【イエス】愛とグノーシス探究スレ3【キリスト】
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このスレはナザレのイエスについて、
あるいはイエスを中心とする信仰や愛、グノーシス、思想、
歴史的事象などについて特定の信仰によらず理性と事実を基に、
そしてできる限り隣人愛を持って広く自由に議論するスレです
自分の信仰表明やその信仰の説明、あるいは特定の信仰に
対する説明や意見は構いませんが特定の信仰が真理であることを
前提にしたスレではありません
あくまでも真理は探求するものという立場で議論してください
特に正統キリスト教が真理であると主張する方は、
相当のスレを立て、そこで議論してください
ここは正統キリスト教が正しいことを所与の前提とした
スレではありません
*他人のハンドルを騙ったり名無しで他人を誹謗する
卑劣な人間がいるので書き込む方は必ずハンドル名を
入れるようにしてください グノーシス主義
1) 悪の起源 ・ 創造神話
グノーシス主義の教えにおいても、「この闇の宇宙」の
上位に「真にして隠された・知られざる光の超世界」があり、
また、 デーミウルゴスの遙か上位に、
「真にして隠された、または忘却された、至高神」が
存在すると主張します。
(この「隠された、知られざる真の至高神」は、
認識や理解を超えた存在であり、名を付けることも
できないとされます が、幾つかのグノーシス主義の
システムでは、この「知られざる至高神」 を、
「ビュトス(深淵)」とか
「プロパテール(原父・先在の父)」と呼びます)。
叡智の光_グノーシス主義
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/contents.html
✝イエスは彼らに言われた。「あなたたちは下の
ものに属しているが、わたしは上のものに
属している。あなたたちはこの世に属しているが、
わたしはこの世に属していない。
(ヨハネ8:23) グノーシス主義
2) 人間
人間は、 「霊(プネウマ Pneuma)」
「心魂(プシュケー Psykhee)」
「肉(サルク ス Sarks)」より構成されると云う理論で、
グノーシス主義の教えでは、この裡、「心魂」と「肉」は、
デーミウルゴスやアルコーンたちの創造になるもので、
この不完全な宇宙と同じ性質を持っており、即ち、不完全で、
悪であり、また永遠的でなく、可壊で、地上に腐敗し
滅び消滅する定めにあるとされます。
では、「霊(プネウマ)」はどこから起源したのか(中略)
プレーローマの真実の高次アイオーンたちと同質な
ものであり、これこそ、 「人間の本来的本質であり、
不滅であり永遠世界に属し、「悪よりの解放」 原理を
裡に含むものであるとされます。
叡智の光_グノーシス主義
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/contents.html グノーシス主義
3) 世界論,反宇宙的二元論
グノーシス主義は、悪に満ちる「地上世界=この宇宙」と、
悪より解放された、榮光の知られざる至高神の支配する
「プレーローマ」または「オグドアス・アイオ ーン界」の
二元構造になっていることが明らかになっています。
このように、 「悪の暗黒宇宙」と「真の本来的光明永遠世界」
を対比させ、「この悪の宇宙」 を否定する思想を、
「グノーシス主義」の「反宇宙的二元論」と称し、これは、
或る思想・信仰が、グノーシス主義であるか
どうかの一つの判定「規準」です。
叡智の光_グノーシス主義
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/contents.html グノーシス主義
4) 魂の救済
グノーシス主義における「救済の要件」は、プレーローマの
「知り難い至高神(プロパテール=プロパトール,ビュトス)」への
信仰(ピスティス)の度合いで決まるのではない、
と云う点が異なります。
グノーシス主義は、まさに「グノーシス」の主義と云うその名が
語る通り、「グノーシス(Gnoosis) =叡智・認識・知識」を
人(の魂)が熟知しているか、真の神と偽の神(デーミウルゴス)の
対立になる、この全世界の「反宇宙的二元論」構造を覚知し
認識しているかと云うことが、救済の与件となると云っても
過言ではありません。
叡智の光_グノーシス主義
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/contents.html 【グノーシスのサイト紹介】
グノーシス主義基本用語集
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/term-gn.html
グノーシス主義用語語彙集
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/preterm.html
叡智の光_グノーシス主義_目次
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/contents.html
■ グノーシスの神話
http://gnosticthinking.nobody.jp/gnosismythtop.html
神話1 『ヨハネのアポクリュフォン』
神話2 『ポイマンドレース』
神話3 ヴァレンティノス派プトレマイオスの教説
神話4 『三部の教え』
神話5 『アルコーンの本質』
神話6 『この世の起源について』
神話7 『バルクの書』
神話8 シモン派の教説
神話9 『魂の解明』
神話10 マニ教の教説
神話11 『シェームの釈義』
神話12 マンダ教の教説
神話13 『アダムの黙示録』
神話14 『フローラへの手紙』 (*試訳を全文掲載)
神話15 『ユダの福音書』 (*一言解説を掲載)
神話16 『大いなるセツの第二の教え』
神話17 『マリヤによる福音書』
神話18 『ペトロの黙示録』
