>>661
『マリア観音とは、「1614年(慶長19年)に徳川幕府による禁教令が出されたのち、
1873年(明治6年 )にキリシタン禁制の高札が撤去されるまで、
およそ250年にわたって、
主に江戸時代の禁教令によって弾圧を受けた隠れキリシタン
によって、カトリック信徒の信心の対象である聖母マリアに
擬せられた観音菩薩像。』

ですが、
私も何度か直接拝見する機会に恵まれました。
秀吉の時代から、バテレン追放やキリスト教禁止令が出され、惨い処刑で殉教者が
出始めました。
わたしは、長崎の西坂の殉教者の十字架刑を描いた複写を手に入れて、
引っ越しで、住宅事情がかわるまで、壁に掲げて、手を合わせました。
家康の禁教令が出されるともう隠れキリシタンに
なるしか、ありません。

禁教令には理由があります。
男性世界と関係していて、そこから俯瞰的分析すると、歴史も現代も
よく観えてきます。

マリア観音は、最初中国から入ってきていた
磁器の慈母観音を聖母マリアと重ねます。
哀しみを慰めつづけ、信心の灯をたやす事がなかった
人々を励まし命の母として支えた、マリア観音のお働きは、
先日からの話に、関連して説得的な深みを添えると
思いまして。

一灯を燈し周りを照らす、キリシタン灯籠も、見て回りました、
紹介されていない灯籠もみつけました。
桂離宮には、7つのキリシタン灯籠があり、それとは解らないように造形に工夫を
凝らすようになったのもわかります。

(つづく)