史学的なものの観察を通じて史学的なものを乗り越えこれを破壊することによりはじめて私は本来的な存在確信としての歴史的意識に達します。
私は常に自己の可能性にして観察者というこの両者です。私の観察に対して世界史の舞台が開かれます。その舞台の上に私はこれまでの人間に可能であったものの多様性と多数の世界のうちの一つとして自分に伝えられた世界とを眺めます。
史学的に個別された者としての私はこの舞台の上で動く数十億人のうちの一人です。
しかし本来的な私は観察の中へ対象として入れられること無しにこの観察のすべてを行うことが出来るし、また、観察を通じて未知の本来的な私との接触を持つことが出来るのです。