おはようございます〜。^^

>>885
>しかし、この記事を読んでみて、ある一つのことが旧約聖書も新約聖書も変わらずに書かれていると再認識しました
>それは、神は必ず罪には罰を与えるけれど、悔い改めるさえすれば救いと報いの道は用意されているということです

質問者さんの >>85-886 の意見は神の本質をよく捉えていると思いました。
特に、次の発言から、旧約の神も新約の神も同じだとの思いを再び強くされました。
『神は必ず罪には罰を与えるけれど、悔い改めるさえすれば救いと報いの道は用意されている』

神は罪を裁かれるし、悔い改める人を許される。
これは旧約も新約も全く変わっていない神の本質だと思います。

ではなぜ、旧約と新約においての神の姿は、全く違うように見えるのか?
これに対しても、質問者の次のように答えていますし、私も同意します。
>根本原因を理由に起源に近い過去のほうが未来に大きく影響を及ぼすはずだから、
>時間が早い段階(時間的に古い段階)でならば犠牲があったとしても、
>極端な方法でも悪いものは取り除くべきである、は正しいといえるのか、
>という道徳的な問題が一つ
>ぼくはYESをとります

そして上記の文から、インスピレーションを受けて、次のように考えました。
1.旧約の時代は新約の時代と違い、人は生きること自体が難しい時代だった。
  旧約時代は文明・科学・社会制度において、劣っていたので、
  人の選択ミスが、即、人の死につながる時代であった。

2.1.が原因で、旧約の時代は、人の罪が、人の命に大きく影響する時代だった。
  そのため、※以下きつい表現です※
  (盗みをした人の手を切り取るとか、嘘をついた人の舌を抜くとか)
  の裁きをしてでも、罪を戒める必要がある時代だった。

3.2.より、旧約時代の悪い人と良い人とのギャップが激しかった。
  そして、簡単に命のやり取りをする、戦いが広く横行していた。

4.3.より旧約の時代は新約の時代と比べると、乱暴な時代、
  民度の低い時代だったといえる。