【イエス】統合スレ1【キリスト】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
-------------------------------------------
天にまします我らの父よ。
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を
今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試(こころ)みにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝(なんじ)のものなればなり。
アーメン。
-----------------------------------------
前スレ
【イエス】統合スレ【キリスト】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1674451349/ 旧約で描かれている特定の人が見たら「殺戮」の事態は
>>529の「意味」の中で「文字通りの意味」で受け取っているにすぎない
決して「霊的意味」の「寓意的意味や道徳的意味や天上的意味」では解釈しない
この「しない」の中に作為があることに無頓着すぎる
論点先取の粗雑な手つきで一方的に自分の解釈を正しいものとして糾弾してるだけ
単なる無知、で終わりな話だな この話は前からしている
つまり、論点先取だから「学ぶ気は一切ない」
つまり、永遠に難癖つけたいだけ、が実際のところだろう
難癖つけだいだけなんだから、好きに罵倒させとけばいい
それより代弁するふりして分かってないのに旧約風味で知ったようにキリスト教を語る言説のほうがイラっとくる なんか学生の頃さ、
一生懸命バイトするんだけど
家族に全部稼いだ金取られるんだよね
で、もう学費払えない段階になって
なんかその頃イラクが戦争やってて
じゃあ有り金でCD作って
アメリカの不当性を訴えようと持ったら
親に冊子に絵を載せたいから
5万円寄越せって言われて
考えられる?
うちに電話来てさ
うちの親と話しすんなっつってんのに
あなたのお母さんと話ししてるんですとか
わけわかんねえ事言って
でうちの親も折れないから
電話のおっさんかなんかに
「お願いします!」って頭下げたの
ゲツセマネの祈り キリスト教の批判のテンプレでよく旧約が持ち出される
そう言う椰子は文学類型、つまり時代性を考慮にいれていない
また霊的意味を考慮にいれていない
旧約は律法の時代
神の法を特定民族にインストールする時代
法の遵守には「罪と罰」が必要不可欠
旧約は人による罪に対する神による罰を強調する
つまり、人による罪が神による罰という結果を招く、という構造だ
また、罰の内容は十戒の神への愛、隣人への愛を教えるための天上的意味や道徳的意味、寓話的意味で解釈すべきだ
新約は愛の時代と言い得る
律法の側面で鑑みると人類は原罪の結果として滅ばなければならないのだが神の愛により救われる
愛に勝る律法はなく、自由意志や悔い改めにより救われ得ると教えられる
それを踏まえると旧約の神の罰を「殺戮」という「文字通りの意味」で解釈するほうが、「不自然」なことは誰でも分かる ドルチェさんの言ってることは正しい
神への愛があるから「疑わない」
当たり前だな いや、そんなことは聞いてない
サティさんは読めるレス書いて ただし、キリスト教神秘主義者の疑わないからこそ疑う闇夜もある
それは上級者向けの道だから大道には関係のない話だ うん気にしてないけど、ふんじゃいを気にして書いて、と言われたから断っただけ そんな高度なコミュ力のある人なのね
ドルチェ尊敬するわ >>499
逆だろ
あの人は無神論者を相手に教えているが、聖霊は降ってない ドルチェさんは知ってる内容なはずだから知らない人向けに書いたんだわ >>523
分かりました
分かったというのは同意したということではなくて、琴さんがどういうことを語っていたのか分かりました
古代の宗教対立の殺戮もアブラハムの宗教に限った話ではなくて、そして言ってしまえば古代から中世あたりまでの戦争で皆殺しは別に普通のことだと思うというのがぼくの主張でした
皆殺しに同意しているというわけではありません
古代に限ってはよくある話の一つというだけです
まるで大惨事、みたいなことを言われても正直歴史的な実感がありません
だからそれを理由に旧約聖書の神が悪であるとはできないし、むしろ旧約聖書の時代(モーセの時代)の殺人がそんなに問題になるのか分からないとレスしています
だけどそういう話じゃないってことっすよね
だから琴さんは旧約聖書の神を受け入れない言っているのは分かります
