【イエス】癒し主 救い主【キリスト】Part367
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『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
(マタイ 22:37-38)
肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。
わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
(ガラテヤ 5:19-24)
だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
(ルカ 9:23)
もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
(ヨハネの手紙第一 1:10)
あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。
(マタイ 28:10)
※前スレ
【イエス】癒し主 救い主【キリスト】Part366
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1674919392/ そうなると「天を知るための道ってあるのかな」つまり「勝負事に強くなるための芸術論ってあるのか」が
議論された。
「トキメキを忘れたら山に行け」というのが一定の答えとなった。 ローマ教皇、同性愛禁止する法律を非難 英国国教会の指導者らも教皇を支持
https://www.bbc.com/japanese/64533906.amp
教皇フランシスコは記者会見で、カトリック教会は秘跡の儀式としての宗教的な結婚を、同性カップルに認めることはできないとする自身の見解を繰り返した。
しかし、いわゆる「シビル・ユニオン」(シビル・パートナーシップ、市民婚姻)を認める法律は支持していると述べ、同性愛を禁止する法律は「無視できない問題だ」と語った。
世界で50カ国が「何らかの方法で」性的少数者(LGBT)を犯罪者と見なしており、そのうち約10カ国が死罪を設定しているとの見解を、教皇は示した。
性的少数者の国際協会「ILGA」によると、国連に加盟する66カ国が同性愛関係を違法行為と定めている。
「これは正しいことではない。同性愛傾向を持つ人々は神の子供たちだ」と教皇は述べた。
「神は彼らを愛し、彼らと共にある(中略)こうした人々を非難するのは罪だ」
現在のカトリック教会の教義では、同性愛は「逸脱した行為」とされている。教皇フランシスコは以前、教会内での同性愛行為という「深刻な問題」を「懸念している」と話していた。
しかし教会の保守派は、教皇が性道徳についてあいまいなメッセージを発していると非難している。
就任直後の2013年、教皇は同性愛行為は罪だとするカトリック教会の立場を再確認したが、同性愛者であることは罪ではないと付け加えていた。
5年後のアイルランド訪問時には、信者は子供が性的少数者だからといってそれを理由に絶縁することは許されず、愛する家族の中にとどめなくてはならないと強調した。 教皇フランシスコ、同性愛は「罪」だが「犯罪」ではないと発言
https://www.christiantoday.co.jp/articles/31929/20230126/pope-says-homosexuality-is-not-crime-but-sin.htm
インタビューの中で教皇は、同性愛は「罪」だとしつつ、「罪と犯罪」を区別する重要性を強調。「同性愛であることは犯罪ではない」と述べた。
「私たちは皆、神の子です。神は私たちをありのままで愛しておられます。一人一人が自分の尊厳のために戦う必要があり、その強さのために神は愛してくださるのです」
教皇は、罪と犯罪の違いに言及し、「互いの慈愛を欠くこともまた罪です。それについてはどうでしょうか」と問いかけた。
教皇は、同性愛行為を犯罪としている国が世界には数十カ国あり、複数の国が死刑に価する犯罪に分類していることを指摘。そうした法律は「不公平」だとし、カトリック教会はそのような法律に反対しなければならないと話した。
国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」のまとめ(英語)によると、アフリカ、アジア、東欧、カリブ海や太平洋の小さな島国を中心に、世界では67カ国が同性間の性的関係を違法としている。そのうち同性愛行為が死刑になる国には、ブルネイ、イラン、モーリタニア、ナイジェリア、カタール、サウジアラビア、イエメンがある。
