>>765 おはようございます。

>ほぼ共通してユダヤ教には原罪の観念はないか、
>あっても希薄だということでした

かなり前になりますが、
そう言う話を、どこかで読みましたが、
はっきりしないなと思いました。

調べ考えている内に、
パウロの、「アダムの罪」の人類への普遍性、
人間に罪が入り込み、死の支配をうけなければならない
といった、順序だてた論理構築が
ユダヤ教は希薄なのだと、思いました。

ユダヤ教は、アダムとイブの神話を重要視していない
のは、選ばれたイスラエルと神との関係の罪に重きがあり、
人類という普遍性に拡大されにくいのだと思いました。

なぜユダヤ教が嫌厭されるか、神に選ばれたという
選民思想で、頑なであり、
硬い殻の中での終始が特徴であり、意識がそこに向いており
解り難いのです。

パウロは、閉鎖空間から、
アダムを用いる事でイエスの十字架を贖罪として
人類に拡大する、基盤を残しました。
(ロマ5:12以〜)
これは、いづれにしても、ユダヤ教の強烈な
罪意識がないと、現れにくい思想ではあると思います。