だけど分からないのは、受け入れられないから連続性がないとしたり、イエスには別の父なる神がいたというところです
受け入れられないのならなぜイエスだけ、またはカトリック的なマリアだけ受け入れて、半分だけ受け入れて半分は受け入れないみたいなことができるのかぼくの理解は追いつけません >>522
これは旧約聖書の神だとか、これは新約聖書の神だとかといった
馬鹿げた選別はインチキなのだ
したがってユダヤの神が悪なのではなくて、ユダヤ教の教えを当時の人間が
人間の知恵で作り上げたインチキだということだ
モーセ曰く
「となり町を攻め落したら、まず子供を捕えろ。そして男は全部殺せ。
女は、男と寝て男を知っている女も殺せ。男を知らない女は取り分としてもらうがよい」
こんな教えが神の教えなわけがない
すべてインチキだ
そしてこのようなインチキ教義を信じてるからこそ
ユダヤ人が迫害にあってきたのだ
つまり、まちがった教えを、あたかも神の教えのごとく信じれば
良いことは起こらないということだ 琴さん、ボーイフレンドに若い操を捧げて「あらま」などと軽い思い出にしてみても、あなたの破廉恥さ、情欲、無知、高ぶりが、今でも特徴として残っています
あなたは罪が罪として見えていないのです
だから十字架の前に立ちながら自分が加害者ではないと強く思い込めるのです
実際は、主はあなたの罪のために十字架にかかられていて、あなたが気づいて悔い改めることを願っておられます
GLAの偽りの教えを信じて、イエス様をもう一度十字架につけようとしています >>651
あなためっちゃ気が合うなw
そう、古代中国とかインカ帝国とかは
得体の知れん人柱とか
人間の臓器とか
物凄い恐ろしい事やってて
底も知れない恐怖を感じるんだが
旧約聖書ってそれと比べると
まるで神が実在するかのように
平和で賢いのよ 殺された人も地上にまた立つのです
イエス様が再臨されたら >>551
前半の話(宗教対立や殺戮)に関しては、わたしも信仰をカッコに入れた視点から
歴史的な状況に照らして理解できないか、とは言ったのですが、琴さんはそういう話ではないという
ことのようでした
おそらくですが、これはアガペーさんなどと同様にイエスは徹底した愛の教えを説かれた、
暴力を振るわれても暴力で返すな、と教えられた、そして民族を超えた愛を説かれているのに
旧約聖書では無垢な赤ちゃんも含めて神は殺戮する(殺戮を命じている)、とすれば
イエスの神(父)と旧約聖書の神が同じであるはずがない、ということだろうと思います
この疑問は実はけっこう信仰の篤いクリスチャンでも感じることが多いようで
そういった疑問を呈したり、あるいはその疑問に答えたりするような記事をいくつか読んだことがあります
わたしの回答は新約聖書の愛の神は信じるが、旧約の神が信じられないという場合に対する回答ですが
わたし自身は新約に書かれたイエスの父が旧約の神であることは神の性質云々の以前に
新約を読めば明らかにそう書かれているので、これ自体は信仰の有無に関わらず
受け入れ可能だと思うのですが、まあグノーシス派なども考慮に入れて琴さんは解釈しているのだと
思います
ですから新約の正典はそのままではイエスの言動を反映していないと考えているのだと思います 神はひとつだけだ
この大宇宙を創造した唯一神だけなのだ
それが天照大神だ
国や地域や文化のちがいにより、
イエスだとかアラーだとか名前はちがうが
元をただせば、大宇宙創造神(=天照大神)ということだ
つまり日本が世界の中心なのである
西洋のなんちゃら戒律や罪の押し付けは大間違いであり
人間本来神の子であり、罪など皆無なのである >>556
そこですよね
聖書を信じる人たち個人的な実存の部分てそこなんだと信じています
そのために旧約聖書/新約聖書の連続性がなければならないというのが聖書を信じる理由でもあるのに、区切っちゃったら旧約聖書の時代の人たちはどうなるのかと思います
裁きと同時に報いや救いも連続性を失うわけにはいかないはずです
だから、新約聖書で語られるイエスキリストの報いがなければならないこと、そして神の言葉は普遍性を持たなければならない、は同値になるとさえ思います
言葉の論理じゃなくてこの連続性こそ同値にまで押し上げられるし、希望でもあるとさえ思うのに、旧約聖書と新約聖書の神が連続性を持たないと考える人がいることにぼくは理解できません そもそも論で言うと
神の国の住人に成り得るには
罪の子では成れない
神の子でなければ成れないのである
つまり我は神なり、の自覚を得た者でなければ
神の国の住人にはなれないわけだ
ゆえに汝ら、ただちにこの道理を悟ることだ 現代の日本でも
やれタバコだ公害だセクシャルマイノリティだ