今回の発言は、教皇のこれまでの発言に続くもの。教皇はこれまで、結婚は一組の男女の結合であり、同性愛は罪であるとするカトリックの教義を変更することを断念する一方で、同性に魅力を感じる人々を歓迎する姿勢を呼びかけてきた。 >>901と>>902には異なることが書かれている
同性愛者で「ある」ことは罪か
同性愛行為が罪か
と存在と行為にまつわる罪について カテキズムにはこうある
2357 同性愛とは、同性に対してのみ、もしくはおもに同性に対して性愛を抱く男同士、または女同士の関係を意味します。これは時代や文化の違いによって、きわめて多様な形をとっています。
その心理学的原因はまだ十分には解明されていません。これを重大な堕落としている聖書に基づき、聖伝はつねに、「同性愛の行為は本質的に秩序を乱すもの」であると宣言してきました。
同性愛の行為は自然法に背くものです。これは生命を生み出すはずのない性行為です。真の感情的・性的補完性から生じるものではありません。どのような場合があっても、これを認めることは出来ません。
この傾向は、客観的には逸脱ですが、彼らの大部分には試練となっています。
したがって、同性愛的な傾向を持つ人々を軽蔑することなく、同情と思いやりの心を持って迎え入れるべきです。不当に差別してはなりません。これらの人々は、自分の生活するの中で神のみ旨を果たすように、キリスト信者であれば、自分のこの傾向から生じる困難をキリストの十字架の犠牲と結び合わせるように、と呼びかけられているのです。
2359 同性愛的な傾向を持っている人々は貞潔を守るよう招かれています。内的自由を培う自制の徳によって、時には友人の献身的な助けのもとに、祈りや秘蹟の恵みによって、少しづつではあっても確実にキリスト教的完全さに近付くことができるし、またそうしなければなりません。 カテキズムでは「行為」に重きが置かれており、「存在」には迎え入れるべき、と書かれている
その意味では>>901が正しく、>>902は原文を聞かないと客観的な判断は出来ない >>902のインタビューの原文を確かめた
確かに話の流れで、犯罪ではあるが罪、とは言ってたな
でもその後で、同性愛者であるのは、犯罪ではなく、「状態」だ、と強調して言っている
つまり、同性愛者である、とは同性愛行為とはイコールではないため、>>901の発言を意図していることが分かった キリスト教は「創造」に仕え、かつ「自然法」に反するから、同性愛を「秩序からの逸脱」と捉える
だから同性婚を「祝福」することが出来ないと語る
科学において、創造における同性愛の「機能」が解明されるまではこのスタンスは変わらないだろう 創造において同性愛は必要である
従って、一定の確率で同性愛者は生まれる
これは創造における自然法の摂理に適っている
だから、同性婚であっても祝福されるべき
こういった論理が可能になる事実がない限りは祝福は無理 生物学的には同性愛は一定の論理的で合理的な説明の範疇にある
ただ、霊魂を持つ人の場合でも同じことが言いうるか、が論点になりますな
自然界ではクィアは当たり前 展示会で見る性の多様性
https://www.swissinfo.ch/jpn/business/自然界-クィア-当たり前-性-多様性-生物-同性婚-動物-生態学/47258750 ざっと見る限り、まだ結論は出ていないようだ
「ゲイ遺伝子」は存在しない、米ハーヴァード大などの研究で明らかに
https://www.bbc.com/japanese/49520044.amp つまり、>>909の論理はまだ構築できない
が教会の答えになるだろう ただし、この世の一切の創造において、「無駄なものは何もない」に同意しないキリスト者はいないだろう
その場合、生物学的には必然性が説明できても、人間には出来ない現状の中で、同性婚の祝福の根拠になり得る
が、ここらへんは歴史と伝統、保守派とのバランスを踏まえると、「フラットではない」のだから、保守寄りに傾くのも必然
この意味でも、まだ同性婚の祝福は科学の発見を待つしかないな
一方で、教会は「差別の是正」に関しては歴史と伝統と罪を踏まえて行う義務がある
カトリックの現在地はこんなところだろう ソドムゴモラあるしなあ
新たなご出現なされてメッセージ発してくれれば分かりやすいんだけれども
