マリア崇敬を拝察するに、それを取り次ぎや仲介者として観る時、仏教での同行二人者としての祖師崇拝を想起するんです。

向こう側というよりこちら側の方へのそれですかね。

日本ですと空海さんや親鸞さん、日蓮さんがそれに当て嵌まりそうですが、そうした方々は他の祖師方と比較して奇蹟譚が多い様な気もします。
おそらくそれら伝承の多くは、国家仏教から見ればアウトサイダーに位置する、聖(ひじり)とか遊行者と呼ばれた方々のそれに重ね合わされたものなのでしょうが。