あれこれ改善と改悪を繰り返しているのが実情です
神が大洪水を起こしたのは何故か
人を作ったのを後悔したからです
そして今以て神は色んな事を後悔しています
旧約はモーセ五書で終わってない
士師記ではアホのサムソンを殺し
ヨブ記ではサタンの話を真に受け
完成したのが
新約のイエス
これ普通に考えられません? 洪水などインチキだ
ユダヤ人が勝手に作り上げた妄想教義でしかない
その証拠に日本には過去に洪水が起こった形跡など
皆無なのである 新約のユダヤ人はそれを信じていました
だからイエスを殺しました
それ以上の情報が必要ですか? そもそもなぜ神がこの世界を勝手に作って
まちがったからといって洪水で滅ぼさねばならんのだ?
そんな神など神とは言えんだろ
インチキ教義に洗脳されないように UFOに連れ去られて乗ったら中にイエスが居たとか
ビルよりも大きなイエスが現れたとか
なるみ だからユダヤ教など信じるに値しないということだ
まちがったものを拝んでるから迫害の歴史であったのだよ
正しい教えの神を信じることが幸せになる道なのだ 正しい教えの神とは
我が国日本の神道であり、
無戒律、開放的な自由主義的な神だ
これこそ平和の神である
西洋の宗教に嵌ってれば戦争ばっかりやっているだけだ
プーチンロシアがその典型だ >>514
これは、ユダヤ人の慣例ですから、みなそのようであったのでしょう。
誰に聞いたのでしょうね、そのような事を知っているのなら、
なぜ12歳の時だけのエピソード以外はないのでしょう。
12歳で全てのグノーシスを吸収し一旦終了する、親と独立する。
30歳で本格行動へ移す為の出立をする、
ヨルダン川のヨハネに現れた頃。
荒野での瞑想 断食(グノーシスの仕上げの場所は荒野でなく
荒野のなかにある1人で向き合う時間を持つ場に行くために荒野と呼ばれたそうです)
イエスはこのプログラムに沿っているのです。
【父の家】とは神殿のことではありません。グノーシスでは、
もう12歳はイエスの父といなければならいし、子供のように探すのはおかしいのです。
親から離れて、学者たちの真ん中で論破していることにしていますが、
他のイエスについたのエピソードがないことから、
ユダヤ教のエピソードに取り込んでいるのです。
聖母マリアをとばけさせていますが、そのようなとぼけの範疇にはいるような
方ではありません。
わたしは、ロザリオの祈り、黙想でなにかピンとくるものがあり、
なんだろうなと思っていました。
後にグノーシスを知っていき、ああこれか、とスッキリしました。 幸せになりたければ
ユダヤ教 キリスト教 イスラム教 から離れることだ
そして日本神道を拝むこと
これしかない 仏教をやるなら小乗仏教はアウト
大乗仏教ならセーフだ
大乗仏教では欲肯定主義の真言密教がベストである >>557
理解しています
イエスはあまりに愛と憐れみの子なる神であると同時に父なる神はとても厳しい描写が聖書にはあって、そのことで懐疑することもあり得るとぼくも思っています
なぜよい神から創られた世界には悪がこんなにあるのか、という問題にさえ行き着くのも理解していますし、今なおぼく自身もそういう心は抱えています
だからそういう中に浮いた心が見つけた先がグノーシスなのも何となく理解はできます
漠然と神の否定でもなく、神を信じないという個人的信念でもなく、分からないしなにも言えないとする無神論でもなく、明確に名指しをされて特定した神を裏返して悪者扱いされるのは、信じている人から見るとちょっとほっとけくなるわけです
普通の感情です、なぜなら明確に指示しているからです
なのでせめて悪者あつかいする以上はちゃんとした根拠を持って否定してほしい、というのがぼくの強い意見です
余談ですが、ぼくはぼくなりにその疑問の答えを見つけました
「神とはそういうものである」というだけでした
今現在もてる回答はこれだけです ゲッセマネで見苦しく祈るイエス
命と苦しみを求める神
どちらも快い物には見えない >>572
そうそう、アーメンとは正にそういう意味だと思う トルコ地震で犠牲になったのはほとんどがイスラム信者だ
で 救急隊がいたいけな少女を奇跡的に助けたときに
これは「アラーのおかげだ」とかほざいていたが
だったらなぜ46000人も死んでるのかということだ
アラーの奇跡で46000人全部助けろって話し >>559
>そのために旧約聖書/新約聖書の連続性がなければならないというのが聖書を信じる理由でもあるのに、区切っちゃったら旧約聖書の時代の人たちはどうなるのかと思います
>裁きと同時に報いや救いも連続性を失うわけにはいかないはずです
ユダヤ教徒キリスト教信徒内の神なのですか、イエスキリストも?