神話19 『真理の福音』
マグダラのマリアによる福音書
http://iihatobu.com/work/Gnostic.html 【グノーシス関連書籍のご案内】
グノーシスをもっと詳しく学んでみたいと思われた方へ
下記の書籍がお勧めです。
「原典 ユダの福音書」日経ナショナルジオグラフィック社
「トマスによる福音書」荒井献著 講談社学術文庫
「グノーシスの宗教」ハンス・ヨナス著 人文書院
「ヨブへの答え」C.G.ユング著 秋山さと子解説
「グノーシスの神話」大貫隆著 講談社学術文庫 【グノーシスをお勧めする理由】
◉イエスの愛の上に生贄の義を置く誤解があるため
イエスの愛を行うことで御心にかなうのであって、
イエスが罪を贖ったことをいくら信じても救われません。
イエスを生贄にして人類が救われるなどと考えるのは
愚かなことです。
◉ヤハウェ神とイエスの天の父の違いを説明するため
ヤハウェ神は「我の他に神があってはならない」
イエスは「敵をも愛せよ」
この矛盾をグノーシスは説明しています。
ヤハウェ神は地に属する神であり、イエスとイエスの天の父は
天に属する神なのです。
◉一神教の害悪を取り除くため
キリスト教は異端審問、迫害、宗教戦争、植民地支配と、
残虐なことを繰り返してきました。
旧約聖書のヤハウェ神の残虐性を引き継いでいるからです。
◉キリスト教を棄教された方への理解のため
キリスト教の洗礼を受ければ救われると言いますが、
信仰に疑念を抱いたら最後、サタン扱いされ地獄行きと
罵られます。
◉キリスト教成立史を知って頂くため
イエスはグノーシスを説いていました。
その教えを継いだグノーシス派を異端として排除して
作成されたのが新約聖書です。
◉異端審問や迫害、宗教戦争等を繰り返さないため
未来に向けて同じ過ちを繰り返さないためにも、
キリスト教にイエスの愛を取り戻すためにも、
グノーシスは必要なのです。 【キリスト教のダメダメなところ】
◉他宗教や異端の教えを学べない
我以外に神があってはならない、とする神を信じているため
信仰への一切の疑いを許さないため、思考停止状態に陥る。
◉キリスト教以外は地獄行きと言って憚らない
上記同様、排他的で選民意識が強いため
◉生贄を信じている
イエスが十字架で生贄となって人類の罪を贖ったという
思想を持っている。
◉神を信じることで自分が正義になると信じている
クリスチャンと会話すると、キリスト教が絶対正しい前提で
話してくるから対話にならない。
また、暴言、悪口を吐いて無反省となる方もいる。
◉聖書を都合のいいように解釈する
自分にとって都合のいい聖句を拾って繋ぎ合わせて
持論を展開されるクリスチャンが多い。
そして都合の悪い聖句は、上手に言い訳したり、
華麗にスルーするのが得意。
◉キリスト教成立史、歴史を学ばない
おそらくそれをすると信仰が揺らぐのが恐ろしいのだと
推測される。
聖書が人間の創作であることを知ってしまったり、
異端審問、迫害、宗教戦争、侵略、植民地支配の歴史に
目を塞ぎたいのだと思われる。
これらの理由により、キリスト教へは決して近づかないこと、
これを強く訴えておきます。 >くだらないぞ?
>ということを見分ける「知恵」を、まずもって、信仰によって
>ゲッダンしないといけません。
その信仰が正しいかどうかどうやって判断するのですか?
自分の信仰が正しいかどうかは分からないのです。
だから信じるしかないわけですが、オウム真理教のように、
信仰が間違っていたら危ないのです。
ですので、自分の信じる宗教以外にも、様々な宗教や思想、
哲学を学んで色んな角度から自分の信仰に間違いがないかどうか
確認するしかないのです。
しかし、
キリスト教は排他主義が強い一神教なのでそれができない。
かつては原始キリスト教の一部であったグノーシスすら学べない。異端とされた福音書すら読めない。
カトリックはガリレオの異端審問を謝罪している。
完全ではないものを信仰するのは危険が伴うので、
セルフチェックが必要なのです。
イエスは愛の教えを説いたのに、イエスを主とした
キリスト教が排他主義というのも皮肉な話です。
イエスに習うなら敵を愛して十字架です。
実際は異端審問、聖戦、布教の名のもとに行われた植民地支配です。
どういうことなのでしょうね。 >-'::.:;;:-‐:.:.:.:.:.:.!:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.ヽ、::.:.:.:ヽ、:.:.゙、
,'.:.:/.:.:.:.:.:.:.:.:.:..;!:.i:.:.:.:.:.:、:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ;::::.:.゙、:.:.゙!
!,.'.:/:.:.:;.':.:.:.:.:.:.,.'゙!:.、:.:、:.:.:ヽ、:.:.:.:.、:.:.:.゙、:::.:.゙!::.:| <偏屈な 日本のクリスチャンを相手に
.,'.:,イ:.:./:.:.:.:.:.:./ ゙、゙、:.ヽ;:.:.:.ヽ、:.:.:゙、.::.:.゙;:::.:.!i:.:! 宗教間対話を続けるわ!
.,':;'::.:.:.;':::.:.:.:.:./,,__ ヾ,ヽ:゙、ヽ、:::.ヽ、:.゙!:::.:.゙!:::.|l.;! __
l::!゙i:.:..;!::.:.:.:.:;' _,,.`ヽミ、、ヾ:.、,.>,、、ヾ!::::.:|::.;'/ 、ヘ/ ./
|:! ゙!::.;イ::.:.:.:;!ィ´!ノ:::::iヽ ヽ、 ` ,イ,ノ:::!゙ヾ::.:.;!iス、 > <
. ゙! ゙!:| !::::.:.:| ゙!::::::ノ L::::ノ !|:/.:ヽヾヽ、 / /ヽ/
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.,.'::::!:.. .:.゙、:.:,r' ー--ゝ、 {ニ´ッ::__::! l::゙、テ``!::/ ,!