今は基本イルミ・メーソンの社会性道徳破壊作戦の一環思とりますが 1997年といえば今から26年前、「イエスの仮説」邦訳が出版された
フランスで出版されたのが1976年だからさらにその21年前、今からざっと47年前だ
これをもってすでに結論は出ている、はずなのに、終わらないんだな
なぜなら世代交代があるから
しかも一世代の人生でも浮き沈みがあり、挫折から拾われたり、成功しては利用されたりする
懐疑的になったり、響いて来なくなったり、死んだりする
受け継がれ、信じられ、行われるということが出来ていない もうさ、古いマルコの記事からケリュグマは宣言されてるってさ
イエスが神であることはその初っ端から切り出されてるんだよ
批判派(歴史的錯誤を主張)や神話学派(徐々に神格化されたと主張)は、木っ端微塵にされてるはず 神道、仏教の国である日本がカトリック を弾圧して来た過去
そして強制的に神社を礼拝させ、プロテスタントを弾圧していた現実と向き合って欲しい 何が平和な国だよ
農民を弾圧して斬り捨て御免してきたエリート武士の野蛮な国だろ まぁ、キリスト教は欧米からしたら植民地を広げるための尖兵隊みたいな機能もあるわけで、政治の話でしかないな、と思うわ 最近日本人はアベルとカインのカインの直系なんじゃと感じるのよね
農耕、人殺し、呪われ… あとは、キリスト教の航海時代と連動した宣教の世界への拡がりの背景に、教派間の争いもあった
プロテスタントとカトリックは世界に拡がりながら教会を広げて行く中で、世界地図の陣取り合戦みたいな競争の観点も確実にあった
これは「宗教における」政治の話だな 般若心経(ハートスートラ)は、「山にはドキドキと涼しさがある」とした。
つまり、山は巨大冷蔵庫であったため、皇位継承がうまくいけば夏は涼しかった。
「秋篠宮皇嗣殿下?」「小室圭?」
夏が暑くてたまらない。
名門の家は勝負事に強くなければならない(名実)。
令和天皇がそうならば、後継者には悪意のある言葉が浴びせられる(言意)。
これを、「平常運転にする」ことを「常」と言った。
この後継者でいいかどうかは「天気に聞け」と言われた(名理論)。
上皇は平成の晩年に、天皇誕生日で「前日の火事の話題」をしている。
すべてうまくいっていたのだ。
私は「母系世襲」を見事に成立させたが、後継者が「寒い冬」「暑い夏」をもたらしていた。
しかし、男系男児に凝り固まらず「秋篠宮」「小室圭」を排除し終えたら、
「案外快適」(常)と考えられた。
後継者問題というのは気象にも影響を与える。
後継者の心構えを「知行合一」と呼ぶ。
「お手ふりをしたいだけの人間」を排除すれば天気は安定するのだ。 民草は、ダメな後継者を悪意のある言葉(言意)によって排除していればよく、
それで天気は安定するのだ(常)。 天気や気象は間違いなく「天皇家の問題」であった。
有能な男を排除しようとしても、ダメ人間を祭り上げようとしても必ず天変地異が起きる。
美智子上皇后などは「ダメ人間を祭り上げようとして天変地異を唱える」という
エヴァンゲリオンのような人だった。
まあ、この世が終わってしまえばいいのに、と考える人は確かにいる。 あれま、タイムリーだ
カトリック正平協、JOC 『福音と社会』差別的「書評」で声明「深刻な二重加害」 2023年2月15日
http://www.kirishin.com/2023/02/15/58783/
カトリック社会問題研究所(狩野繁之代表幹事)が発行する雑誌『福音と社会』の323号から325号に掲載された『LGBTとキリスト教 20人のストーリー』(日本キリスト教団出版局)の「書評」が差別的内容だと批判する声が上がっている問題(本紙2月1日付既報)で、日本カトリック正義と平和協議会(ウェイン・バーント会長、エドガル・ガクタン担当司教)は2月13日に声明を発表した。
声明は、この書評に「看過し得ない偏見、差別的表現が随所に認められ」るとし、『LGBTとキリスト教 20人のストーリー』に寄稿もしくは対談に応じた「LGBTQ+(セクシュアルマイノリティー)当事者20人の方々を著しく傷つけるものであったと考えます」と主張。この20人のうちの多くがLGBTQ+に対する無理解と差別によって、教会から排除された経験を語っており、「カトリック司祭によって執筆された本書評は、そうした経験にさらに追い討ちをかけるものであり、深刻な二重加害にあたる」と訴えた。 >>930
それを知るあなたは何者なんだ?
それを知り放置したのか?
それを知っていても放置したのか?