そう考えていないと、
裁きと同時に報いや救いの連続性を失うわけにならないは出てこない。
他宗教、多神教の善きサマリア人を忘れましたか。 >>537
ついついレス見逃しちゃったけど、カルメル山登攀はいまだに少しずつちょい読みしています
いい本ですよね、ご紹介ありがとうございました
だいぶ前の話だけど神秘主義への闇夜で思い出しました
今日レスしてくれたみなさまありがとござました
それではまたー >>572
なるほど、わたしも質問者さんの意図は理解しました
これも端的に言って、「なぜ愛の神が殺戮をするのか」という疑問であれば
誠実で理解のできる疑問であるが、「旧約の神は悪魔である」と言い切られると
その根拠を明確にしてくれと言いたくなるわけですね
これはもうやはり最初に書いたように、神に対する信仰のバックボーンが異なるのではないか、
としか言えないような気がします
琴さんはイエスの父が愛の神であることは真剣に信じていると思います
同時に人に対する愛情も非常に深い人だと思います
つまり本気なんだと思います
その分だけ、旧約の記述が許せないのではないか
おそらくですが、自分が被造物であるという実感が琴さんにはないのだと思います
被造物であるという実感がないということは、神が創造主であるという実感もないことになります
この自分の理解や感覚をはるかに超える存在、ゆえに聖書に啓示されたまま
如何に人間にとって残酷に映るような神であっても
そのままその神を信頼して受け入れ自らを委ねる、という感覚がないのだろうと思います
これはわたしもそうですから別に琴さんに限ったことではありません
一神教徒でない場合は、非常に理解しにくい感覚なのだと思います
わたしは納得はしていませんが、それでも多くの信仰者の記事を読み
信仰者がどのような筋道でこの問題を捉えているのかを、わずかばかりでも理解できるようになりました
例えば以下の記事はクリスチャンの回答のひとつの典型だと思います
https://www.bethinking.org/bible/old-testament-mass-killings
背景に浮かびあがる記者の神観は神が正義であること、そしてその神に対する絶対の信頼です
そういう人が聖書に書かれた「大量殺戮」を事実として認め、なおかつそれがなぜ行われたのかを
説明しています
やや強引なところもありますが、先程書いたようなバックボーンを受け入れたら
たしかに説得力がある見解だと思います
わたし自身は受け入れていないので納得まではいきませんが、理解はできます >>578
どの範囲まで神の裁きや救いが及ぶのかは分かりません
神のみこころ通りとしか言えません
けれど連続性をたてば旧約聖書までの人たちは含まれないことになります
イエスキリストを知っている人だけの話になってしまいます
神が他宗教の人をどう最後の審判で判断するのかはぼくには分かりません
分かっていることだけを見ていればいい、あとは推論という仮定でしかない、というのがぼくのスタンスです >>580
そういうことです
明確に悪者あつあいされるって、ただの否定じゃなくて何重にも否定されているじゃないですか
そこまで言うなら、と言う気持ちになるわけっす
エイシストさんは分析が柔軟ですね
参考になります
記事の紹介ありがとございます
ぜひ今日ではないけど読んでみようと思っています
英語ですねw
がんばります そう、受け入れられない物は
素直に受け入れられないと言えばいい
立場があれば心に思えばいい
疑念を素直に神にぶつければいい
私は信じています!