んヘ:゙、:.. .:::..,! 、...__ ゙!、゙、,ィ',´-::..、!:::゙、:. |/ | 「 ! 「 !
ヾ、:. .:.! `ヽ.! !,ィ´`` ‐--ヽ,_/ _,,.! L.!..L.!
i゙ .{ '' ´ ̄ヽ y /::.. !- ....二二-' ○ .○
.,! ..:. ,.._ァャ゙、 t‐ 、 ,ソ /:.. ;.ヽ、 /
,! .:ィ',./ム-'"ヽ、` ―'゙ /:::.. , i::. Y__, 【キリスト教の実際】
キリスト教というのは、イエスに習うという宗教ではなくて、
イエスを神の子、罪の赦しの生贄としてどこまでも
限りなく神聖化して、その救いにあやかろう、
という宗教であると感じました。
ですので、敵を愛せよとか、自分を捨てて、とか、
そういうことがイエスのみことばとして書かれていても、
ピンとこないのが多くのクリスチャンであろうと思います。
とりあえずイエスを信じて死後の裁きを回避しつつ、
人生が終わるまでの間をどう過ごすかは聖書をうまく解釈して
乗り切ろう的な感じなのでしょう。
それでなぜ、死後の裁きが回避できるのかはよく分かりません。 【イエスの真意】
敵を愛せよとか、自分を捨てて、とか、
イエスの言うことは、
天に属する、世に属さないということであり、
地に属することを完全に否定しているわけです。
これはまさに霊と肉(物質)を分ける二元論である
グノーシスそのものと言ってよいでしょう。
敵を愛せよ、自分を捨てて、という
イエスのみことばから推察すると、天の御国というのは、
敵味方の区別がなく、自分と他人の区別もない世界であろう
ことが分かります。
これは、お互いの心がガラス張りで、全て分かり合える
世界であろうと思われるのです。
それが一時期肉体に宿ることで霊本来の力は覆い隠されて
しまうのでしょう。 【イエス・キリストはグノーシスを説いている】
以下、グノーシス的二元論の思想
・カイザルのものはカイザルに、神のものは神に
・天に属する者と地に属する者
・富は地上に積むな、天に積め
など
また、以下の教えはこの世離れしていることから、
グノーシス的二元論を暗示している。
・敵を愛せよ
・自分を捨てて
・後のものが先になり先のものが後になる
・朝から仕事した人も夕方に来てちょっと仕事した人にも
同じ金額の報酬を与える
・罪人を招くために来た 【グノーシスの時代の到来】
カトリックは、無名のキリスト者という宗教的包括主義へと
舵を切ったようですが、
我以外に神があってはならない、という宗教的排他主義と
相容れないのです。
無名のキリスト者とは、
イエズス会の神学者カール・ラーナーの説で、
キリスト者と見なさなければならない異教徒と言われています。
もし、無名のキリスト者論を取るならば、ヤハウェ神を
否定せねばならず、ヤハウェ神の統べる宇宙の、その上位に
語り得ぬ至高神、原父プロパテールがおられるとする
グノーシスの考え方を採用せざるを得ないのです。
カトリックはグノーシス派を異端としたことを
謝罪する日がくるでしょう。
かつてガリレオを異端としたことを謝罪したように。 ,-、 ,.-、
./:::::\ /::::::ヽ
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/,.-‐''"´ \::::::::::: |
/ / \ ヽ、::::|
/ ● ● ヽ| グノーシスを勉強して
l , , , l
.| (_人__丿 """ |
l ヽノ l 天の国、プレーローマに帰るにゃん。
` 、 /⌒⌒i /⌒ヽ /
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。 . .。 o .. 。 ゜ ゜ , 。. o 。* 。 . o. 。 . .
。 . 。 . .゜o 。 *. 。 .. ☆ . +. . .
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゜ 。 ゜ . 。 ゜ * 。. , 。゜ . 。*。 ゜. . . .
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゜ .゜ ゜ 。゜ 。. 。 * 。゜。゜., , 。゜.
゜。゜ ゜`, o。。.゜*。゜ 。.゜ 。 ☆+。。゜. ° イエス様、キリスト教は愛を失ってしまったにゃん。
。, .゜。 ☆。,゜. o。 。 。゜., . ゜
゜. o * 。゜。゜.。゜。 ゜ 。 。 ゜。 ゜ 。 グノーシスでイエス様の愛を取り戻すにゃん。
゜` .゜ .゜. ゜. . ゜ . ゜ . , .
,-、 ,.-、
./:::::\ /::::::ヽ
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l , , , ● l
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l l
` 、 /
`ー 、__ /
/`'''ー‐‐──‐‐‐┬'''""´ iヽ /ヽ
| ゙ヽ、 / ゙i
| ゙''─‐'''" l
,/ ゙ヽ
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i! ● ● ,l
゙i,, * (__人__) U,/ 猫様は生贄が嫌いにゃん。
ヾ、,, ,/ キリスト教はひどいにゃん。
/゙ " ヽ
/ i!