務め努め勤め
石原慎太郎さんを呼んだ方が良いようだ
文句無いな
食らわされても逆上するなよ 記事の掲載を決定した『福音と社会』編集部に対しては、この20人の訴えに真摯に耳を傾け、数多くのLGBTQ+当事者に想いを寄せ、責任ある行動に向かうよう要請した。
また、これに先立ちカトリック青年労働者連盟(JOC、レネ・カンデラリア全国担当司祭)も2月10日、「LGBTQ+の人々とともに歩みます」と題する声明を発表。JOCは当初、『福音と社会』の発行元である同研究所宛に直接意見文を送り、発行差し止めと公の謝罪を求めていたが叶(かな)わず、同誌への寄稿も提案されたが、「編集部からの謝罪でなく、もう一方の意見も載せることでバランスを取るようなことは、今回の件において適切な解決ではないと考え」、JOCの意見と立場は別の場で公にすることにしたという。 声明は「LGBTQ+(性的マイノリティ)の人々とともに歩みます」「聖書の言葉を差別の理由に用いることに反対します」「トランスジェンダー差別に反対します」との立場を明示した上で、「ヘイトスピーチは言葉の暴力であり、差別意識を扇動し、人の命を脅かすもの」「このような、人に危害を及ぼす文章を一意見として取り扱い、掲載した上で、反対意見も掲載して中立に立とうとする『福音と社会』編集部の態度」に抗議の意思を示し、「差別者と被差別者の間で、中立でいようとすることは、差別への加担にしかなりえません」と改めて批判した。 各声明の全文は以下の通り。
『福音と社会』に掲載された
「『LGBTとキリスト教―20人のストーリー』を読んで」について
日本カトリック正義と平和協議会は、『福音と社会』No.323,324,325掲載の書評「『LGBTとキリスト教―20人のストーリー』を読んで」には、看過し得ない偏見、差別的表現が随所に認められ、『LGBTとキリスト教―20人のストーリー』(日本キリスト教団出版局、2022年3月)に寄稿、あるいは対談に応じられたLGBTQ+(セクシュアルマイノリティー)当事者20人の方々を著しく傷つけるものであったと考えます。 また、20人の方々はキリスト者であり、そのうちの多くが、キリスト教会のLGBTQ+に対する無理解と差別によって、教会から排除された経験を語っています。カトリック司祭によって執筆された本書評は、そうした経験にさらに追い討ちをかけるものであり、深刻な二重加害にあたると考えます。
この記事の掲載を決定した『福音と社会』編集部には、この20人の方たちの訴えに真摯に耳を傾け、またその背後にあって、差別によって今なお見えにくくされている数多くのLGBTQ+当事者の方々に想いを寄せ、責任ある行動に向かってくださいますよう、お願いいたします。 日本カトリック司教団は、『いのちへのまなざし【増補新版】』(カトリック中央協議会、2017年3月)において、「イエスはどんな人をも排除しませんでした。教会もこのイエスの姿勢に倣って歩もうとしています。性的指向のいかんにかかわらず、すべての人の尊厳が大切にされ、敬意をもって受け入れられるよう望みます。同性愛やバイセクシャル、トランスジェンダーの人たちに対して、教会はこれまで厳しい目を向けてきました。しかし今では、そうした人たちも、尊敬と思いやりをもって迎えられるべきであり、差別や暴力を受けることのないよう細心の注意を払っていくべきだと考えます」(27)と述べています。 カトリック教会のメンバーである私たちもまた、LGBTQ+の方々に教会の扉を閉ざし、差別し、ときには自死に至るまでに尊厳を傷つけてきたことに気づき、「すべての人はひとしく神の子である」というイエスのメッセージを、この地上に実現するための回心の恵みを、主なる神に願います。
2023年2月13日
日本カトリック正義と平和協議会
会長 ウェイン・バーント
担当司教 エドガル・ガクタン
協議会一同 コピペ終わり
やはり、「差別の増長に教会が加担した罪」へのムーブメントは当面続くだろうな >>932
語弊がある
石原慎太郎さんと意を共にする
存在達。だな!
OK >>940
気を期を器を見て視て
やったんぜ!
