>>902
その通りです。あのお二人はシンボル的な存在です。
ユダヤ人に殺され、認められなかったイエスを、
認めさせなければならないので、お二人を使って連続性の話をつくる。
新約は、そこにも力点をおいて、挿入編集されている事がわかる、
二人の登場箇所です。

昨夜、またユダヤ教で最も基本的な聖典、トーラ(律法)であるモーセ五書
(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)を
読んでいたのですが、少し前まではゾクっとだけだったのですが、
漫画だと思えてきて、そうするとゾク&おもしろかった。
ああそうか、これを読んでモーセとその神が信じられる、
信じ込まされる宗教であるから、問題なんだってね。

だってね、自然現象だけでなく、筋が通っていない展開なのです。
その筋の通らなさを、神の圧力的な暴力で、まかり通させていくのね。
信じるとか、宗教とかを一旦、自分の外に置いておいて、
冷静に読むことができないと、罠にはまるんだと思いましたよ。

今から外勤に出ますから、その爆笑の顕著な箇所は、
紹介するとしても後になりますが、
みなさん、読んでいないのではないかと、それも思いました。
ピックアップされた、奇跡のようなエピソードだけを聞いているだけで。

まあ、一度娯楽だと思って読んで見てください、笑えますよ。
でもね、ゾクッとするのは、なんて可哀相なんだろうモーセについていった
イスラエルの人たちは、と深く感じ取るからです。

モーセとモーセの神は、イエスと真逆と言ってよい。そりゃ、殺されますよ。
救い主だと納得させようとして、の創意工夫の挿入福音書は、
そのようなことをした為に、ヘブライ聖書(旧約聖書)に飲みこまれる
引き返せない、過失となっているのです。