【明主様のご論文】
★之も慢心★
よく信仰に熱中の余り自分の属している教会の会長始め、役員等の行り方が面白くないとか何とか非難して、それを改革しようと忠告したりしても、それが容れられない場合、非常に気を揉む人も時々あるようだから、之に就いてかいてみよう。

右のような考え方は、全く誠から出たのであるから、悪いとはいわないが、大いに考慮を要する点がある。というのは其考え方は小乗信仰であるからである。本教はいつもいう通り大乗信仰であるから、世間並の考えとは大変違っている。其点が認識出来ないと、神様の思召に適わない事になる。何よりも彼の人は善人だとか、悪だとかいうのは、已に慢心である。何となれば人間の善悪は神様でなくては判らない筈で、以前もかいた事があったが、大いに慎まなくてはならない。
よう筈がないのである。大本教の御筆先に斯ういう文字がある『神の奥には奥がある。その又奥の奥の仕組であるから、人民には分りよう筈がないぞよ。神界の事は分らんと思う人民は、判ったのであるぞよ』とか、『そんな人民に判るようなチョロコイ仕組で、三千世界の立替が出来ると思うかと申すのであるぞよ』此御言葉は実に簡単にして、よく言い表わしていると思う。

つづく