やったんぞ! 中国では「天気」を天皇家の後継者問題と位置づけ、さらに「母系世襲論」と心臓を
結びつけた。
イスラム教においては、アラーとは「セカンドマスター」と呼ばれ、「女子たちの支持が盤石な者」
が心臓にいいとされた。
まあ、ガンがシャーマニズムによって酒を飲んで周囲が「成仏してください」と言えば
治るのに対して、
心臓は「山」という冷蔵庫や、女心の研究でよくなるものであるとされたのだ。 明後日の方向に
打ち始めた。
馬鹿?
阿呆?
あほう セカンドマスター(女子たちの支持を固めた者)は、天・星座・土星・木星・火星・太陽・金星・水星・月
の順番に街の秩序をもたらし、中国では「山がいちばん天に近い」と考えられていたのに対して
「天体」を利用したのがイスラム教である。
天体の動きと人間社会の序列や心臓を考えていたものとされている。
人間以外に「月に吠える動物」はいなかった。
元彼と久々にセックスしたけどあくまでもシンデレラ、彼女のもとに帰って。
https://www.youtube.com/watch?v=5vMqi1r_ZD8 「女は太陰暦のもとを生きている」(女は月を見てはいけないのよ)。
それでも、月を見ると男は優しい気持ちになったし、彼氏の優しさを確かめたくて
月を見た。
裏側には二人の女(金星・火星)とオカマ(水星)と多くの男たちがいた。
いつか「社会」という宇宙に行けるかしら。
https://www.youtube.com/watch?v=TBKrMVpjrTQ 月の裏側には常に秩序が存在した。
それにしたがって、天体の歌を歌えば心臓は落ち着く。
いじめが存在し、多くの男たちが女の卵子をめがけて戦っていた。
それでも「いい歌」を歌って戦いに勝たなければならなかった。
https://www.youtube.com/watch?v=93zGwjqGPsk 6章が一番長かった
しかしやっと乗ってきた
やっぱりカトリック 信徒らしいこと書いてるからかな?
わざと懐疑的になってみるのも悪くないけどさ、「らしさ」がないからぎこちなくなってしまうんだろうね
私もキリスト者の端くれだからホッとしてる 二人の女とオカマと男たちがいるのが月の裏側なのだ。
それを歌にできるようになるころには心臓も落ち着いてくる。
来るときは女が二人同時に来る。
そこで、失敗して殻に閉じこもらない男を社会人と呼ぶのだ。
女がやかましくベルを鳴らしてくるなどするのが心臓に悪いのだ。
この「コリジョンルール」以外に心臓に悪い要素など世の中にはない。
タバコを吸ってウォークマンを聞く分には好きにしたらいい。 外から力で押し出す神、万有を指先一つで回転させる神が、一体、なんであろうか。 金星と火星を突破すれば晴れて社会人だ。
「女にいい思い出しか残さないこと」
それは「おっぱいを褒める」こと以外にない。
https://www.youtube.com/watch?v=dVh9XyguiUE また、芽が成熟するプロセスをジャンル分けしたのが生物学である。
ライフサイクルがそれぞれの種ごとに異なるのだ。
これらを歌にしても心臓にいい。
https://www.youtube.com/watch?v=lhEK1mxOm-I 顕微鏡がなかった時代には「精液に小さな人間がいる」と考えられていた。
これが男系男児の背景にあった。
しかし、今は「卵子」というものとそれをめぐる男たちの戦いが存在し、
母系世襲論という形でおおらかに考えられるようになった。 4万人殺しても救世主だと崇められる神のように
オレも一流のペテン師を目指さないといけないな 死んだ人も生きている人も、酒を飲めば、ひとつになれる(死者の書・光だけが帰る場所).。
しかし、統一教会に「ご先祖さま」まで持ち出されたらさすがに問題が多い。
死者には我々にとって「階級」と「収集能力」が存在するのだ。
相続とは「血の代償」という意味合いがあり、
何の資産ももたらさなかった「ご先祖さま」を供養するカネがない。
しかし、女=カネという立場に立つと、有力な政治家になればなるほど「収集能力」が
必要になってくる。
このことが、二世三世議員を多く出す理由となっている。
本人なりの骨肉の争いと死者の重要性(階級)と、女=カネとの相談の「収集能力」が
求められるため、
どのみち、政治家一家は名門とならざるを得ない。
「光だけが帰る場所・死者の書」
https://www.youtube.com/watch?v=C86HjcGmpgA 有為無為両忘(ういむいりょうぼう)。
有為(うい、生滅を繰り返す無常なる世界)と無為(むい、不生不滅の常住不変なる世界)のどちらにも執着しない。
私は、真の無我の境地を体得したので、煩悩を上手に制御できるように成りました。 創造神とやら
お前のてぃんこを見せよ
てぃんこ(信仰)なんだろう?