(⌒i 丶 i ! i!.,
γ"⌒゙ヽ l l γ'.ヽ
i i,__,,ノ i,__,,ノ_,,丿
ヽ,_,,ノ"~´ ̄  ̄ ,-、 ,.-、
./:::::\ /::::::ヽ
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/ ヽ|
l l グノーシスを学ぶにゃん。
. | ● | そうすればイエス様の真意が分かるにゃん。
l , , , ● l
` 、 (__人__丿 、、、 /
`ー 、__ /
/`'''ー‐‐──‐‐‐┬'''""´
/, |
(_/ | |
, ヽ、_) ∩
l |\ ノ |
. | ヘ |`ヽ二 ノ
. | / \ /
`ー‐' `ー‐' いいですね!これなら「愛とグノーシス探求」のスレタイトルの意味がわかります。
にゃんちゃんも、可愛くて、分かり易く、
伝わってきます。☆彡 コズモ様のお考えによると、神は人間に自由を与え、
創造の完成に向けて前進していく産みの苦しみの世界を
創造されたという。
つまり創造の完成に向かって永遠に前進を
続けるということですね。
神は人間に自由意志を与えて完成に向けて前進する世界を
創造されたのだから、完成したら自由意志は無くなります。
ですので終末の日は来ないことになります。 何をもって創造の完成とするのだろうか?
本当に前進しているのだろうか?
何をもって前進とするのだろうか?
前進を止めればサタンは消滅するという。
前進とは創造の完成に向けた産みの苦しみというが、
その原因が、神が人間に自由を与えたのが原因とすれば、
前進=自由であり、前進をやめれば自由は無くなり、
サタンは消滅するが、私たちは自由を失うことになる。
つまり前進こそが自由であり、自由でありながら完成
ということは無い。
つまり、終末の日は決してこないことになります。 世に属する者はデミウルゴスが創造した自由と前進によって
弱肉強食の世界で苦しみ続けるのです。
この苦しみの世界を脱出し、始めなく終わりなき、
神の栄光に満ちた永遠の霊の世界、プレーローマへ帰還する、
それこそが私たちにとっての救いであったのだ。
私たちは苦しみの世に生を受けたが、心の奥底には
プレーローマの光、霊(プネウマ)が眠っている。
それを目覚めさせるのが救済者キリストなのです。
イエスは世に属さず、天に属する者であると言った。
このことからも、この世の創造の前進の中に救いはないと
言っている。
コズモ様はグノーシスを学ばれることをお勧めします。 >この世で悪しきことが多発するように
見えるときがあります。
しかしそれは、逆に、そこに創造の前進が
力強くなされている証拠でもあるのです。
(コズモ様のレスより引用)
この理論からすると、悪きことが多ければ多いほど、
創造の前進が力強くなされていることであり、
神の御心が強く発揮されている、ということですね。
悪の多発を御心とする神、これは邪神であると考えます。
そして、先ほどの考察の通り創造に完成がないとすると、
もはや我々人間には救いがないことになってしまいます。
血で血を洗う進化が好きな人にとっては天国かもしれませんが。 >>27
「グノーシスの神話」大貫隆著に引用されているくらいですね。
読んでいるのは。 ニューエイジとか、キリスト教圏で
起きた事では?
日本は、人口の約1%しかクリスチャンはいない
のであるから、
キリスト教⇒ニューエイジとちがいます。
なんだか勘違いされているクリスチャンを
散見します。 キリスト教による、世界支配や精神支配の
2000年に近づくにつれ、何やらおかしいと
我慢の限界は、学問と視野の拡がりと
共に起こってきたのでしょう。
私たちとの差異の背景は重要視できれば、
最初の入り口の混乱に巻き込まれず
整理していくことができるでしょう。
彼らの宗教的世界観による現実的なところ
を察知できなければ、
ニューエイジ運動の全体像も掴めないと考えます。 ニューエイジというのは、日本語にすると「精神世界」くらいの
ニュアンスだと思います。
何か特定な教条や思想ではない感じがします。
https://i.imgur.com/fYSyV5w.jpeg ニューエイジの特徴については宗教学者の島薗氏や
グノーシス研究の大貫隆氏がまとめておられました。
明日にでも引用してみます。 人間は自分が悪人と自覚できれば救われる
親鸞の悪人正機説、キリスト教の原罪はそれを示す
日本人は自分が善人と思ってる性善説のバカばかりだから地獄のような社会になる 38
そうですか〜、それは知りませんでした、初耳です。
角度を変えれば、お人好しと言うことですか日本人は?権力の力に弱いと言う事かもしれませんが、日本だけとは思いません。
権力は巧妙ですからね。
まぁ地獄のような社会と言うのはどういうものなのかですが、政治的な意識がおかしいっていうのはわかります。
政治と言うのは、超簡単に言うと家計に家族が持ちよったお金であれ、それをどういう風に使うかを家族が検討することが家計であり、地方自治体や国家もそうなんです。
みんなが持ち寄ったお金なりをどのような使い方をするかそれが政治なんです。
規模が違うとわからなくなり、暴君親父の言いなりとかおかしいですよね。
予算委員会というのがありますが、これが国家の方針を決める最重要なのですが、市議会などもそれが行われています。
みんな私たちのお金です。それをどう使うかの意識が非常に遅れている事は確かでしょう。
わからなくなっているのなら、家の家計を考えるところから始めてください。
このスレはテンプレにあるように名前を入れてくださいね。 ニューエイジ【A】
(1)自己変容あるいは霊性的覚醒の体験による自己実現
自己の心身において生じるある種の変容体験、とりわけ異なる次元のリアリティの体験を通して、より高い、またよく本来的な
自己とリアリティに近づいていくことができるし、
そうすることが充実した人生の鍵である。
