仏教は分類好きだと思います
さまざまな状態に対して名称をつけます
そこに当てはまるようなレッテルを貼り、正そうとするんですね
でもキリスト教はそういうのはみな変化の途上にあることを知っていて、価値がないと思うのですよ
神であられるキリストだけが、人の生き方の模範であり完成なのです
私たちはもうふらふらする必要はないし、そこには何の価値もないし、永遠に未完成だと認めているので、キリストに繋がるしか「救い」はないとして信じています
キリスト以外はみな土であり、土に還るしかないガラクタです