トリック・オア・トリート!
こんな物を私は信仰と呼ばない 現在何の不満も無いと言うのは疑問がある
私は少しわがままな性格をしているのでね >>582
要点をかいつまんで書くくらいはすべきだったかもしれませんが、途中で寝てしまいそうだったのでw
おやすみなさい
>>583
そうだね
受け入れられないのに受け入れたふりをするほうが不誠実
まあ議題が信仰だから、どうしても感情的な軋轢は生じるけど
できるだけ、それは抑えて書くようにすれば生産的な議論にはなるかもしれない
ということでわたしも寝ます
おやすみなさい >>581
聖霊は、イエスを知っているかどうかではなく、本来的自己にある人は
働いています。それが善きサマリア人です。
また、イエスによらなくてもイエスの周りは聖霊の働きと共にある人たちが
おられました。
ですから、天に行った後にイエスが自分の代わりに聖霊を送るというのは、
本来的自己にベールが被さった、盲目になってしまった病にある人たちが
イエスを信じて倣いての方向で真の神に目が覚めていくと、
聖霊の助けが受けられるように贈物を届けると言われたのです。
それが聖霊による洗礼です。
病に苦しんでいるのなら、イエス様に手を伸ばしてすがり付いてきた人たちのように、
宗教だとか律法だとかの重くなったベールもかなぐりすてて、
まずは、信じてすがればいいのです。過去や未来でなく今生きている、
死をおそれて、かえって死んだ人のようにならず今を生き切る一日一生。
イエス様を信じても、苦難は何度もやってくるでしょう。
それは人それぞれの自己が一層深まるチャンスであり、そのような時も、
苦しみ故の他者転嫁や思い込み激しくならず、今を生きる。
そうすれば直観力も冴えてきて、聖霊の働きがいよいよわかります。
イエスを通さなければ、とはそういう意味ですし、
イエスキリストを知らない、会わなくても、水の洗礼者ヨハネのように
仮にもし、ある時イエスにあったなら、見分けがつきます。
それは、ご自身が聖霊に既にあるからです。
世界中のどこにいても、イエスの事を知らなくても真の霊の働きにある人は
時空を超えておられます。
それが、善きサマリア人です。 ボロボロになるほど聖書を読み込んでも、聖霊が働かない人にはこのとおり、神秘を読めません
聖書は閉じられた書物だからです ーーー
0586 琴 2023/02/21(火) 05:53:55.16
「苦しみ故の他者転嫁や思い込み」激しくならず、今を生きる。
↓
「神やキリスト教や聖書に責任転嫁」したのは誰?