(2)宇宙や自然の聖性、またそれと本来的自己の一体性の認識
高次の、あるいは本来的なリアリティは、宇宙や自然のうちに
内在する。それはまた霊性的な自己ともつながっている。
量子論等の現代科学の展開と全体論的な考え方の広がりに
よって、そうした本来的リアリティの存在が明らかに
なりつつある。
(3)感性神秘性の尊重
批判意識の過剰が恐れと不安による萎縮を招く。
醒めた合理的、分析的意識を抑制し、感性を尊び、神秘体験や
超常的な意識のあり方にも心を開いていくことによって、
本来的な自己の自覚や宇宙・自然の聖性を直観することができる。
(4)自己変容は癒しと環境の変化をもたらす
個々人の霊性的覚醒や自己変容は自然や他者との調和に寄与し、
当事者の心や身体の癒しをもたらす。 また多くの人びとの
自己変容によって、個人的な癒しにとどまらず、 社会的地球的
環境にも良い効果がもたらされるだろう。
(続く) ニューエイジ【A】
(5)死後の生への関心
身体の死後、意識や魂にあたるものがなお存続する。あるいは
その可能性が高い。臨死体験は死後の生の可能性を示唆して
いるし、その他にも死後の生を示唆する現象はある。
少なくとも死後の生に強い関心をもつことで、死を意識しつ
動揺しない生き方ができる。
(6)旧来の宗教や近代合理主義から霊性/科学の統合
合理性を否定する伝統的組織的宗教と、精神と物質の二元論に
固執する近代合理主義が現代文明のゆきづまりをもたらしている。
かわって霊性と科学とが合致しうるような新しい全体論的な
知が育っているし、さらに育てていくことで明るい未来が
開けるだろう。
(7)エコロジーや女性原理の尊重
調和を重んじる霊性開発の思想と態度は、自然や身体に対する
支配ではなく、それらとの調和を求めるエコロジーの考え方に
通じる。また、父権的な男性支配を是正して女性原理に適切な
地位を与えようとする動きとも一致する。
霊的覚醒の動きは現代文明のこうした側面での変容と連動している。
「精神世界のゆくえ」島薗進著より引用 ニューエイジ【B】
(8)超常的感覚や能力の実在
人間は皆、潜在的に超常的な感覚や能力を発揮する可能性を
もっており、意識変容の修練によってそれは可能になる。
世界各地のシャーマン、霊能者などは、事実、透視や予言、
あるいは癒しなどの神秘的な力をもつ。その指示を
(9)思考が現実を変える
個人の意識は外界とつながり合っており、自己変容や霊性の
覚醒はそれだけで、現実に超常的、神秘的な変化を与える。
明るい想念をもてば、明るい現実(成功)がもたらされ、
恐れや暗い想念が失敗や不幸をもたらす。自己の運命は自己の
思考のもたらした結果である。
(10)現代こそ意識進化の時代
ある程度の数の個人の自己変容や霊性の覚醒が達成されると、
人類全体の意識が新しいレベルに進化する。 現代こそ新しい
意識進化のレベルへの移行が起こりつつある、人類史の
大転換点である。 新しい霊性に目覚めた者は、人類の進化の
道を先導している。
(11)意識進化は宇宙的進化過程のひとこま
このような人類意識の進化は、天体の運行などとも関連し、
宇宙・地球・人類の大きな進化過程の中で起こっている。
元来、「ニューエイジ」(新時代)とは占星学の理論で、
現代が魚座から水瓶座の時代への移行期であるとされるのに
由来している。
「精神世界のゆくえ」島薗進著より引用 ニューエイジ【C】
(12)輪廻転生とカルマの法則
人間の魂は死後も存続し続け、この世に再生してくる。
再生するまでの間、別の次元に存在し、この世とも交流する
ことがある。また、カルマは前世から現世へ、現世から来世へ
と受け継がれていく。
(13)地球外知的生命 (ETI)との接触
地球外の天体にも、意識や心をもった生物が存在し、地球人との
接触を求めてきており、すでに接触をもった人たちがいる
らしい。
彼らのなかには、地球人より霊的に高いレベルの存在もおり、
人類を指導しようとしているようだ。
(14)過去の文明の周期と埋もれた文明の実在
人類の文明は何度も発展と衰滅を繰り返してきた。失われた
文明では、現代の人類の模範となるような理想的な社会制度や
文化が実在していたのかもしれない。
(15)人体におけるチャクラや霊的諸次元の存在
人間には七つのチャクラなどの霊的スポットがあり、また
アストラル体、エーテル体、あるいは気などとよばれる、
物質と霊的なものの間を媒介する次元がある。
(続く) ニューエイジ【C】
(16)水晶・音・香・場所などがもつ神秘力
水晶は霊的な物質であり、水晶を通して意識の高次化が
促進される。他にも、音・香・日や水・特定の場所など、
神秘的な感覚や現象を引き起こす存在・情報がある。
(17)指導霊の実在
個々人にはそれぞれに生まれる前に指導霊が選ばれており、
人が高次の目的に向かって歩いていくのを助ける。
人はふだんから指導霊に触れ、その指示を仰ぐことができる。
(18)体外離脱や誕生前記憶の体験による霊魂の存在の確認
瞑想やブリージング(過呼吸による意識変容)によって自らの
霊魂が体外に離脱したり、誕生時やそれ以前、ときには前世の
記憶をよみがえらせることによって、この人生を超えて永遠の
生をもつ霊魂の実在が実感できる。
(19)チャネラーやシャーマンの真正性
異次元の「ソース」から高次の霊的な情報を得ることができる
とするチャネラーが、多数存在する。 異文化でシャーマンと
よばれる人びとと同等の存在である。彼らの伝えることがらは、
通常の経験や知識を超えた、重要な情報が含まれている。
真実の情報が得られる根拠として、世界のすべての情報を記録
した霊界のスーパー・コンピュータともいうべき
「アカシックレコード」の実在を信じる人もいる。
「精神世界のゆくえ」島薗進著より引用 以上が島薗教授がまとめられたニューエイジの輪郭ですが、
その真偽はともかく、そこから読み取れることは、
