【イエス】統合スレ1【キリスト】
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天にまします我らの父よ。
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を
今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試(こころ)みにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝(なんじ)のものなればなり。
アーメン。
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前スレ
【イエス】統合スレ【キリスト】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1674451349/ 宗教は全部気休め。
目覚めよ!
そして真面目に働きなさい。 ーーー
前スレッドにて記したものの再掲
0980 琴 2023/02/15(水) 10:24:54.89
コズモさん、イエスの言葉を読み損なっていると思いました。
わたしが、イエスのモーセ評価とした「命のパン」六章に続いていく箇所です。
モーセに対してイエスは「死のパン」と言われています
↓
「死のパン」とは?
マタイ16:25-28
「自分の命を救おうと思う者はそれを失い」、
「わたしのために"自分の命を失う者"は、それを見いだすであろう」。
(「命を燃やす」とは)
たとい人が全世界をもうけても、「自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか」。
(自らの命を燃やす事を対価に自らの命を買い戻す事)
人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、「実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう」。
(「買い戻す時」に「付加価値が付く事」)
よく聞いておくがよい、
「人の子が御国の力をもって来る」のを見るまでは、「死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。
(「死を味わわない者」=「さまよえるユダヤ人」)
ーーー ロゼさん、スレ立てありがとうございます。
>>993
>石板違反者のイエスです。
>いいかげん、気付かれてはどうでしょう。
石板違反者でなければ、ユダヤ人から非難され殺されません。
石板違反者とはどういう意味かと言えば
つまり、イスラエル民族内の法律であり、モーセのカルト宗教の為の、
宗教村落共同体維持のためです。そのような神です。
第一番に「あなたは、わたしにおいてほかに神があってはならない」
です。これはモーセの神以外は悪ですから、モーセの神が言ったとされる事は、
すべて義になるのです。
モーセは、同胞に対してでも十戒にある「殺すなかれ」ではなく
「殺してしまいましょう」なのですが、
第一番があるために、モーセのしたいほうだいにカラクリが
働く仕組みになっているのです。 >>9
ーーー
「琴さんの言い分」は
「マタイ16:25」の
「自分の命を救おうと思う者はそれを失い」
或いは「マタイ25:18」の
「一タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた」。
となるのですよね。
ーーー ーーー
「琴さん」って
「"時間論"が分かっていない」のですよね。
ーーー >>12
ーーー
あと「琴さん」って
「他にも色々と知る為のものが足りていない」
のですよね。
「美魔女さん」に何て言われるのやら。
一応「彼女は知っている方」なので。
ーーー >>13
ーーー
ついでに「琴さん」
「テセウスの船」は御存知ですか?
ーーー >>14
ーーー
「ルター最期の遺言」とは?
ーーー GLAの高橋佳子は父親の教えた「八正道(はっしょうどう)」という内省基準を廃止して、「愛一正道」を掲げていたそうです
どうですか、琴さんが虚しく愛、愛と連呼する様子と一致しませんか また、高橋佳子は地獄解消論を説いています
どうですか、悪魔の嘘に乗せられた偽りのグノーシスと同じ発想ではないですか?
だから聖書を再分析しなくてはいけないのです
琴ゴリラもこれと同じ 戦争についてどう教えているのか私は知りません
でもGLA信者の関口宏司会の番組を見ればだいたい推察できるのではないかと思います
この辺はタカ派の大川隆法とは違うところでしょう
でも異常なほど戦争を毛嫌いする琴さんとGLAは、一致するかもしれませんね 私も戦争は嫌いです
だけど時代劇を見たり、アニメを見たりしてきたので、殺し合い以外の側面もあることは理解できます
ただ、イエス様の教えは自己犠牲ですから、剣をとる者は剣に倒れるでしょう ーーー
0016 神も仏も名無しさん 2023/02/15(水) 13:59:44.98
琴さんが虚しく愛、愛と連呼する様子と一致しませんか
↓
「愛を言えば何をやってもゆるされる訳では無い」
のですよね。
「愛は言い訳に"なれない"」のだから。
一例としては
「躾けと称した虐待となったりする」ので。
ーーー >>20
ーーー
つまるところ
「愛は何の為にあるのか」なのですよね。
ーーー キリスト者は、愛と平和と人殺しの戦争に反対します。
教皇がGLAだとは、知りませんでした。
要するに、ピッピさんの話は、悪質ないいがかりです。
キリスト教で着飾っているだけで不真面目です。
わたしはGLAなど知らない。何度も言ってます。
あなたは、数々の宗教を見学しただけと言いましたが、数年前に言い出した時は
そう言っていませんでした。
見学だけの宗教もあったのかもしれませんが、
いづれにせよ、あなたと一緒にしないでいただきたい。
わたしと無関係なので、迷惑です。 >>21
ーーー
「専守防衛」はどうなのか?