ーーー >>589
ーーー
「キリスト教」は「父性原理」なのですけど
「母性原理」にしようとしたのは誰でしょうかね。
ーーー >>590
ーーー
「聖母の騎士」としての「父性原理」なのですけど。
ーーー ーーー
0588 神も仏も名無しさん 2023/02/21(火) 07:24:25.77
「聖書は閉じられた書物」だからです
↓
「聖書」は「聖書の方から"読み手を選んでくる"」のですよね。
ーーー >>592
ーーー
「信頼する事が出来る方」に「自らの胸中を明かす」
かの様に「聖書もまた"読み手に胸の内を明かす"」
のですよね。
ーーー >>580
>おそらくですが、自分が被造物であるという実感が琴さんにはないのだと思います
>被造物であるという実感がないということは、神が創造主であるという実感もないことになります
>この自分の理解や感覚をはるかに超える存在、ゆえに聖書に啓示されたまま
>如何に人間にとって残酷に映るような神であっても
>そのままその神を信頼して受け入れ自らを委ねる、という感覚がないのだろうと思います
ユダヤのモーセの神とキリスト教の神は同じとするならば、
その神が創造主であり、全人類が被造物とされる実感はありません。
はじめから、悪魔崇拝だと思った訳でなく、なぜイエスの父、イエスの愛と
ここまで違うのかと思ってきたのです。
次に「聖書を用いて戦争をするな」は「キリスト教徒よ戦争をするな」と
キリスト教犯罪史への懺悔として、このように勇気をもって言われた教皇に
嬉しく思ったのです。
次に聖書を用いての、用いるとは一体なんだと考え始めたら、
新約聖書でなく旧約聖書のモーセ五書を根拠にして戦争を正当化している、
そこを指摘しておられると、わかったのです。
確かに、調べるとそうでした。選民思想も絡んでいました。
(続きます) >>594
そして、同じ神ならば、教皇がいくら言っても、正当化されてしまうのだと
そこなんだぅて、わかったのでした。
わたしは、その辺はグノーシスからではなく、イエスの愛が歯止めにならない
旧約への信仰的信頼感は、教皇が言っても、
また新約から旧約を読むと言ってみたところで、
無効化させるだけの、旧約に信仰的価値と力を持たせてしまっているのだと、
気付きます。
おおよそイエスの教えの愛と繋がらない、かすらないキリスト教の歴史に対して、
教皇が反省と懺悔を繰り返し続けられたことが画期的であったのは、
逆に言えばキリスト教は、イエスを殺す側にあったという問題を
抱え続けていたということです。
(続きます) >>595
宗教だけでなく一般に歴史から学ぶとか歴史を逆行させてはならないというのは、
あるのだけれど、
ユダヤ教徒、ユダヤ民族限定でない、キリスト教の勢いの内実は逆行の促進拍車
を伴いながら拡大したのです。
根本原因は連続性のある同一の神、神の命令に従うという信仰によるからです。
そして、わたしは、ついにモーセの神は悪魔憑依だと言うに至ったのです。
なぜなら、連続性とモーセの神の絶対命令で、謝罪しまくらないといえけない
蛮行は、モーセの神を根拠として、キリスト教に現れた実際の姿ですから。
その姿は悪魔であった。 イエスの父と違う姿が現れたのは事実ですから。
わたしの話に憤りを感じた方々、すみません。
わたしは、憎いだとかそうような思いで言っているのではありません。
教皇によってここまで来ました。明らかになった事があります。
もう一歩なのだけれど、根本問題にさしかかってしまいました。
それををさてどうしたらよいのだ、一部の人だけ博愛に目覚めるとか
ではだめ、であった惨状。
イエス様の愛の全面復活をこの世に。
考古学の発見だとか、排除された別の福音の数々、最大異端のグノーシス派
など、の処遇は、そのままイエスを閉じ込めることになっていたと考えます。
何も恐れる事はない、イエス様は懸命な理性にあります。
ですからイエス様の愛を復活させるには、役立ちます。
聖母マリア様、先史多神教、他宗教、真実の古代史、
何を持ってきても、あきらかにすればするほど、イエス様の復活に役立ちます。
イエス様は愛と平和の幼心、
すがすがしく嘘のない正直で勇気ある存在ですから。 >>593
ーーー
「聖書を"分析する"事」って
「興信所を使って"他者を調査する"様な事」
なのですよね。
・・・そこに「愛はある」のか?
ーーー イエス様は懸命な理性にあります。
⇓
イエス様は、賢明な理性にある賢者でもある事は言うまでもありません。 ーーー
「琴さんの言う平和」って「仮初めの平和」
なのですよね。
ーーー >>599
ーーー
「ディストピア」でも「争いは無い」のですよね。
でも「本当に平和と言える」のか?