もはや形式的な教条主義であるキリスト教は衰退していく
であろうということです。
クリスチャンであっても、この新しい潮流を見極め、
意識的ないしは無意識的に取り込んでいる方はおられるでしょう。
そういう方々は当然、グノーシスや異端とされていた福音書も
読んでおられるであろうと思われます。 自分の心を信仰で固めてしまった場合、もはやいかなる
知性的、理性的な説得も通用しない。
でも私が思うのは、それは偽物の信仰だと思う。
本物の信仰は、
・神や仏の前に謙虚である心
・神や仏に比較して未熟である自分を知って心を練っていく
精進を続けていく心
・自分を生かして下さっている神や仏に対する感謝の心
・自分を飾らない素直な心
こうした心で満たされているから、
人の意見や忠告には耳を傾けて反省することができるし、
自分の思いの中に間違いがないか点検し、間違っていたら
正しい方へ自分を変えていけるはずなのである。
ゆえに本物の信仰とは、グノーシスでいうところの霊知を得る、
霊(プネウマ)に目覚める、ということと同義であると考える。
こうして考えると頑なで無反省な唯物論、無神論、
排他的な一神教信仰は偽物の信仰だと感じる。
一方で信仰ではないとされる哲学的な考察でも、
神や仏から見て是とされるものであれば、
それは本物の信仰だと思われる。 愛というのは神の心、
グノーシスとは神を知ること、すなわち、
自分の心のうちにある神性たる霊(プネウマ)に目覚めること。
神を知り、己を知り、お互いに愛しあって生きていく。
それこそが神が人に望まれる姿であり、
人が真に優しくなり、思いやりの心にあふれた真善美の世界、
プレーローマの現出であると考えます。 人の心のうちはなかなか見えない。
しかし、その人がどういう心を持っているかは、
その人が語る言葉をみたらよい。
暴言、悪口ばかり言ったり、そうかと思えば急に鬱になって
死にたいとか言ったりした場合、その心中がいかなるもので
あるかはある程度推測できる。
一方で、相手に対する思いやりや感謝の言葉が多い人は、
きっとその心は清いであろう。
しかし人は感情の生き物であるから、完全とはいかないだろう。
ただ、ある程度の期間をおいてチェックしていれば、
大体分かるのである。 他人を裁定する前にまず自分を知りなさい。
言葉の端を切り取って相手を知ったつもりになることこそ
まさに無明。 当スレは宗教差別等はございませんので、
クリスチャンの方、それ以外の方もぜひお越しください。
イエス・キリストが真に伝えたかったことが何であったのか、
大いに語り合いましょう。(^^)v ,-、 ,.-、
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/ ● ● ヽ| みんな、遊びに来てね!
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` 、 /⌒⌒i /⌒ヽ /
`/ | | \ / イエスが真に伝えたかったことは何であろうか、
それは、愛の心を持ちなさい、ということだと思います。
愛とは何であるか。
それは黄金律とも呼ばれる通り、
「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を
人に対してせよ」
ということだと思います。
しかし、キリスト教はそういう宗教ではないようなのです。
キリスト教は「イエスの愛」ではなく、「イエスが愛」
らしい。
ですからクリスチャンはイエスに習うことをせず、
イエスの愛で罪を贖ってもらう、ということを主眼としている
ようなのです。
これは私がキリストスレに来て知った衝撃の事実でした。 ゆえにイエスの十字架の贖いを信じないものは救われる
ことはない、という宗教になってしまったようです。
イエスの救いを否定する者は異端審問によって迫害し、
キリスト教を信じない人は人間ではないと言わんばかりに
奴隷にしたり植民地として支配しても構わないとして
それを神の名において行ってきた歴史がある。
「イエスの愛」ではなく「イエスが愛」なのです。
つまり、イエスに習わないということであり、
イエスの愛を行わないのです。
いや、「イエスが愛」ですらなくて、罪を贖う生贄の子羊に
してしまっている。それを信じることで義とされるから、
もはやそこに反省も悔い改めもない。
非常に危険な宗教になっていると言わざるを得ないのです。 もちろん、クリスチャンの中には聖書を正しく理解している
方も当然おられるでしょう。
しかし大多数のクリスチャンは間違った教理を教え込まれ、
真なる神の愛を見失っていると言わざるを得ないでしょう。 そう言えば、家に「永遠の仏陀」とかいう幸福の科学のパンフレットが入ってました
ちらっと見てみたら、大川さんは仏陀であり、かつイエスの父(神)であり、アッラーでもある
ってことになってましたね
幸福さんはこれ、本気で信じてます? >>59
私は信者なので当然、信じています。
それはどこまで行っても信仰なので、信じなければ
戯言にしか過ぎないと思います。
質問がございましたらできる限りお答えしたいと思います。 >>60
ありがとうございます
そりゃそうですよね、そうじゃないと信者とは名乗らないでしょうからw
わたしは幸福の科学についてはほとんど知らないので
たぶん大川さんの印象が幸福さんとは大きく異なるのだと思います
ものすごく短絡的な物言いをすれば、家庭内紛で揉めてる人が
お釈迦さんや神様だなんてありえないだろう、という印象です
わたしの場合は神様自体を信じていないので、大川さん以前に
神や仏の生まれ変わり自体を信じてはいないのですが
やはりイタコ芸やったり家庭内紛起こしたりしてる人が神様だなんて
ギリシャ神話や日本神話の世界ならまだしも、キリスト教の神だったり仏教のお釈迦様だったり
っていうのはどうにもこうにも結びつきません >>61
atheistさんは人間が死んだらどうなると思いますか?
