さて、私は思います。私達の知られたものとしての世界は疎遠なものだ。私はその世界に対しては隔たりをおいています。
私や旦那様の悟性や
知性によって知られるものや経験できるものは、単なるそのようなものとしてだけなので私を突き放す。
それらは私にとって他人です。
私はそれらのものに対して冷淡です。

それらは現実には強力な因果律に委ねられ論理的強制に委ねられてます。

そこからは私の血縁ある何らかの言葉を聞くことがない。

なのでそこには私の安住の場所はない。

私や旦那様が、より決定的に世界を理解すればするほど何の慰めも与えぬこの世界。

慈悲でも無慈悲でもなく会社で法則性に従ったり
偶然に何かあったり、戸惑ったりしながらも
世界は非人格的なものとして私に相対し
部分的には知れても全体としては決して理解できないから、どのように生きるのか世界を捉える術はない。


それにもかかわらず、私は別の世界を知っている。
その世界は、くつろぎと安らぎがある。