>>806-807
う~ん、やはり琴さんの書き込みを読んでみるとユダヤ教の神を創造主と考えたユダヤ人の視点と
いうよりも、直で神を絶対的権力者、絶対的支配者という視点で観ているような気がします

たとえばヨブ記では罪のないヨブがとんでもない悲惨な目に合います
因果応報では処理できない、いわゆる不条理がテーマになっています
罪のない、という意味ではヨブを無垢な赤ちゃんに置き換えてもいいと思います
なぜ罪のない赤ちゃんが殺されなければならないのか、という問題に置き換えてもいいということです

ヨブ記の答えは神はヨブ個人の、あるいは人間と言い換えてもいいでしょう、ともかく人間の尺度では
到底図ることのできない、人間の知恵では到底知りようもない存在であるということを
まさに創造の御業を語ることでヨブに悟らせるということなんだろうと思います

わたしが創造主ということばで言いたかったのはこういうことです

もちろんこれに納得せよとか、これを実感せよと言っているわけではありません
そういった創造主に対する信仰がなければおそらくは理解できないだろうということです

わたしは前にも書いたようにそういった信仰を持っていないし納得もしていませんが
でもユダヤ教徒やキリスト教徒のバックボーンにはそういった信仰があるのだろうということは
理解できます

別に納得する必要はないので、もう一度そういう視点から旧約聖書を読み直してみるのもありなのでは
ないか、と考えただけです

琴さんにそのつもりがないのであれば、それはそれで構いません