死んだら無になるなら、別に神も仏も必要ないと思うのですが。
これはぜひともお考えをお聞きしたいです。 私が幸福の科学の教えに惹かれていったのは、
人間死んだらどうなるか、という問いに哲学的からも
ハイスピリットからの啓示としても答えていたからです。 >>62
わたしはこれまた何度か書いてますが、死後については基本的に無記の立場です
さらに言えば神の存在も非存在も証明はできないので、厳密には無記という立場です
わたしが無神論者と自称しているのは、神の存在を前提に自分の世界観を作っていないということで
唯物論者と言っているのも、究極の実体や目的(これがIdealismの本質です)を措定していないという
意味です
ですから物質を究極の実体として措定する唯物論はわたしの立場からは観念論ということになります
少し抽象的に言えば、わたしの立場は現象一元論であり、関係主義であるため、
おそらくは仏教の空の認識に近いものだと思います
ということで、死後という経験不能な領域については基本的には無記ですが
意識現象は単に個体の頭蓋内にある脳によってのみ生産されるものではなく
身体と脳、身体と環境の相互作用によって形成されるものと考えているので
身体の生命活動が停止すれば意識も霧消するであろうと推測しています
ただし意識を含む情報というものが必ずしも局在するものではないという可能性が
量子論的にはあるので、もしかしたら身体の生命活動が停止後も、なんらかの形で
意識という自己組織的な情報体が存続する可能性はあるかもしれないと思っています >>64
私も死んだらどうなるかは死んでみないと分からない、
というのが正直なところです。
もしも死後も意識が存在して、天国なり地獄なりの世界が
待ち受けていた場合、何としても地獄は避けないと
いけないと思っています。
つまり天と地を分けるものを生前のうちにつかみ取りたい
のです。
それを教えてくれるのは宗教しかないのかな、と。
もしくはグノーシス。
もし地獄に堕ちてしまった場合、そこから脱出するための
知識も習得しておきたいです。 死んだら肉体は無くなるはずなのに、地獄に堕ちたら、
相当痛い目にあうらしい。痛覚はあるらしいんです。
もしくは唯物論者だと死後の世界を認識できないので、
地上世界に地縛霊や浮遊霊となって彷徨い続けるらしいです。
願わくば天国に還りたいものです。
人間は例外なくいつかは死にます。
他人事ではありません。
生きているうちに死生観を確立することが望ましいと思いますが、
その辺、atheistさんはどう思われますか? 肉体感覚における生殖を暗に示す最初の叫びの残響がグノーシス 現在では「可知」と訳すのが適当であろうか
対義語はagnosticであり不可知
atheist(無神論者)の対義語はtheist(有神論) さらにその語源である<ガン>は第二義的意味において<知る>である
本来の意味は<生む>である ただヌース(理性)のみが原父の姿を捉えていた
信仰は可知の妨げにしかならない ゆえに彼らはグノーシス<教団>は作らなかった
どこまでも<主義>であった いや正確にはいくつかの教団側が取り入れた結果
<〇〇教的グノーシス>なる紛い物を量産してしまったのは
まことに忌むべきものとしかいいようがない 信仰者同様、atheistも決してグノーシストにはなれないだろう >私が幸福の科学の教えに惹かれていったのは、
>人間死んだらどうなるか、という問いに哲学的からも
>ハイスピリットからの啓示としても答えていたからです。
幸福の科学について詳しくは知らない。なぜなら大川某はちょっと頭がよいだけの芸人だと見抜いたから関心が
ない。人間の分際に過ぎない自分を神格化しようとする時点でその人間は贋者に過ぎない。だから相手にしては
いけないと思ったから幸福の科学に関して知る価値はないと判断した。
別に幸福の科学信者さんに喧嘩を売っているわけではないしケチを入れるつもりでもない。正直かつ偽らざる
自分の本心です。実はわたしにも少しは霊感がある。子供の頃から霊感体質というやつで世間一般の人とは違
っているようなのです。人間には第六感としての霊感があります。わたしは霊感を更に知りたいと望んだ。
霊眼で何が見えるのかを更に突き詰めようと思った。わたしの霊感は不鮮明であるから自分以上に洗練された
霊眼〔霊感〕の持ち主を探し求めた。縁がなければなかなか出会えないです。わたしは何人かの能力者を見つけ
出しては接触した。それら何人かの人達は確かに霊感を持ってはいたが大したものではなかった。先生と呼ぶに
値していなかった。しかし、わたしはある御縁から遂に先生と呼ぶに値する霊能力者との出会いに到達した。 >79 つづき
その先生の能力は本当に素晴らしかった。自分の霊感を15点とするなら先生の霊能力は85点だろう。
〔因みに霊感100点の人間は人間に非ず〕過去を見抜き今を見抜き未来さえも見抜く。死者と語り見えないもの
を見抜き聞こえないものを聞く。その能力は本当に素晴らしいものです。わたしは先生から多くを学びました。
なによりも収穫だったのは、わたしの霊眼は先生を通して先生の向こう側に厳然と存在している神仏を直接見た
ことでした。わたしは「見た」のです。それは疑いようもない明白な事実として「見た」のです。因みに先生は
純粋に人間です。わたしは先生を人間として尊敬しているのであって先生を神格化するつもりは全くありません。
また先生自身、御自分を神格化したりしません。わたしは自分の足で歩き自分の頭で考える以外に前へ進むことは
出来ません。先生は道を照らす燈火なのです。〔具体的に何がどう証明されたのかを説明するのは困難を極める。
