>>357
キリスト教を発生論的に観ると、処女懐胎のエピソードを書いたマタイ・ルカの時代においても
マリアはキリストの受肉のための器として捉えられていたし、救いに関して特別な存在としては
扱われていなかったように思います
より後代のヨハネではただの婦人扱いですし

ですからわたしには処女懐胎神話のなかに原理としての母性原理は潜在していたとしても
キリスト教の形成当初は必ずしも母性原理が強調されていたわけではないように思えます

おそらくは2世紀以降、小アジアの地母神信仰と融合する形でマリア信仰が形成されていき
テオトコス論や無原罪の御宿り論などへと神学的に彫琢されていったのだと思います

ただし、ユング的な意味での包含の原理としての母性原理であれば
イエスの言動のなかにそれを見て取ることもできるのではないかと感じます
マタイの有名な「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも
雨を降らせてくださるからである。」というイエスの言や、罪人と交わるイエスの描写などに
等しく愛を注ぐ神の姿が見て取れるように思います