ーーー >>600
ーーー
とある映画でのセリフより
(タイトルを忘れたので)
ー「去勢された羊の楽園」ー
ーーー 天においても巻物は閉じられていました
ほふられた羊であるイエス様だけが七つの封印を解くことがおできになったのです 不当にも知識(グノーシス)と呼ばれている偽りの教えを警戒するようにと、聖書に書いてあります
彼らは初めから仲間ではなかったとまで言われています 銀河鉄道スリーナインはアニメだけで十分です
キャプテンハーロックとか宇宙戦艦ヤマトとか
被造物のイマジネーションが宇宙大なら、創造主の神はどれだけ偉大でしょう ーーー
「僕」は最初「放縦な兄夫妻の子」だったのです。
「僕はいつも兄夫妻に振り回される」ばかり。
「父はそんな僕を憐れみ兄夫妻から僕を取り上げた」
のです。
そして「後から現れた自由な弟夫婦」が
「レンズ豆のあつものと引き換え」に
「兄夫妻から"僕の親権"を引き取った」のです。
「父は"僕の親権"を元に弟夫妻の下に僕を送った」
のです。
今「弟夫妻が"僕の親権"を有している」ので
「僕は弟夫妻の子」なのです。
「罪の奴隷」から「キリストの奴隷」へと。
「モーセとクシュ人の女性との夫妻(弟夫妻)」と
「アロンとミリアムとの夫妻(兄夫妻)」に於ける
「レンズ豆のあつものと長子の権利」について
思う事を乱文にて一筆です。
(・・・長いです)
ーーー 誇大妄想に憧れた松本零士でも、等身大の「男おいどん」を描いています
せんべい布団をめくったら畳からキノコが生えているような狭いアパートに暮らしているのです
GOがこの漫画の映画化を望んだことがあるらしいですが、GOがイケメン過ぎるのでボツになったそうです >>565
地獄の奥まで探検に行ったとか、前世が見えたとか。
まち子となるみ、どうしょうもねえな 聖書の著者が、聖母マリア様に「とぼけさせた」のではないのです。
人間は、神の全てを把握できることはできず、それ故に、これはいったい
どうしたことだろうか?と「戸惑う」のです。
そして、旧約の神を己の弱い頭と、弱い心でもって批判してはいけないの。
深淵を探りつつじっと心に留めておく。
だいたい十字架にイエス様が架けられるのを、旧約の神は、この世的に
奇跡を起こして救われなかった。「いったいこれはどうしたことか?」
ととぼけるのではなくて、人は神の深みの前に「戸惑う」のですよ。
神は人間にわかりやすい、全て理解できるような
ペンキ画のような、薄っぺらい神ではない! マルタよ、マリアは良い方を選んだ
あなたはそれを取り上げてはならない コーヒー(旧約)とシュガー(新約)をぶーたれることなく併せ飲む。
自分にとっては不味いからと、美味しくいただいてるキリスト者に
俺は私はコーヒー抜きの砂糖だけで!あなたたちもどう?
と何故に叫ぶのか。引き込もうとするのか。誘うのか。
キリスト者は、そんな人の心の中にある、わがまま、思い上がりを見据え、
それらが焼き切れるのをじっと待っているのですよ。
己の弱い頭、弱い心、弱い肉体を
いずれ思い知るときがきて、死ぬまで逃げ切る人もいるけれども、
たいてい、わかる、今ならわかる!とあとから今の自分を恥ずかしく
思い出すことになるのです。 >>612
戦争や人殺しを美化して信賞必罰の支配を認めるなら人間の権力者と同じであり闇の中にいます。
光である主イエスは誰1人殺さず傷つけず、逆に癒し養い教え、神の愛により人々を導きました。
あなたは闇と光の違いすら理解できないのです。 自己肥大が過ぎる人の悲願は、カトリック が悔い改めてGLAに帰依することです 高橋佳子はキリスト教をローカル宗教だと書きました
ローカルどころか全世界に広がっているのがキリスト教であり、GLAこそ創立わずか数十年の極東ローカル宗教なのです
考え方が甘いです 結局は旧約持ち出す人は「キリスト教の神を信じてない」だけ
ノンクリなのだからそれでいーじゃんつーこと
新約からみると、神は被造物の自由意志は妨げない
ただし、巻いた種は刈り取ることになる
つまり、全ての悪は自由意志の結果で
自由意志の濫用には「それに応じた罰」がある
それは法でしかない 決まって「その人」は変なことを言う。
変なことを、対処療法で正してあげる、のはたいへんなことなのですよ。
愛と知性と根気のいる仕事となります。
これをされてるのが、コズモさん、coinさん、そしてカトリックの知性
