものでしょう。

キリスト者ではない日本人は、江戸時代以前の心で
アメリカを測らないといけません。
つまり、強者が弱者に原爆を落とした。それだけのこと。

日本人が「合戦(かっせん)」の勝者の殺しを責めないのだから。
それならアメリカを責めたらだめでしょ。

どう言えばいいのだろう。よい喩えではありませんが

メキシコの薬物犯罪組織の無法者たちが、自分たちが守っても
いない法律や倫理で、警察を測って、警察に文句を言ってるような?
 
日本人は自分たちをそれで測ることをしないキリスト教のモノサシで
相手を測って責めてるような?
 
日本にとっては大戦は、合戦、と同じ。ただ弱者が強者がに負けただけ。
それ以上でも以下でもない。
 
(思いつくままに書いたので添削なしの駄文 ぺこり)

キリスト者としてどう考えるか?をカキコするとこれは
たいへんなことになります。
神は、ひとりひとりの心を探られますからね?
一括して、全員を罪に定められるのではなく。そんなことからカキコ
せねばならず。だいたい、これに思いを馳せたことが
あるなら、ラピスさんのようなくだらない幼稚な問いかけはしないのです。
 この国の田吾作&お民さんの田吾作脳の淀みがいまだに
頭に心にある思考停止者ならではの問いかけなのですよ。
 
ソコで停まったまま、足踏み、して死んでしまった日本人は多いでしょう。