面白いな よい子には目の毒だが
我 付き合うよ
おい!己のてぃんこ(信仰)見せよ! 有為無為両忘(ういむいりょうぼう)。
有為(うい、生滅を繰り返す無常なる世界)と無為(むい、不生不滅の常住不変なる世界)のどちらにも執着しない。
私は、真の無我の境地を体得したので、煩悩を上手に制御できるように成りました。 私の「収集能力」はここまでである。
鐡之助が私の父方の祖父にあたる。
https://gos.but.jp/kono.htm
貞女と元蔵が私の母方の曹祖父母にあたる。
https://gos.but.jp/akagi.htm 系図を見ながら酒を飲むことを「亀は万年」という。
隣の芝生が青く見える人は「鶴は千年」というのだ。 ご先祖さまというのは「生きている人たちへの無関心さと誠実さ」が知られている。
地縛霊と化した私の弟が、酒を飲むたびに乗り移ってきていたが、
系図に「見長」という面白い名前があったため、「けんちょう!けんちょう!」と
言っていたら、弟が失神してしまった。
地縛霊を成仏させるためには、他のまともなご先祖さまの名前を呼んだ方がいい。
また、「日本人の名前にはもっと多様性があっていいのではないか」とも言われ、
漢字の読み方がさっぱり分からない子供の名前もそのような観点からは
支持されてもいいものと考えられる。 ユダヤ教においては、創世記はほぼ「名前一覧表」であるが、どれかを呼べば
地縛霊が昇天するのかもしれない。
日本人の家庭でどこまで地震の系図が明らかになっている人がいるかは
明らかでない。
ご先祖様の「生きている人への無関心さと誠実さ」さらには「名前の多様性」
を利用してガンを治療した方がいい。 日本人の祖先に「ソロモン」「ダビデ」「ヨゼフ」などという名前があるとは到底思えないが、
儒学(ファミリーライン)や仏教を踏まえるのならば、
ユニークな名前のご先祖さまに地縛霊を退治してもらった方がいい。
生きている私を「地獄に引きずり下ろす」などという遺書を書いた弟であるから、
サードパーティのご先祖さまに何とかしていただくしかない。 あるいは「由緒正しい地元の名士」のご先祖さまに頼ることも可能だ。
天皇家はそのような意味ではあまり縁起がよろしくない。 「秋篠宮」なんて今となっては「怨霊」以外の何者でもない。
日本一の旧家でも何でもねえな。 まあ、しかし「天皇家の歴史は伝説の歴史」である。
家の系図が明らかでない人にとっては必要なのかもしれない。
「死んだ後に役に立つ」
それが天皇でありたいと私は考えている。 カタカナは読みにくい
人名か、地名か、学術用語か、言語か、わかりにくい
田吾作でもいいから一時変換してくれないだろうか 私、前に「イエスの仮説」読んだことあるわ
図書館で借りたのかもしれない
8章で著者が信仰義認を否定するような解釈を話し始めてから思い出した
何か、がっかりする結末だったような気がする 私は、酒を飲んで地縛霊を追い払うために東照大権現さまを召還した。
東照大権現とは徳川家康であり、関東地方の守護神である。
おそらく私の父であろう。
関西地方の守護神は豊国大明神(豊臣秀吉)であり、私の弟である。
ガンというものは重篤な病気である。
必要なのはエビデンスであり、私の父と弟をこのように配置したことから
治るのであればいい宗教である。 名前欄入れろくんはあぼーんしてるから新スレ立ててるの気付かずに新スレたててもうた(^_^;) 天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。 み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。 わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。 わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。 国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。
アーメン レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。