>>881
わたしは、旧約全部を否定する為に言っているのではありません。
それに聖書は書物ですから、実際に生きていた人がいて、
それを全部、聖書が反映させているなんて事はありえないのですからね。

で、大事なことは、為政者による記録、自分の立場から有利になるような正当性
となる記録、あるいは勝者による記録など、は
正確な歴史を伝えるものでない事は、皆さんもうご存じだと思います。

どんな権力や欲もはたらしていない理性と知性の出来る限りを用いての
記録ならば、作為による嘘偽りは、少なくともない。

他資料を焚書するのは、嘘偽りをしていますと言っているのと同じです。

旧約聖書は古代ヘブライ人の宗教書ですが、一神教ですから
全員が同じ神の元に統治され、支配される生活を余儀なくされます。
特に流浪の民にとっては、拠り所と結束は、律法を主軸にする
という、民への支配体制が強化されます。その辺りの特殊性が著しい。

聖書はヘブライ人の事情に合わせて、書かれているということです。
ある出来事が本当にあったとします。たとえばカナン人虐殺。
しかし、カナン人は不品行だからという話で、神に命じられたように、
侵攻を正当化するのが、宗教聖書の持つ役割でもあるのです。
客観的な歴史書ではない。

聖書は、基盤はヘブライ一神教の為の記録であるということ。
詩篇はいいなあ、人々が唄っている、とかそういう問題ではないのです。

で、新約正典福音書に対しても、写本、考古学発見、壊滅させられた異端や
たの福音書群などの 敗者の記録こそが注目に値するのは、
そういう重大な意味があります。

(続きます)