サティさん。私は、怠け者ですから、心の蔵の根治療法的なレスで
レス数を絞り込む的な。
アガペーさんもいずれ、今の己を恥ずかしく思い出すことになる。 その法の原因と結果、つまり自由意志の発露とその責任にぶーたれても知らんってだけだわな
その法の営みを、人格化し、「殺戮」と「文字通りの意味」で受け取るか、誘惑した蛇と屈したアダムの関係の歴史の再現を、神の「文字通りの恣意的な復讐」と捉えるか
は新約を信じているかどうかにかかってる 我々は三位一体の神を信じる
だから、新約から旧約を読む
我々は神を畏れる
それは神が「殺戮者」だからではなく
神が全能で、「我々の罪を全てご存じ」だからだ 新約を信じるから旧約が信じれない
とかさも分かったようなことを言っている人がいる
キリスト者からしてみたら新約を信じるなら
旧約を信じられない、はあり得ない つまり、三位一体の神を信じてないってことだ
ニューエイジやスピはキリストを語る
彼らが信じてるキリストはニューエイジのキリストであって
三位一体の神ではない
これは、断言できる
エホ証のキリストとキリスト教のキリストが「違う」
のと同じ話だ アガペはお花畑やな
奇跡など信じるから仕事が苦しくなる >>612
なんだかんだと色々な解釈や意見が提出されて、それで議論にも発展するわけですが、
でもね、究極的には、何をどう信じるのか信じないのかは、個人の自由だし自己責任だと思いますよ。
現在宗教板を卒業されたシャロンさんは、キリスト教(プロテスタント)の信仰を持って、日々生き生きと生活されていた。
私は、そんなシャロンさんの信仰を尊重し、末永く幸せであってほしいと願いました。
昔、キャンディーズメンバーの一人、藤村美樹さんの現在。
熱心なカトリック信徒として活躍されているとのことです。
私は、藤村さんの信仰や生き方に一ミリもケチを入れるつもりはありません。
まちこさんとは、十字架の神学を巡って議論しました。
私は、グノーシス派と云う立場から離れて、一般的なキリスト教の解釈に立ちまちこさんと議論しましたが、
彼女はキリスト教集会の牧師をされていて、所謂「硬い食べ物」に耐えうる体力と責任を持って居ると判断したので、
議論を持ちかけましたが、まちこさんの信ずるところを覆すには至らずに、そのままでした。
それはそれで、まちこさんの自由であるし、まちこさんの信仰が社会害悪を撒き散らしているとも思わないし、
むしろ良い人だから(それが、まちこさんの証になっている)、私は、まちこさんを敵視したりしてませんよ。
コズモさんは、とても熱心で誠実なクリスチャンです。
そして、コズモさんも「硬い食べ物」に耐えうる強さをもっています。
だから、私はグノーシス派として主流派のコズモさんと議論しています。
議論しながら、私自身も勉強させて頂いた居る訳で、別にコズモさんを敵視している訳ではありません。
ドルチェドさんが、カトリック信徒として、カトリック教会に護教的な立場を取るのも、それはドルチェドさんの自由です。
私は、カトリックを棄教してグノーシス派へ転じましたが、それもまた私の自己責任を前提にした自由です。
対話や議論(若干の皮肉とヤジを含むか)と、人格への誹謗中傷は、そもそも異なっています。
人格攻撃事態を目的化させてしまっている人ならば、相手にしても無駄だと思います。 ✝ ヘブライ人への手紙 5:14
"しかし、堅い食物は、善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである。"
聖書
https://play.google.com/store/apps/details?id=japanese.bible
これ? >>622
仕事が苦しいのはワンオペばかりだからです。 ーーー
0596 琴 2023/02/21(火) 08:25:15.84
ですからイエス様の愛を復活させるには、役立ちます。
聖母マリア様、先史多神教、他宗教、真実の古代史、
何を持ってきても、あきらかにすればするほど、
「イエス様の復活」に役立ちます。
↓
・・・何となく思うのだけど
「口寄せ」なのかな?
「降霊"術"(ネクロマンシー)」なのかな?
ーーー >>628
ーーー
・・・「神からの"一方的恩寵"」なのだけど。
ーーー ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています