つづき

どれも現社会でいう必要悪のような理由しか見出せなかったのも事実です
ですが、紀元前の時代の宗教対立の理由としてはそこまであり得ない理由でもなくはないように感じました
おそらく本当の理由はそういう理由ではなくて、単純に世界には理由なくして聖書で書かれたジェノサイドより悲惨な歴史は多くあって、神の正しさを疑うほどのものに至らないという個人的な私の感受性の問題なんだと思います
神の判断だから最悪の選択肢の中でさえ最善であったに違いない、という信念と恣意性にやはり帰結してしまい、最初の前提に戻るようです

しかし、この記事を読んでみて、ある一つのことが旧約聖書も新約聖書も変わらずに書かれていると再認識しました
それは、神は必ず罪には罰を与えるけれど、悔い改めるさえすれば救いと報いの道は用意されているということです

余談ですが、これを読んでみて道徳的な疑問がうまれました

根本原因を理由に起源に近い過去のほうが未来に大きく影響を及ぼすはずだから、時間が早い段階(時間的に古い段階)でならば犠牲があったとしても、極端な方法でも悪いものは取り除くべきである、は正しいといえるのか、という道徳的な問題が一つ
:
ぼくはYESをとります

信仰を持つものが、目の前の信仰に関わる絶対的と思われる悪に対面したとき、対処するのか見過ごすのか、どちらが正しいと言えるのか
時に道徳的信仰が社会的倫理を越えることを許すのか
:
ぼくは信仰的な道徳を自覚的にとる気がします