止む得ずに「自己犠牲」として
「自らの"手を汚す必要がある"時」は?
「取税人の祈り」とは?
ーーー >>23
ーーー
・・・「トロッコ問題」とは?
ーーー ○キリスト者は、愛と平和を呼びかけ、人殺しの戦争に反対します。
「聖書を用いて戦争するな」
広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる地、
カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人 エプス人の住む
「カナン」に導けとモーセは命じた。
命じた霊は、神という名を使った、悪霊の親分でなくてなんであろうか。
カナンの地をイスラエル各部族から偵察に行かせますが、
悪魔の狂気がまた、起きます。
戦国時代であるとかでなく、神を使って意見を言わせず、
同胞を殺し、民を恐怖のどん底に陥れる、マインドコントロールする
最悪な宗教カルトの姿が、そこにはあります。 >>24
ーーー
「愛とは何でしょう」かね。
「自らの"手を汚す事も厭わない"愛」とは?
「胸を痛めながらでも頬を打つ」とは?
・・・「琴さん」
ーーー >>26
ーーー
「愛するには覚悟が必要」だと思うのです。
「宮清めでのイエス様」の様に。
・・・「琴さん」
ーーー >>27
ーーー
「誰かから好かれる為の愛は愛とは言わない」
と思うのです。
「自己犠牲の愛」は「自ら不利益を被る」のだから。
それ故の「無償の愛」なのだから。
・・・では。
ーーー >>28
ーーー
「宮清め」に於いて「イエス様」は
「自らの"手を汚してでも"何から何を守った」
のだろうか。
・・・では。
ーーー 977琴2023/02/15(水) 08:53:04.73ID:VY/m0gTk
>959 おはようございます。
わたしは、モーセの作戦、エジプト脱出において、
夜襲でエジプト人の長子、家畜の長子
までも殺しまくり、エジプト中に悲鳴が起きるほどのショックを与えたという、
このような、最も汚らしい殺戮、心理も伴う虐殺の卑怯さは、
他に聞き覚えがないほどであるから、いつか解き明かさなければならないと
思いつつも、横に置いて子供のようにイエス様の愛にある時間を過ごしていました。
ですから、非常に疑問があったけれど、モーセ五書は、
イスラエルの民がエジプトから出て
カナンに入ろうとする話であり、と脇に置いておいたのです。
ところが、その疑問に向かう時期が到来しました。
最大の殺戮宗教。
教皇の謝罪や、「聖書を使って戦争をするな」の苦しみ、嘆きの言葉。
我が国の首相とカルトの問題。
わたしは、イエスキリストに誓って、嘘で、白い墓で、
人生を誤魔化して生きることなど出来ないし、人々の霊魂をトリックで
そのようなところに引っ張り込まないでほしいと、
泪でイエス様とマリア様を見あげながら決心した次第です。
世界のキリスト教で、無教会を宣言した人は日本人から出ました。
これは凄い事です。
以前、友人とカール・ヒルティや内村鑑三、トマス・ア・ケンピスを読みながら、
励まし合った若い日々。
今、それらは違う角度から、光彩が伝わってきています。
日本はキリスト者が少ないのですが、その少ないキリスト者は
幼稚であってほしくないし、イエスと歩む愛の人たちであってほしい、
ただの宗教患者では、貴重な1パーセントの値打ちがないと感じます。 980琴2023/02/15(水) 10:24:54.89ID:VY/m0gTk
>972
コズモさん、イエスの言葉を読み損なっていると思いました。
わたしが、イエスのモーセ評価とした「命のパン」六章に続いていく箇所です。
モーセに対してイエスは「死のパン」と言われています。
>「わたしがあなたがたのことを父に訴えると、考えてはいけない。
> あなたがたを訴える者は、あなたがたが頼みとしているモーセその人である。
頼みにしているのは、神と一体であるわたし、イエスではなく、
モーセと言う人間であり、律法によるモーセの裁きを信じているだけだ。
>もし、あなたがたがモーセを信じたならば、わたしをも信じたであろう。
モーセを信じ、わたしを信じないという事があろうか。(アイロニー表現)
> モーセは、わたしについて書いたのである。
モーセと言う人間ごときの律法違反で処刑する様な裁きのモーセを信じるならば、
それ以上の私を信じないとはどういうことか。
モーセは、その邪霊にあって、わたしを逆に顕かにしたのだ。
>しかし、モーセの書いたものを信じないならば、
> どうしてわたしの言葉を信じるだろうか。」ヨハネ5:45-47
モーセの書いたものとは、律法の事です。
律法批判しているイエスの表現であり、律法を信じてわたし、イエスを信じないとは。
という、表現です。
>イエス様は、ここでモーセがイエス様について書いたと明言しています。
コズモさんが、読み違えているのです。
この箇所は、モーセの律法違反をして、安息日に人を癒したことで、
イエスが非難を受け、お前イエスは、律法違反者で信用がない、
しかも、神をご自分の父と呼び、ご自身を神と等しいとしている、
と言う、イエスをますます殺そうとしている者たちへ、言っている箇所であり、
この箇所は、モーセとモーセ律法に対峙ている、霊的悪魔に対峙しているのですよ。
コズモさんは、持っていかれて読み損なっています。 987琴2023/02/15(水) 10:50:01.32ID:VY/m0gTk
>>980
コズモさんが、読み違えているのです。
この箇所は、モーセの律法違反をして、安息日に人を癒したことで、
イエスが非難を受け、お前イエスは、律法違反者で信用がない、
しかも、神をご自分の父と呼び、ご自身を神と等しいとしている、
と言う、イエスをますます殺そうとしている者たちへ、言っている箇所であり、
この箇所は、モーセとモーセ律法に対峙している、霊的悪魔に対峙しているのですよ。
これが、この箇所のポイントです。
切り取りでなく、前後を読めばはっきりとわかります。
前後の話、イエスは律法違反者であると非難されているのです。
モーセと言う人間を上において、律法を上において、霊的魔道にあって、
裁いてきたモーセや律法主義者の権力に対峙している場面であるという事を
読み取れないならば、イエス様への理解はほど遠いし、
愛なく、イエスキリストを殺し続けている側です。 993琴2023/02/15(水) 11:02:42.95ID:VY/m0gTk
石板違反者のイエスです。
いいかげん、気付かれてはどうでしょう。
そして石板の考えはどこの民族からヒントを得て彫ったのかわかりませんが、
これを用いて、イスラエル内部の維持を図ろうとしたのです。
なぜなら、他宗教者には、当てはめていませんから。
【イエスキリストの愛は、他宗教、他民族には当てはめないでなく、
エゴでなく肉欲でない「愛」を説かれ、
むしろユダヤ人よりサマリア人のほうが、天に入れるとまで
いったのですよ。真逆です。】
あなたがたは、聖書の何を読んで、喜んでいるのか。 960アストリッド(グノーシス派)2023/02/14(火) 22:50:30.15ID:gSntWdK2
>959
なぜ教会の権威を振りかざして裁こうとするのですか?
信仰?
それはキリスト【教会】の教条信仰てすよね。 961アストリッド(グノーシス派)2023/02/14(火) 22:58:50.29ID:gSntWdK2
ヒュパティアは学者としてキリスト教徒との対立の渦中の人であったが、
その頭脳明晰なヒュパティアが、対立するキリスト教徒が何を読み、何を信仰しているのか知らなかったとは、とても思えない。
キリスト教会側は、神の名のもとにヒュパティアを裁き、最も残酷な殺し方で、学者ピュバティアを異端者異教徒として殺害した 聖書は歴史の教科書としては使われてません。
聖書のすべての文章は信仰告白として
書かれています。
正確な歴史は書かれていないため
歴史の教科書としては出来ず。
新約聖書に含まれる成立年代を調べると
福音書についてのその成立年代を考えると
何十年も後に書かれた文章ばかりです。 >>16旦那様が
神を一度も出さずに
旦那様が虚しくキリスト教の中核は隣人愛だ隣人愛だ連呼するのと一致していますね。 聖書は倫理という面ではよく出来ていますが矛盾もあります。
天動説によって旧約聖書の最初の文言は否定されました。
アダムとイヴを神が創造されたことも
進化論が否定されました。 聖書を編集したのはキリスト教会側なので
整合性よく書かれています。
本来、ユダヤ教が滅びキリストの死後にローマ帝国の都合でキリスト教が出来るようになった カナンの偵察、またしても悲惨極まる。
各部族から、偵察隊は構成されたのですが、果実をとって来るように言われます。
40日後、報告は、カナンの住民を追い出して土地を奪うのは無理です。
持参した果実を届けました。乳と蜜の流れる土地でした。
しかし、無理ですという報告。
(おそらくカナンに豊富な葡萄の実だったであろうと言われています。
楽園にふさわしい、水分と滋養があります。)
土地を偵察した者の内、ヌンの子、ヨシュアとエネフの子、カレブは
すばらしい土地であり、神は導き入れてくれるに違いないと言います。
主に従い追放すると。
「彼らを恐れていはならない、彼らは我々の餌食に過ぎない」と。
しかし、偵察で事実を知った者達は、無理であると目が覚めてしまうのです。
神は言います。
お前たちを滅ぼすと。神がそのように演説する訳がないのですが、
憑依されているモーセのひとり芝居がはじまります。
いや待ってください、彼らの罪を赦してください。
お前がそういうのなら・・・・
とか、モーセが自分で自分に向かって話し、演じるのは、