第六感〔霊感〕によるところの出来事を五感に帰して何もかもを説明するのはそもそも限界があります。〕 あなたたちって互いの(信仰)を批判しあってばっかりだね
なるほどそれで匿名掲示板において>>1『必ずハンドル名を入れるように』推奨し
名で個を識別した上で>>49『その人が語る言葉』から『その心中がいかなるものであるかはある程度推測』出来るとした上で
『ある程度の期間をおいてチェックし』しているわけですね
実に賢く美しい方々だ 大川劉邦が東大卒とかいうのも案外よくある学歴詐称かもよ、政治家や水原も、よくある学歴詐称、多いよ 脳と身体の生命活動が停止すれば意識も消えるだろう。死んだら麻酔注射と同じ無。
だろうけど意識みたいな霊魂が残る、それがどうなるのかは知らないがその5%の可能性はあるよとエイシストさんは言っています。 そういったものを信仰に拠らず「科学的」に知ろうとした人達こそグノーシスト
そう、興味深い事例・事象は山ほどある
どんな偉い教祖様や霊能力者の言葉よりも雄弁に物語る
例えば臨死体験者と呼ばれる人達が存在する ・木内鶴彦 三度の臨死体験
・木村秋則 奇跡のリンゴ
調べてごらん〔動画にもなっているよ〕 ・・世界とは人間が五感で感じ取る世界よりも神秘的なのだろうね ありがとう、調べてみますね。
私が興味深いと思ったのは先天性全盲者の臨死体験の話でした。
無論、その方の語る言葉をそのまま鵜呑みにするわけにはいきませんが
視えたヴィジョンが第三者の証言と一致していたとか(これも確証はないでしょうけど)
まだまだわからないことはたくさんあるのですね。 まぁ「名無し」のままいろいろ書いてますけど
幸福の科学信者さんという「個人」(スレ主様のことです)を非難しようとしてるわけじゃないんです
ただ、もったいないなと…。
せっかく広範で複雑で難解な、そして魅力的なグノーシスというものに辿り着いたのだから
キリスト教的グノーシスに限定し、かつそれによってキリスト教を批判に終始するのではなく
もっと幅広く話せばいいのに、と個人的に思っただけです 春風さんが信じてるのはこういう主張なんでしょう?
https://m.youtube.com/watch?v=J9IbwYGtYcw
⭐イスラエルとイランの紛争ー銀河連合ソーハンから聞いた実態⭐byサラ博士 >>79
>人間の分際に過ぎない自分を神格化しようとする時点でその人間は贋者に過ぎない
神格化しようとしているのではなくて、
事実その通りだという主張なのでしょう。
そしてそれを信じるか否かは、その人の心が共感、共鳴するかに
かかっています。 随分とレベルの高い宗教スレですね。因みにグノーシス主義者たちの最終目標はプロレマという至福の世界(?)に入ることなんですか?その為の修行方法は禁欲と愛の実践ですか? >>80
もし私がアストリッドさんの先生とお会いしたら、
自分にしか知らない過去や心のうちを言い当ててしまう
のでしょうか。
だとしたらアストリッドさんにお願いがあるのですが、
他人の心のうちを見抜くメカニズムを聞いて頂けませんでしょうか。
何となく出来るとしか言いようがないのか、
それとも人の心に共感する力があってそれを引き延ばす
訓練があるのか、
それとも、霊的世界からそういう力を引き出す手法があるのか。
そのメカニズムを知りたいです。 >>88
ご指摘ありがとうございます。
>キリスト教的グノーシスに限定し、かつそれによってキリスト教を批判に終始するのではなく
もっと幅広く話せばいいのに、と個人的に思っただけです
イエスの教えは素晴らしいのに、キリスト教がダメダメなので
どうしようもないのです。
そして、キリスト教のダメダメな原因をすっきり整理して
いるのがグノーシスなのです。 >>92
グノーシスの目指すところは、アルコーンの支配からの
脱却であろうと思います。
アルコーンの支配から脱却するには、霊の知識を得ること、
すなわち「知る」ということ、認識の到達になります。
知は力なのです。
人は知らないことを実現できないのです。
知ることで実現の足掛かりを得るのです。
より多くを知るには関心領域を増やすことです。
つまり器を大きくするということ、器が小さければ
そこに貯められる水もまた少ないのです。 この観点からすると、ラピスさんは素晴らしいのです。
そのレスを読んでいると、関心領域の広さに驚きます。
それでいて綺麗な文章、美しいAAでまとめられているので
痺れますね。
それでいて信仰心が高く、それでいて寛容、
まるでエベレストを見るような宗教的見識の高さを感じます。
高いところから俯瞰すると物事の本質がよく見えるのだと
思います。 器が小さければ貯められる水も少ない、
イエスもそのように教えています。
だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、
わたしに示した愛の大きさで分かる。
赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」
(ルカ7:47) イエスに多くを赦されたクリスチャンは、
愛することもまた大きいはずなのに、
なぜかキリスト教は排他主義が強い。
キリスト教を信じない人は地獄に落ちると言って憚らない。 ああ、また批判してしまいました。
申し訳ないです。。。 アドバイスに従って、キリスト教をより幅広く、
良いところも語っていこう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています