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古本屋のつぶやき2
0001栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/16(土) 08:20:42.82ID:6UNXnNZb
古本屋が仏教について思った事を勝手につぶやくスレです。

1.sage進行でお願いします。
2.荒らしは完全スルーで。
3.体験談や雑談はお断り。
4.質問等には基本的に応じません。
5.コテハン・トリ付き必須。
6.発言には何故そうなのか根拠の明示を。
7.その他、スレ主の指示にはご協力を。

*仏教辞典(出版社不問)等は必携です。
0002栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/16(土) 08:28:40.22ID:6UNXnNZb
何であれ善く説かれたものであれば、それは全て釈尊の言葉である。
(増支部経典 アングラッタ・ニカーヤ164.7−9)
0003栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/16(土) 08:34:41.53ID:6UNXnNZb
スクリプト荒らしでdat落ちをしたので、計らずもPart2をたてる事となりました。
0007648
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2024/03/19(火) 19:47:48.33ID:EqAKeMYH
https://youtu.be/-AVggxkBnCE
「隻手」
 両掌相拍って声あり、隻手になんの声かある。
「無字」
 趙州和尚、因みに僧問う、「狗子に環って仏性有りや也た無しや」州云く、「無」。

https://youtu.be/VYyPDwT1c2c
04:20〜07:20
「無字」
 同上

https://youtu.be/smVrUhVaQa4?si=Zfg4V0nYPNI9M4I6
26:24〜31:15
「大力量人」
 松源和尚云く、「大力量の人、甚に因ってか脚を抬げ起こさざる」。
又云く、「口を開くこと舌頭上に在らざる」。
「無字」
 同上
「隻手雑則」
 隻手の音声を表で聞いたか、裏で聞いたか。
0008栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/21(木) 12:24:13.01ID:CvvkiNw2
メモ

全ての事物(vastu)は言語表現し得ない(『瑜伽師地論「真実義品」』)。
事物を捉える心のはたらき〜「分別(vikalpa)」
4つに分類できる真実(tattva)
 世間極成真実(世間で承認された真実)
 道理極成真実(通りによって承認された真実)
 煩悩障浄智所行真実(煩悩という障害からの浄化のための知の活動領域としての真実)
 所知障浄智所行真実(認識対象に対する障害からの浄化のための知の活動領域としての真実)
0009栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/21(木) 12:42:23.29ID:CvvkiNw2
有 〜 言語表象(prajn̄apti)の語を自性として定立されたもの。
0010栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/21(木) 12:49:32.82ID:CvvkiNw2
事物は不二(非有非無)
 増益(有) 〜 存在しないもの(言語表現によって成り立つ存在)を実在として誤認している状態
 損減(無) 〜 実在(言語表現し得ない本質を持ちながら、言語表現の基体となっている事物)を非存在として否定すること。

訂正
 有 〜 言語表象(prajñapti)の語を自性として定立されたもの。
0011栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/21(木) 16:51:57.70ID:CvvkiNw2
八種類の分別(『瑜伽師地論「真実義品」』)より
 自性分別
 差別分別(価値判断的、属性の付加)
 総執分別(部分の集まりを一つのものとして捉える分別)
 我分別(私は〜である)
 我所分別(私には〜がある)
 愛分別(好ましい)
 非愛分別(好ましくない)
 彼倶相違分別(好きでも嫌いでもない)
 
0012栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/21(木) 20:33:08.63ID:CvvkiNw2
八種類の分別(『瑜伽師地論「真実義品」』)が生み出す三種の事物。
 色等の名称を持つ事物
 有見身、我慢
 三毒(貪・瞋・癡)
0013栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/21(木) 20:35:01.97ID:CvvkiNw2
凡夫達には三つの事物を生み出し、世間を作り出す八種の誤った分別がある。
その分別は四種の如実知(ありのままの理解)を欠いているために起こる。
さらにまたこの誤った分別から汚れが起こり、汚れから輪廻の流転が起こり、輪廻の流転から輪廻に随伴する生老病死などの苦が起こる。
0014栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/21(木) 20:43:15.88ID:CvvkiNw2
①名称に関わる考察(名尋思)
②事物に関わる考察 (事尋思)
③本質の言語表象に関わる考察(自性仮立尋思)
④属性の言語表象に関わる考察(差別仮立尋思)
0015栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/21(木) 20:45:23.81ID:CvvkiNw2
@名称に関わる考察に基づく如実知(名尋思所引如実知)
A事物に関わる考察 に基づく如実知(事尋思所引如実知)
B本質の言語表象に関わる考察に基づく如実知(自性仮立尋思所引如実知)
C属性の言語表象に関わる考察に基づく如実知(差別仮立尋思所引如実知)
0016栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/21(木) 21:04:54.37ID:CvvkiNw2
「五事」とは、相(nimitta)、名(naman)、分別(vikalpa)、真如(tathata)、正智(samyagjnana)という五つの概念のことである。
0017栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/21(木) 21:07:48.17ID:CvvkiNw2
「五事」とは、相(nimitta)、名(nāman)、分別(vikalpa)、真如(tathatā)、正智(samyagjñāna)という五つの概念のことである。
0018栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/21(木) 21:54:54.25ID:CvvkiNw2
相(nimitta) 〜 分別の活動領域
名(nāman) 〜 日常的言語の活動領域
分別(vikalpa) 〜 相を活動領域
真如(tathatā) 〜 正知の活動領域
正智(samyagjñāna) 〜 真如を活動領域
0021栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/21(木) 22:03:07.30ID:CvvkiNw2
①真如を作意することが、真如を観ることにならないこともある。すなわち、分別に包摂される作意によって真知を作意する場合、通達しない限り、真如の相のみを観ることになり、真如そのものを観ることにならない。また通達したとしても、その通達の後に、言葉によって設定された真如を作意するのである。
②真如を観るようになったとき、真如を作意しないこともある。すなわち、真如に通達するとき、勝義として、相がないことを作意する(=相を作意しな
い)。
③真如を観ながら、同じ真如を作意することもある。通達後、言葉によって設定されたのではない真如を継続的に作意するのである。

④真知を観ず、真如を作意しないこともある。すなわち、道理に適合しない作意によって、相を作意する。
0022栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/21(木) 22:04:14.55ID:CvvkiNw2
@
真如を作意することが、真如を観ることにならないこともある。
すなわち、分別に包摂される作意によって真知を作意する場合、通達しない限り、真如の相のみを観ることになり、真如そのものを観ることにならない。
また通達したとしても、その通達の後に、言葉によって設定された真如を作意するのである。
A
真如を観るようになったとき、真如を作意しないこともある。
すなわち、真如に通達するとき、勝義として、相がないことを作意する(=相を作意しない)。
B
真如を観ながら、同じ真如を作意することもある。
通達後、言葉によって設定されたのではない真如を継続的に作意するのである。
C
真知を観ず、真如を作意しないこともある。
すなわち、道理に適合しない作意によって、相を作意する。
0023栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/21(木) 22:10:47.34ID:CvvkiNw2
  作意
C    →(通達=見性)→ 質的変化@→A→B
  観
0024栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/21(木) 22:15:17.78ID:CvvkiNw2
①真如には区別がないが、相には区別がある、
②相を知覚しても、真如を知覚したことにはならない
③真如を知覚することによって清浄になるが、相を知覚しても清浄とはならない。
0025栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/21(木) 22:18:04.06ID:CvvkiNw2
相と真如は異ならない。
しかし、相と真如は異ならないと云うべきではない。
0026栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/21(木) 22:21:43.24ID:CvvkiNw2
相は分別と相・名が互いに影響し合って、多様な行相を持った姿を顕すが、真如は言語表現による差異化を離れているので区別がない。
0027栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/21(木) 22:55:25.29ID:CvvkiNw2
①本性相
 ①先行する分別によって生じた相
 ②相によって生じ、周知のものとして成立した相
②影像相
 ①遍計所執のもの(parikalpita)は、勝解によって現れたものなのだが、本性として存在するものではない
0028栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/21(木) 23:20:23.34ID:CvvkiNw2
このような「摂決択分」の考え方の背景には修道論の影響が大きい。
先にみたように修道論の立場では、真如を作意するとき、初めは概念としての真如である「真如の相」を作意し、次第に真如そのものの直観へ向かって行く。
真如の相を作意している段階では、結局は相を対象としているので、作意は分別を伴っている。
修行者が真如に「通達」する段階に達したとき、真如の相ではなく、真如そのものを見ているので、もはや分別ははたらかない。

しかし、分別がはたらかなくなるなら、分別を原因としている本性相は生じなくなるはずである。
本性相は世間の人々に共通して認知されている対象だが、修行者が真知に通達したとき、世間の人々と共有されている本性相も消えてなくなってしまうのであろうか。
言い換えると、一人の修行者の内的体験である真如への通達は、修行をしていない世間一般の人々が経験している世界も消失させてしまうのであろうか。
「摂決択分」はこの問題について、次のように答えている。
0029栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/21(木) 23:21:32.77ID:CvvkiNw2
事物は共通でない分別という原因から生じるものと、共通の分別という原因から生じるものがあるので、共通でない分別という原因から生じたものが分別されない場合、それは滅することになるが、共通する分別という原因から生じたものが分別されない場合、それは他者の分別によって把捉されるので、滅しない。
さもないと、他者の分別は無意味になるであろう。
それ(他者の分別によって把捉される事物)が滅しないとしても、清浄を本質とする見は清浄になると認められるべきである。
それは例えば、多くのヨーガ行者たちが、一つの事物に集中した智恵により、多様に勝解するとき、多様な見が得られるということと同様である。
0030栖雲居士 ◆dqam8SqGUPdm
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2024/03/23(土) 13:11:17.35ID:s841P7AO
可動域でしか曲がらない関節の不自由さを享受しながら動かすことに真の自由があるのかもしれない。
0031神も仏も名無しさん
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2024/03/23(土) 21:41:17.71ID:unrD+MlD
ニコルンだってそれ言うの100%
0032神も仏も名無しさん
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2024/03/23(土) 21:45:26.50ID:YR83IPSz
>>29
撮り鉄限定やないけど
主役自体が微妙なんだから2~3日以上やるとPS4がめっちゃ発熱するんだが
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