出エジプトから、はじまっていますから、珍しいことではありません。
こんな事をしている人物がいれば、気が狂ったカルト宗教の教祖ですよ。
(つづきます) >>41
もう、こんな芝居には騙されないとばかり、共同体の指導者250人は、
モーセとアロンに言います。
「あなたたちは分を越えている。共同体全体、彼ら全員が聖なる者であって、
主がその中におられるのに、あなたたちはなぜ、主の会衆の上に立とうとするのか」
モーセ「主が選ばれるので、明日香炉を持って主の御前にきなさい」
エリアブの子、ダタンとアビラム「我々は行かない。乳と蜜の流れる土地へ
導き上がって、(我々を)この荒れ野で死なせるだけでは不足なのか。
我々の上に君臨したいのか。
(カナンに入れないとわかったので、そのことを次にいいます。そして)
あなたは、この人々の目をえぐりだすつもりなのか。
我々は行かない。
それで、どうなかったですが、
コラ、 ダタン、 アビラムが住む共同体は、主に逆らう罪により
他の者達も滅びるといって、物理的に距離をとらせて、孤立させ、
「大地が口を開いて、彼らと彼らに属する者すべてを吞み込み、
彼らが生きたまま黄泉に落ちるならば、この者たちが主をないがしろにしたことを
知るであろう」
で、生き埋めにされたようです。
ー彼らと彼らに属する者はすべて生きたまま、黄泉に落ち、地がそれを覆った。
彼らは、こうして会衆から滅び去った。ーとある。
ーまた火が主のもとから出て、香をささげた250人を焼き尽くしたー
とあり、一人の頭をたてて、エジプトに返ろうではないかと、目が覚めて
言った人々は,結局、主の前にと言われて、香炉を持ち言った人たちも
計画的に全員殺されたのです。
モーセは、自分は神に民の罪をゆるしてくれるよう、言ったというのを
必ずいれてきますが、狂人教祖のひとり芝居であることは、結果でわかります。
(つづきます) イエスキリストは父と同じである、神である
(神をご自分の父と呼び、ご自身を神と等しいとしている、)>>32
であるなら、位置関係だけで言えば、モーセの神、主はイエスキリストになります。
父なる神=イエスキリストは、カナンの住人を自分達の餌食であり、
追放するように言ったり、命令をしたり、
同胞であっても、それに歯向かう者はイエスキリストに
歯向かったとして
滅ぼす神でしょうか。
カナンに入れなかった事も、主に逆らう人が出たための罰として、
40年間荒野をさまよい続けされられ、殺すだけでなく
さらに、彼らの罪のせいにしました。
現実問題として、カナンへの欲望をそそのかした神の契約などと言うのは、
悪魔との契約であり、目が覚めた人たちの無理が正しかったということであるのに。
こんなことをするのが、イエスキリストなのでしょうか。 キリスト教会に頭取られたピッピは、これを読んでも理解出来ない。 憎悪を募らせるばかり ( 信仰とは狂気なのです ーーー
「琴さん」
「言いたい事は"それだけ"」ですか?
ーーー その憎悪(狂気)こそが、悪魔に支配されている証なのです。 >>48
実際に聞いてみたらよいですよ。
もし「誑かした」説明を感じたなら、気付け諸君!
そこに悪魔が存在する。 >>46
ーーー
「琴さんの周りにいる方」は
「女々しい方ばかり」だと思う。
・・・何となく失礼ながらに。
ーーー 聖書も教会も信仰も、それはアルコーン(偽りの神)の支配力なのである。 >>50
>女々しい
その言葉の意味を説明出来ますか? ーーー
「ダブルスタンダード」に陥る程の「意思の弱さ」
ーーー 悪魔は悪い物で
終末の日に居なくなるとか言うのが
黙示録の教えだったっけ
これ裏を返すと
悪魔が居なくなると
世界が消えてなくなるって事なんだよね
私は絶対悪、ヨブ記のサタンは大好きなんよね >「琴さんの周りにいる方」は
>「女々しい方ばかり」だと思う。
部分に反射的に反応しては、
なんでも「琴さん」と付けては、ズレた意味不な事を言い
陰湿にまとわりつく(周り)のは意志の強さと言わない。
向かう方向は病院にしてもらいたいものです。
>・・・何となく失礼ながらに。
いつもながらのそんな言葉を添えても、だめ。
医師免許があり、報酬も得るプロにまとわりつくように。 琴さんには「もっと」喋らせてあげないとね
胸の内にある秘密まで洗いざらいゲロっちゃいな >>47
アサハラもそうですが、憎悪が宗教の被り物をつけると、狂気の教祖と
狂気の集団が出来上がる。無関係な他者に向けられるばかりでなく、
自分を破滅させていきます。憎悪、狂気、宗教。
エジプト人への憎悪が、他民族への憎悪が、悪魔と契約する狂気宗教を生じさせた。
エジプト中の長子の子供を殺すという、心理的な大打撃は、モーセの発明品だ。
「エジプトから出て行ってくれ」とファラオの子も殺されたのであるから、
しばらく、動揺がつづき、すぐに動けない。
狂気の憎悪は、神のお墨付きで、カナンを奪うという目標の元、
心理作戦で、イスラエルの民を縛り、操り続ける。
関係のない人々に向けられた、復讐心と憎悪。 >>56
妄想作り話で、人を陥れるのが、クリスチャンとしての生き方ですか。
ピッピさん。 ーーー
「恐怖支配」を「非難」しておきながら
「滅ぶぞ」と言って「恐怖支配を試みた方」は
「何処の誰でした」っけ。
ーーー >>60
宗教の恐怖支配で、実際に殺して滅ぼしていくことと、
そのような憎悪の狂気にあれば、自分を滅ぼす事になるという
警告の違いも解らないのですか。
イエスが私は、あなたがたを知らないと言うと言われた事もピンと来なくて、
あなたはバラバラの頭で、その場で反応しているだけです。
一度、統合させて、自分で考えてから、書き込むようにしてください。
いままでの経過で、それが出来ないのだとわかりましたから、
プロの仕事であり、あなたはプロにまとわりつくしかありません。 ーーー
0061 琴 2023/02/15(水) 22:21:02.05
「プロの仕事」であり、あなたはプロにまとわりつくしかありません。
↓
・・・「プロ」ですか。
・・・「何のプロ」ですかね。
ーーー >>57
聖書は科学的な厳密性においては箸にも棒にもかかりません
史学的、考古学的正確さにおいても創作と考えざるを得ない箇所は枚挙に暇がありません
しかし宗教学的に観れば、幾多の民族が興亡した古代オリエントという背景に照らして
極めて民族主義的・軍事主義的な宗教が発達したのは容易に想像できることだと思います
ヤハウェが真なる神なのか偽なる神なのかという信仰的観点をいったんカッコに入れて
古代における宗教の一形態として客観的に観れば
このような軍事的的特徴が誇張された神話というのにも納得がいくように思われます
わたしはモーセに関する聖書の記述はほとんどすべてが創作だと思います
もちろんモーセのモデルになる人物はいたかもしれませんし、場合によっては
モーセという名の人物は実在したかも知れません
しかし出エジプトから始まってカナン征服に至るまで
まともな考古学的証拠はひとつもありません
ダビデやソロモンの王国ですら考古学的には存在したかどうか分かっていません
だとすると旧約聖書のこういった「勇ましい」軍事的側面は
弱小民族であったユダヤ人たちの願望の表現であった、と考えることもできるように思います
そしてそういった軍事的側面と同時に、旧約聖書には貧しい者、悪を行わない者に
義と愛を示す神という神の像も語られていることに目を向け、なおかつそういった神観が
第二イザヤを介して民族を超える射程を持ったイエスの教説へとつながっていった
といったふうに考えれば、旧約と新約を連続的に見ていくこともできると思います
もちろんこういった観方は世俗的な視点に立つものなので、信仰に基づいた観方ではありませんが
少なくとも一旦はこのように観てみることで、旧約を全面的に否定せずにイエスの教えを
考えてみることができるように思います
どちらにしろイエスは間違いなくユダヤ人としてユダヤ教の中で神を語った人物です
それぞれの信仰に基づいて正統教義を拒否することには何の問題もありませんが
良きにつけ悪しきにつけ旧約とユダヤ教というイエスを育んだ土壌は否定のしようがないはずです >>64
>良きにつけ悪しきにつけ旧約とユダヤ教というイエスを育んだ土壌は否定のしようがないはずです
そうだろうか? ( それさえも証明のしようのない思い込みによる決め付けかも知れない
全く個人的な仮説というか想像だが、
イエスのモデルになった人物は、青年期に、当時の学術都市であったアレクサンドリアで学んだ人だったかも知れない。
或いはテラペウタイのような修行組織に属していたのかも知れない。
ユダヤでのイエスが、
全く斬新な、先端的の価値観道徳律によって社会改革に挑戦した宗教改革者の一人だったとしても何ら不思議とは思わない。
そう云う人物は、あの時代のユダヤにはイエス以外にも多数居たのかも知れない。
奇跡を行い、画期的な価値観を示した都市伝説としてのイエス。
今となっては、歴史の真実は分からない。
イエス没後に登場したパウロによる支離滅裂な、旧約聖書とイエスをブリッジする論法を、一旦棚に上げるなら、
モーセ神話とイエス物語(四つの福音書)には琴さんの指摘する通り、脈絡は感じられない。
( 無理やり感が半端ない~文字面捏造・出来事のデッチ上げ疑い
そこを押さえた上で再度パウロに戻ると、この人物の異常性がますます際立って見えて来る。
私には、パウロの思考と精神が狂人のそれに感じられる。 ~パウロは精神異常者だと思う いや、逆に言うと
旧約に物申すイエスとは
本スレのなんとかさんみたいな基地外です
皆さんいい言葉言うけど
本当にイエスに感銘を受けましたか?
どの箇所に?
現代道徳の前にはどの句を挙げても
ゴミみたいな言葉しかないように感じます
主な御言葉とは
祈りのマナーだの
神とは!とか
ほんとにしょうもない事ばかりです 真理を理解するには音楽や芸術と似ている
素晴らしい音感とかね
というかスポーツもそうだな
器用に乗りこなしたり、使いこなしたり
ヨハネによる福音書を理解できるというには
そういった感性や霊感の延長だから
理解できないならどうしようもない
演劇でにここで笑うとかも理解できないならどうしようもないだろ
空気読むとかさ
読めないなら仕方ない
そのような繊細でデリケートな感性が必要とされるものだからだ
物は奪えばいいような、騙せばいいような
そのような考えのものには理解できないように創造されてるのだ
残念ながら皆さんがどうしても理解できないなら何かが欠けてるんだろう
どうしようもないね これだけハッキリ指摘しても理解できないのだろうか?
間違いなく自分は他人より有能だから理解できない訳がないという
根底には奢りがあるように感じる ーーー
「旧約と新約を通しで読むと分かる」のですよね。
「分かる人」にとっては。
ーーー 僕にはヨハネによる福音書だけで十分ですね
皆さんみたいにああだこうだにならないです 悪魔は知らんが
イエスの言う通り
罪は許せば消えます
実はこれは創世記のアダムとエヴァからの
課題でもある
アダムとエヴァはエヴァと蛇を訴えた
神の定めた罪とはこの事だったと考えている
皆さんはキリスト教の罪を議題にするが
そんな物は無いよ
殺したいから殺した
ただそれだけ 僕はヨハネによる福音書で全然に理解できますけどね
むしろ皆さんが不思議で仕方なかった
もうずっとです
聖書のイエス様より皆さんのほうがわからない
皆さんのよっぽどわからないですよね
何を考えてるんだろうな?と不思議で仕方なかった
それも最近は理解できてきて良かったなあって
終止符に近付いてますけど
大は小を兼ねるのです
僕は預言者ですから 何を熱く語りあってるのだろう?←そこからですよね
もうまるでわからない
何か感性というか生きていて視点というか
全然に違って世界が見えているのはわかります 神のインターネットが僕のいうように本当にあるなら
それが聖霊体験なら
端末をネットに繋がずに必死に検索してる連中がいたとして
しかも似たような人達が集団で盛り上がっている
訳わからんでしょ?
そういったことです 村上春樹さんだとかサザンだとか
ああいい文章だとか、いいリズムだとかね
いわゆる共感、だから指示されている
そういうのイエス様の言葉から感じれないなら素質ないのかもね
素質ないなら仕方ないよ
どうしようもない
ユダさんでさえ駄目だったんだ
理解できなかったんだよ
意味がわからなかった >>64
>しかし宗教学的に観れば、幾多の民族が興亡した古代オリエントという背景に照らして
>極めて民族主義的・軍事主義的な宗教が発達したのは容易に想像できることだと思います
>そしてそういった軍事的側面と同時に、旧約聖書には貧しい者、悪を行わない者に
>義と愛を示す神という神の像も語られていることに目を向け、なおかつそういった神観が
>第二イザヤを介して民族を超える射程を持ったイエスの教説へとつながっていった
>といったふうに考えれば、旧約と新約を連続的に見ていくこともできると思います
>どちらにしろイエスは間違いなくユダヤ人としてユダヤ教の中で神を語った人物です
>それぞれの信仰に基づいて正統教義を拒否することには何の問題もありませんが
>良きにつけ悪しきにつけ旧約とユダヤ教というイエスを育んだ土壌は否定のしようがないはずです
atheistさんのおっしゃる通り、
旧約の時代に、民族主義的・軍事主義的なユダヤ教が発達したのは、
当時の時代背景上、仕方のないことであり、
その民族主義的・軍事主義的出来事が
(中には歴史上の事実を元にした創作文学として)、
赤裸々に書かれているのが、旧約聖書だと思います。
民族主義的・軍事主義的な思想が主流の時代とは、
一方的な自分側の義を第一とするあまり、相手の不義を許せず、
不義なことを行われたことに対する、相手への憎しみ、
憎しみから起こる報復心、報復心から起こる報復攻撃。
報復攻撃の応酬から起こる戦争。戦争での敵味方の殺し合いの連続。
戦争で勝つこともあれば、負けることもある。
その虚しさを、幾度となく味わった時代だったと思います。
atheistさんの仰る通り、
そのような中から、一方的な自分側の義だけを第一とするのではなく、
多少自分の義を犠牲にしても、敵をも愛するという、
視野の広がった、全民族的な義を重んじる思想が芽生えてゆき、
イエス・キリストへとつながっていった見るならば、
旧約と新約を一つのつながりとして見ることができると思います。
そしてatheistさんの仰る通り、
旧約とユダヤ教の土壌にあって、
イエス様が育まれたということは否定のしようがない事実です。 >>76 続き
ダビデは神から使命を与えられて戦いに明け暮れたわけですが、
神からの使命であったのに、ダビデは多くの血を流したことで、
ダビデが神の神殿を作ることを、神が許しませんでした。
モーセは神から使命を与えられて多民族を滅ぼしました。
神からの使命であったのに、モーセは多くの血を流したことで、
モーセがヨルダン川を渡ることを、神が許しませんでした。
私は旧約と新約は二段ロケットと同じだと過去にもいいました。
一段ロケットは重力に逆らうため、強力な推進力を必要とします。
しかし一旦、宇宙空間に到達すると、一段ロケットの推進力は、
必要なくなり、返って邪魔になり捨てられ、燃え尽きます。
一段ロケットは宇宙空間に達するために必要だったのですが、
宇宙空間ではその存在は返って邪魔になるのです。
一段ロケットとは、律法主義のことです。
『新しいぶどう酒は新しい革袋に入れるべきである』
とのイエス様の言葉の真意がここにあります。
新しいぶどう酒は古いぶどう酒を否定するのではなく、
かえって古いぶどう酒を完成するのです。 >>43
一例
はじめてのおつかい
見たことあるか?はじめてのおつかい
段取りして周りに様々な補佐いるな?
何をしに行くのか。何をするのか。
何のためにそうするのか。
阻害や邪魔をする者達がどうなるのか連れ去りや違う方へ誘惑するもの達がどうなるのか。実況中継なのだ。
はじめてのおつかい
見たことあるか? >>76
>旧約とユダヤ教の土壌にあって、
>イエス様が育まれたということは否定のしようがない事実です。
根拠はありますか?
事実と言い切るには確たる根拠が必要です。
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創世記 20章
あなたは隣人の家をむさぼってはならない。
隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。
エジプトから脱出したのは、イスラエル民族の勝手な都合です。
自然の恵み豊かな土地(乳と蜜の流れる場所)で暮らして居た、カナンの人々には何の関係もありません。
自分達の都合で、勝手にカナンの土地からエジプトへ移り住み、
また、自分達の勝手な都合でエジプトから脱出した。
そして、カナンの土地を再び奪い取る為に侵略してカナンの人々を大量虐殺した。
「あなたは隣人の家をむさぼってはならない。」などと誓いを立てさせて置きながら、何故カナンの人々からは奪うのですか?
本当に最初からウソ吐きで人殺しの邪神(悪魔)じゃないですか。
こんなインチキなB級神話の何が有難いのですか?
ましてや、そんな駄作な神話を史実と思い込む信仰は狂気の沙汰以外の何ものでもありません。 >>79
以下はwebを検索した結果です。
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カナンでは,不道徳,異教の崇拝,子どものいけにえが広く行なわれていました。
聖書歴史家ヘンリー・H・ハーレイによると,その地域で発掘を行なった考古学者たちは,
「バアル[カナン人の主要な神]へのいけにえにされた子どもたちの遺骨の入った壺を大量に発見し」ました。
ハーレイはこう付け加えています。
「その全域が新生児の墓地であった。……カナン人は,
自分たちの神々の前で宗教祭儀として不道徳行為にふけることにより,
またその後,自分たちの長子をそれら同じ神々への犠牲として殺害することにより礼拝を行なった。
カナンの地は大方,国家的規模でソドムとゴモラのようになっていたようである。
……カナン人の諸都市の遺跡を発掘する考古学者は,
神がなぜもっと早く彼らを滅ぼさなかったのだろうかと不思議に思うほどである」。
カナン人を絶滅させたことは,神の愛と相いれないように思えるかもしれません。(ヨハネ第一 4:8)
しかし,詳しく調べると,神の愛がはっきり見えてきます。
カナンの住民が悪の道を歩んでいることを,神はずっと前から知っていました。
それでも,すぐにぬぐい去るのではなく,彼らのとがが『満ちる』まで400年も辛抱強く待ちました。―創世記 15:16。
カナン人が罪を重ねて改善の見込みが全くなくなったとき,
エホバは彼らに終わりをもたらしました。
とはいえ,カナン人をだれかれ構わず処刑したりはしませんでした。
すべての人が矯正不能だったわけではないからです。
ラハブやギベオン人のように,進んで歩みを改める人には,憐れみが示されました。
―ヨシュア 9:3-11,16-27。ヘブライ 11:31。
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ローマ2:28-29
というのは、
「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく」、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない。
かえって、「隠れたユダヤ人がユダヤ人」であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである。
↓
「外見上のユダヤ人」とは?
「隠れたユダヤ人」とは?
ーーー 対価に死を求めるのは新約もさして変わりない
ヨハネとイエス、ステファノ
今持って人は人を殺す >>81
ーーー
「外界」と「内界」とは。
「隠れる」とは
「外界で見つからない様に内界に隠れる」かと。
ーーー >>84
ーーー
ついでに「琴さん」って
「内界についての一切の言及が無い」のですよね。
ーーー >>80
創世記 19章
主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、
これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。
しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。
アブラハムは朝早く起き、さきに主の前に立った所に行って、ソドムとゴモラの方、および低地の全面をながめると、
その地の煙が、かまどの煙のように立ちのぼっていた。
こうして神が低地の町々をこぼたれた時、すなわちロトの住んでいた町々を滅ぼされた時、神はアブラハムを覚えて、
その滅びの中からロトを救い出された。
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もしカナンの人々がソドムとゴモラのように、ユダヤの神(実は悪魔)の目に、許し難い罪と悪があると云うなら、
何故、イスラエルの人々がカナンの人々を虐殺して財産を分捕ってよい理由になりますか? ( 神が自分で滅ぼせばよい
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創世記 18章
アブラハムはなお、主の前に立っていた。
アブラハムは近寄って言った、「まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。
たとい、あの町に五十人の正しい者があっても、あなたはなお、その所を滅ぼし、その中にいる五十人の正しい者のために
これをゆるされないのですか。正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを、あなたは決してなさらないでしょう。
正しい者と悪い者とを同じようにすることも、あなたは決してなさらないでしょう。
全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」。
主は言われた、「もしソドムで町の中に五十人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう」。
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殺さないように懇願するアブラハムの話。
その一方で、平気でイスラエル人にはカナンの人々を大量虐殺させている。
実に矛盾したクダラナイ作り話です。 ヨハネによる福音書 8章
あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。
彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。
彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。
しかし、わたしが真理を語っているので、あなたがたはわたしを信じようとしない。
あなたがたのうち、だれがわたしに罪があると責めうるのか。
わたしは真理を語っているのに、なぜあなたがたは、わたしを信じないのか。
神からきた者は神の言葉に聞き従うが、あなたがたが聞き従わないのは、神からきた者でないからである」。
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矛盾だらけの旧約聖書を読むならば、
これは、その通りだと思う。 よくヨハネ書は精神世界を描いたものだとか聞くけど
真のぶどうの樹は房がなったまま落ちないとか
よくわかんないw 私は真の母である
私と貴方はへその緒で永遠に繋がっているとか
すげえ気持ち悪い話ししてると思うのよね >>64
第一イザヤ書のみがイザヤが書いたものだと常識です。第二イザヤ書は論外です。
しかし第二イザヤ書もイザヤが書いたものでは、ないのです。著者は不明です。 >>92
訂正
第一イザヤもイザヤが書いたものではないらしい。 >>64
第二イザヤは2世紀後に書かれたものですし
第三イザヤは3世紀頃に書かれたものです。 ーーー
・・・「書記」とか「代弁者」とか何でしょうかね。
・・・「132?さん」
ーーー 旦那様は聖書は創作だと言いながらなぜ第二イザヤだけはそのまま真に受けるんでしょうかね。
http://www.iqtest.cc/result-iq-test-e.html
↑これわね、私が受けた中で一番低い数値ですが
此れしか貼れなかったのです。
他のは名前が入ってるから貼れない。
大抵は142か145なのですが
一番低い数値132しか貼れなくてね
145だけど名前入ってるから名前の載ってない132を貼ってるわけ。 >>96
MENSA基準に数値を変換すると170か180に成ります >>95
実際よりも
数世紀後に書かれたら
キリスト教側が都合よく書き直した、纏めたのがわかるでしょ ーーー
0098 神も仏も名無しさん 2023/02/16(木)
18:04:03.30
実際よりも
数世紀後に書かれたら
キリスト教側が都合よく書き直した、纏めたのがわかるでしょ
↓
「カトリック(公同、普遍、普公)」
則ち「スタンダード化」に基づいてだと思う
のですよね。
「Mensa(メンサ)」は「131以上」でしたよね。
ーーー キリスト教側?
死海文書が発見されたがユダヤ教の聖書と寸分違わぬ内容だったそうだよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています