【最後の審判が来るまで】神慈秀明会Vol.110【続けましょう】
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「最後の審判が来るまで続けましょう」
だとハルマゲドンを待ち望む宗教と思われるので
「最後まで続けましょう」
と隠語で信者を焚き付けているのです
ピンポーン♪
< あなたの健康と幸せを祈らせてください!!
ハ,, ハ
( ゚ω゚ ;)
/ ヽ
|| | |
|| ||:ハ_ハ:
し| i |J ゚ω゚;): パパ、お断りして...
| || ⊂´):.
| | .| と_つ
. し ヽJ
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《家族を新興宗教から守ろう》
http://anticult.minibird.jp/shuumei/index2.html
『借金させ高額献金 神慈秀明会は違法』
http://anticult.minibird.jp/shuumei/hanketu01.html
《京都地裁で勝利判決》
http://anticult.minibird.jp/shuumei/img/20071226kyoto.gif
《大阪高裁でも秀明敗訴》
http://anticult.minibird.jp/shuumei/img/20080709kyoto.jpg
神慈秀明会体験談 anti-cult 掲示板へ寄せられた被害の実態
http://anticult.minibird.jp/shuumei/taikendan/taikendan.html
アンチ・カルト 神慈秀明会の概要
https://anticult.exblog.jp/497638/
宗教勧誘に注意せよ!神慈秀明会という団体が、大挙して勧誘
http://excelact.com/Works/shukyo.html
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◎前スレ
【悪事を暴き】神慈秀明会Vol.109【子供と老人を守れ!!】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1660986062/ 薬毒がどうのというのもなあ
信者に若者が多かった昭和時代ならともかく
いまは高齢者ばかり
薬を飲むなといってもムリ 薬をのまない
支部長らは
50代で
がんでバッタバッタと死ぬしまつ それで本人が長生きしたんなら、ともかく
病気になったんだから説得力ゼロ 遊びまくったことがたたって
脳卒中になったんだろう 岡田茂吉がドヤ顔で吸ってた
タバコなんか
吸わないほうがいいに決まってる 酒はまだ「血行を良くする」という作用があるから、人によってはプラス効果があるが
タバコにはプラス要因が何もない >>487
キモ
周りにヨイショされて欲望まみれ(>_<) 岡田茂吉の迷信と科学について
『光』28号、昭和24(1949)年9月24日発行
迷信は何から生れるかというと、実は科学からだといったら世人は吃驚(びっ
くり)するだろう、それはこういう訳である。
現代人は何でも科学で解決が出来るように思っている、しかも高等学府を出
たものほど、最もそう信じている、ところが実社会にブツかってみると、学校で
習った事とあまりにも食違う事で、事実学理ではどうにもならない、と覚り科学
以外にそれ以上の何かを求めようとする、そればかりではない、思わぬ災が来
る事もあり、これなら大丈夫と思ってやった事が反対の結果を招く事さえある、
実に世の中は割り切れない事だらけだ、という訳で、一種の失望と前途不安に
襲われない者はほとんどあるまい、こんな訳でインテリ人が、人に知れないよう
極内密で、何々判断や人相、手相、神憑り行者の御託宣等を受けに行くもの
が、案外多いという事である。
以上述べた事によってみても、最初述べたように、科学で解決されない事が
余りに多い結果、迷信に走るという結果になるのであるから、全く迷信は科学
が作るといっても、否とはいえないであろう。
(岡田茂吉師御論文です) 科学では解決できないものが多い
インテリが人相や手相、神がかりの御信託などの迷信に嵌るケースが案外多い
従って迷信は科学が作る
って、論理の全てが破綻してる…(^_^;) これ、居酒屋の酔っ払った頭が悪いおっさんの偏見と断定に満ちた何の根拠もないけど全能感に満ちた俺様理論レベルの話じゃないか… これ、論文として冊子に載せたら絶対あかんやつやん…(^_^;) >ところが実社会にブツかってみると、学校で
>習った事とあまりにも食違う事で、事実学理ではどうにもならない
それって、「科学」と関係ないだろ(笑) >科学では解決できないものが多い
そりゃそうだ
>インテリが人相や手相、神がかりの御信託などの迷信に嵌るケースが案外多い
論拠を提示してない偏見からの断定だが、そういう人もいるだろう
>従って迷信は科学が作る
ってなるかーーーーい\(^o^)/ 岡田茂吉は全般的にアフォだけど、理系分野にはとくに極端に弱かった やばい
無作為に開いてこれだから、、、期待に胸が高鳴ってしまう
ボケの宝庫の予感(;゚д゚)ゴクリ… https://ameblo.jp/miyatatata/entry-11401894153.html
未発表『医学革命の書』昭和28(1953)年執筆
近来日本においても精神病が非常に増えたとされているが、これは当然である。
もちろんこの原因も薬毒のためであって、今日の人間は矢鱈(やたら)に薬を用いると共に、頭脳を使うので、薬毒は後頭部から延髄付近にかけて固結する。
その固結が脳の血管を圧迫するので、脳貧血を起す。それが不眠症の原因となるので、不眠が長く続くと精神病が起るのである。ゆえにこの治療法で右の固結を溶解排除すれば、眠れるようになるから治るに決っている。
ところが医療では不眠症を治す事が不可能であるため治らないのである。これについて近来電気療法が若干効果ありとされているが、電療は毒素を固めるからそれだけ縮小され、脳貧血は幾分緩和される、それだけの効果で、無論一時的で本当に治るのではない。
この患者〔略〕が、浄霊するや連続的下痢があったのは、後頭部の固結が下痢で排泄されたから治ったのである。従って吾々の方では精神病は治りいい病気とされている。
(岡田茂吉師御論文です) ・近来、精神病が増えた
・原因は薬の摂取過多と脳を使いすぎるから
・薬の摂取と脳を使いすぎると後頭部から延髄でそれが固結する
・それが脳を圧迫し、脳貧血を起こし、不眠症になる
・不眠症が長く続くと精神病になる
・固結が溶解解除すれば眠れるようになるに決まってる
・しかし医療では不眠症は治せない
・電気療法で固結を小さくできるから一時的な治癒は出来るが根本的には治らない
・浄霊すると固結を溶かせられる
・浄霊の後の下痢の排泄がその理由
・だから治った
・我々にとって、精神病の治癒は余裕
すごい論理だ
なんの客観性もないw 薬と脳の酷使が後頭部から延髄の薬を固結させる、の客観的な根拠は一体なんなのだろう また、脳貧血が不眠症をもたらす根拠は一体なんなのだろう この謎理論をもとに話が進んでいるが、誰がんなこと信じるか😂
という常識にはお構いなしにぐいぐい話を進めてゆく😂 極め付けは、浄霊の医療に対する優位性の論理が、医療では不眠症を治せない、には笑った😂 さらに極め付けが浄霊なら溶かせる、その証拠が下痢であるのには大爆笑を禁じない😂 しかも、精神病の治療は我々なら余裕、のドヤとイキリで締めるところもジワジワきてしまう😂 もきっちゃんは本当に大本の幹部クラスだったのだろうか… もきっちゃんのボケを通じて、大本はなんか凄いの印象がだいぶん毀損されてしまったぞ(^_^;) やばい、無作為で選んだ二件が面白すぎて、まだ読みたくなるエンタメの誘惑に勝てない… https://ameblo.jp/miyatatata/entry-11400218974.html
(岡田茂吉師御論文です)
科学の使命
『明日の医術・新日本医術としての岡田式療病法』昭和11(1936)年5月15日発行
人間が、科学の力に依って、機械の進歩は言わずもがな、有生物である植物の種子を改良したり、科学的肥料を与えて、増大又は増産させたり、花の色を思うまま、変化させたり果実を大きく生らせたりする事は、驚くべき進歩である。
又、動物や家畜を改良したり、鶏に卵を多く産ませたり、最近は、牛や馬の精虫を、飛行機で輸送して、受胎させるという、驚くべき報告さえあるのである。
その他、小禽(ことり)や金魚等までも、欲するままに改変出来る程に、進歩した事である。
それは人間を、形而上の存在とすれば、それらあらゆるものは形而下のものであるから、人間の意思のままに出来得るのは、当然な事である、
森羅万象に対する自然法則は、そうなっているからである。
それであればこそ、人間が、人間を自由にする事は、出来得ないのである。
それは同じレベルの存在である人間同志だからであって、もし、人間を自由にするものがあるとすれば、それは人間ではない、人間以上のある物であって、超人間、又は、神と名付くべきものである。
この理によって、科学は人間が造ったのであるから、同じレベルの存在である人間を自由にする事は、法則が許さないのである。随って、その科学から成立ったところの医学で、人間の病患を治癒し、健康を増進させようとしてもそれは、自然法則に反する訳である。
この事に現代人は、目覚めなければならない、今日の社会において、この自然法則に背反する事物も多くあるが、その中で、医学は、その最たるものである。故に、人間の病患を治するその力こそは、人間以上のある者でなくてはならない事は、まことに自明な理である。ちょうど、動物や植物を、自由にする力は、動植物自身には無い、それは、動植物以上の存在である、人間が有っているのみである。又、言い換えれば、人間と同じレベルの科学で、人間を治そうとするのは、下剋上でもあり、共産主義的でもあろう事である。共産主義を作った猶太(ユダヤ)人が、医学を作ったという事は、面白い事である。
人間の病気を治すべきものは、人間以上のある存在であるとすれば、それは、神である。故に科学は僭上(せんじょう)にも、その神のみが有(も)ち給う、
治病権を犯しているのである。それの現われとしての西洋医学は、人間をして、神に対する様に、拝跪(はいき)さしている。
猶太人の生んだ共産主義は、絶対に神を否定している。そうしておいて一方、科学を神の王座にまで登らせて、人間に拝跪させようとしている。
そればかりではない、科学は、その産物である医学を以て、ついに人間の生命をさえ、
自由にしてしまった事で、世界中の大部分の人間は、この医学の掌中に、握られてしまったのである。人間の生命は、元々創造神の御手のものであって、決して科学の手中に、あるべきものではない。それが、今日はどうであろう、人間の生命の所有主である――神の手から、科学は、奪取してしまって、思うがままに自由にしている。日本人の平均寿齢、四十余歳までに、短縮されてしまっていても、なお未だ眼覚めないばかりか、益々崇信している事である。
矢張り、科学は科学としての、自(おのずか)らなる使命がある。それは、人間より以下の存在への進歩発達、それが、真の使命である。故に、私達の運命は、立入るべからざるところへ立入って、自然法則を破って、軌を脱している科学を、科学本来の使命へ戻してやる事である、つまり科学に奪取されている、人間の生命と霊魂を、再び、本来の所有主である神へ、返還さす事である。それに依って始めて、人類の生命は延長し、病無き時代が来るのである。
その具体化としての事業が、本療病術であり、これが吾らの、天よりの使命である。
(岡田茂吉師御論文です) これまた、すげーことを言っている。
科学は凄い。形而下の事柄に関してはマジ凄い。
でも形而下のものをいのままに出来るのは普通だよね。
人は形而上の存在である。
科学の対象は形而下のもののみにすべき。
人間と人間は同じレベル。
だから人間は人間のいのままにしたらダメ。
それをやっていいのは神様だけ。
だから医療は人間に対してやったらダメ。
人間以外なら自由にしてよし。
それやったら自然法則に反する。
それやったら下剋上。共産主義。
ユダヤ人まじファック。
それ、治病権の侵害だから。
共産主義、神を侮辱してっから。
科学は神になろうとしてっから。
そのせいで平均寿命が40歳なんだから。
科学は人間に関与したらダメ。
そういうのは茂吉に任せない。
そしたら平均寿命伸びて病気にならなくなるから。
これが俺たちの使命なんだ。 もきっちゃんにとって人間の「身体」は形而上のものらしい
そんなこと言ったら東洋医学はどうなるんだw
しかも、平均寿命が短い理由を医学のせいにしてるが
なら、医学がない時代になればなるほど平均寿命は下がるから
人類は年々、早死にすることになるw
しかも治病権ってなんだよw
しかも途中からユダヤ人と共産主義のディスりに変わっとるしw
単に科学ディスってもきっちゃんドヤしてるだけのリサイタルやん😂 三件読んでわかったが、もきっちゃんはハッタリとイキリなタイプなんだな(^_^;) ちなみにマジレスすると、人間の形而上の要素はキリスト教的には霊魂で、身体は形而上ではなく、形而下
チリから作られたものはチリに変えるが霊魂は不滅だ
んで、もきっちゃんは医療の身体に対するアプローチを形而上の存在を自由に好き勝手に扱う行為だからダメ、と言っている
薬や手術などは別に人権を侵害していない
合意のもとでなされるから、個の尊厳、自由意志に沿っている
むしろ、駅前で求めてもいないことをやらせろと求めてきて強引に布教をする行為は公共の福祉を阻害し、個の尊厳を毀損する迷惑行為だ
しかも、もきっちゃんは浄霊は神の働きだから治病権が自分にはある、とか宣っとるが、そもそも浄霊が神の働きと「一方的に主張してるだけ」で、仮に違った場合、自分の主張により、自分が自然法則に反することになることに気付いていない😂
また、そもそも自然法則とは形而下の事柄に適応されるものだから、その意味で医学の治療は自然法則に沿っているわけで
ほんと、いろいろおバカすぎるな
大本はこのおバカのどこに何を期待して重用してたのだろうか…(^_^;) >>509
凄い人ですね
文系ならもう少し論理的な文章かけるぐらいの理性は欲しかった😢
>>527
沼ですね😂 >>532
少し読んだだけで
さる知恵ってのが
わかりますね >>529
「病気を治すのは、神だ。医療は人間の分を超えた行為」ってか
原始人に戻れというんだな さすがに、こんなのを信じて医療拒否する時代じゃあるまい >>523
> もきっちゃんは本当に大本の幹部クラスだったのだろうか…
大本の文芸誌に、短歌や俳句を投稿する常連だったので注目された
東京で支部長をやってたが、東京支部長ではなく、
大森の自宅に人を集めて「大森支部長」を
名乗ることを許された
勝手にお守りを作って販売したり
不正行為をするので評判が悪かった
幹部クラスといえるかは微妙(笑) 『巨人出口王仁三郎』著者 出口京太郎
P105
〇おやじは大きかったなあ
このころ、東京の大本大森支部長をしていたのが岡田茂吉である。のちに世界救世教教主となるのだが、この岡田と王仁三郎については、おもしろい話が残っている。
大本ではむかしからお守りを出しているが、いつのころからか、岡田は自分でそのお守りを出しはじめた。自分の支部の信徒に下付したりしていたのだが、そのうち、このうわさが大本の幹部の耳にはいり、けしからんふるまいと激怒した幹部たちは、岡田をむりやり、王仁三郎のもとへひっぱってゆく。こってり油をしぼってもらおう、というわけだったのだろう。
幹部の口々に告げるご注進をひととおり聞き終えた王仁三郎は、やがて、隅のほうで小さくなっていた岡田を前へ手招きした。
岡田は百雷一時に落ちることを観念して、ひたすら平伏した。すると、王仁三郎は岡田の耳もとに口を寄せ、他の者に聞きとれぬくらい低い声で、
「ああいうて、みなが怒るよるからな、みなにわからんよう内緒でやれよ」といったものである。
岡田はいまこうやって一つの教団をひきいてみて、自分の部下でかってにお守りなど出す者が出たとしたら、とてもほっておけるものではない、と語りながら、
「おやじは大きかったなあ」とつくづく述懐している。 岡田茂吉は独立して、教団を起こす時に、出口王仁三郎に報告に行っている。
(昭和10年頃)その時にも、
「お前は一代限り独立して活動することを許す」
と言われたという。
茂吉の死後にどうなるかが、王仁三郎には見えていたのかもしれない(笑) >>535
,,.r'' ゛~~` ''ッ,, ) )
、 ,,,,,,,,,Ω,,,,,,,ヾ. ,.、 / /
ミ ミ゛ 彡三ミ ミ ミ .. | |l l ,´
ミ ミ, _,,,,,.ハ、,,,,,_ ミ ミ. . _-、i::| |ニニii '
、,,,,ツi: ミ´´‘` | |´‘``ミ ミ /,‐ヽヽ`、||
、シ`` i: ,ゞ、 , J レ、 ミ ミ . .( .〉〉/
シ // ミ`l ./\_,/ヾ .ミ "、呼んだ? ./ ノ
ミ/ シ 彡 !trrrrrry| ミ ミ,, ,r'´ ,,、'゛
ミi. / / ' !w`~^' vwv '、ミ ミ 〃 .ミ
.ミ / i: / `^^ \ " 〃 ミ
岡田茂吉(mokichi okada)
(日本 1882-1955) >>542
二代目からは許されてない(;゚д゚)ゴクリ… >>545
> 二代目からは許されてない(;゚д゚)ゴクリ…
茂吉の死後、世界救世教は分裂し、
バリケード作って、ゲバ棒で殴り合う大抗争
神慈秀明会は離脱して献金地獄、裁判沙汰の連発
開祖の死後に分裂するのは宗教団体にはアリガチなことだけど、ここまでメチャクチャな大混乱になったのは他に類を見ない 子孫の四代目・岡田陽一は追い出された
茂吉の死後は、本当にろくなことがない 宗教立ち上げる器じゃなかったんでしょうね…
拠り所になるものが浄霊以外にはないので… 一代こっきりなら
世の中の影響力も少ないとみられたのかも
しんないね
それでは
小山家が成り立たなくなるから
存亡をかけて
独自路線をつくろうとした
結果
借金まみれの信者をふやしただけ ヒーリングだとダスカロスがいるけど、謝礼は受け取らない、で徹底してたし、周りにひとが集まってきても、宗教法人ではなく、真理の探究が目的のサークルだし、そのサークルに入る際には自由意志で受け入れないといけない誓約があるし、経年で立ち上げた組織がどうなるか、は埋め込まれたDNAやシステムが規定する もきっちゃんとは大違い
http://daskalos.jp/101researcher/111daskalos.html
「ダスカロス」ことスティリアノス・アテシュリスはまだ日本ではあまり知られていませんが、スピリチュアリズムに関わる人々の間では「ザ・ヒーラー(世界一のヒーラー)」、「20世紀における最も偉大な霊性の教師」と呼ばれ、最大限の尊敬を集めている人物です。
彼は生涯を通じて無償で多くの人々を癒し、無条件の愛を示し続けたヒーラーであり、霊的な真理を教え続けた教師でした。
ダスカロスは1912年、地中海に浮かぶキプロスという島国に生まれ、95年に亡くなるまで首都ニコシアにほど近い、ストロヴォロスで暮らしていました。
自分の名前が知られないように努めていた彼は生前から、周囲の人々にただ「ダスカロス」 ( ギリシャ語で「先生」を意味する ) と呼ばれていました。
ダスカロスは幼少期から目に見えないガイドと会話し、またごく自然に他人の考えていることがわかったといいます。卓越した意見を述べて大人を驚かせることも多く、小学校ですでに先生たちの学問上の問題を助けることもあったそうです。 すべての過去生を覚えていたダスカロスは、現代ギリシャ語、古代ギリシャ語、トルコ語、ラテン語、ロシア語、英語、フランス語、イタリア語、サンスクリット語、アラム語、そして古代エジプトの象形文字など数多くの言語に通じ、イギリスに留学した際には、哲学博士と神学博士その他の学位も取得しています。
また、キリストであるジョシュア・イマヌエルが生きていた時代に最年少の弟子だったダスカロスには、生涯を通じてヨハナン ( 福音書の著者であるヨハネ ) が霊的なガイドとして連れ添っていました。
ダスカロスは立つことすらできなかった小児マヒの子どもを歩かせたり、再起不能なまでに変形した背骨を再生するなど、奇跡のようなヒーリングを行なうこともできました。しかし、ヒーリングは聖霊によってなされるもので自分はそのチャンネルにすぎないと考えるダスカロスは、大勢の人を癒しながら決して謝礼や治療費を受け取ることがなかったといいます。
彼の家はそんな噂を聞きつけた人であふれ、時には一日に80人以上の人々が癒しを求めてやって来ることもありましたが、ダスカロスはどんな時も拒むことなく人々を受け入れ、“神聖なる計画”の一部である本人のカルマが許す限り、その人は必ず癒されたそうです。 彼が行なう驚異的なヒーリングを目にして「奇跡だ!」と騒ぎ立てる人も少なくありませんでしたが、そんな時、決まってダスカロスは「奇跡でも何でもない。自然の法則を知っていれば、誰にでもできることなんだ」と語り、また人々が感謝しようとすると、いつもこう言って遮りました。「私ではなく、神に感謝してください」と。
癒しを求める人だけでなく、ダスカロスのもとには世界中から様々な人々が教えを求めて訪れました(ここでは実名を挙げませんが、多くの著名な霊的リーダーたちが欧米から彼のもとを訪れました)。しかし、こうした“教え”に関しても、ダスカロスは「自分は単にヨハナンや他のマスターたちのチャンネルに過ぎない」と強調していました。
また口ぐせのように「真理の探究者にとって、名声とは罠なんだ」と語っていたダスカロスは誰にも自分のことを書かせず、インタビューも受けつけませんでした。
こうして彼は細心の注意を払って脚光を浴びる危険性を避けながら、83年の生涯を他者への愛に捧げ、市井の人として生きたのです。 そんなダスカロスが、取材の申し出に「(ヒーリングや教えについて)私の手柄にしないという条件を守るなら」と名前を伏せて書くことを許可した唯一の相手、それが過去生からの縁があったキリアコス・マルキデスでした。
アメリカのメイン大学社会学教授であるマルキデスのルポルタージュ(邦題『メッセンジャー』太陽出版刊行)は85年に出版されると欧米でミリオンセラーになり、ダスカロスのもとを訪れる人はいっそう増えました。
『メッセンジャー』以降もマルキデスはダスカロスの本を2冊出していますが、このシリーズには教えだけでなく、ヒーリングや体外離脱による奉仕活動の様子、崇められることを嫌い、誰に対しても親しい友人として接していたダスカロスの姿や、ユーモアたっぷりの人間味あふれる素顔が生き生きとした筆致で描かれています。
ダスカロスは第一級の覚者であり、真のヒーラー、魂の医師でしたが、中でも人生の関心事は周りの人々の痛みを和らげることと、自己発見の旅に関心を持っていて、旅立つ準備のある人々の手助けをすることだったといいます。 そのため、彼は定期的に「サークル」と呼ばれる勉強会を開き、“旅立つ準備のある人々”を対象に、自由な雰囲気の中で真理について、聖霊との共同作業であるヒーリングや精神修養の具体的な方法について、やはり無償で教えていたのです。
このサークルは彼が亡くなった今も世界的に広がり、欧米を中心にたくさんのサークルが、ダスカロスの遺した著作や講義のテープやビデオを使っての自主学習を続けています(ヒーリング同様、天から受け取ったものは無償で与えるべき…、というダスカロスの教えに従って、これらのサークルも無償で運営されています)。 また、ダスカロスは生前から、教えを宗教にすること、サークルを組織化することは決して認めませんでした。それはダスカロスが「無批判に信仰する者より、理性的な無神論者のほうが神に近い」と考え、また組織化することによって、教えが欲望や権威主義といった人間のエゴイズムに利用されることを危惧したからでしょう。
ダスカロスは矮小化された、特定の宗教的イメージがつきまとう「神」という言葉も極力避け、“絶対無限の存在”という表現を好んで使っていました。真理の探究には宗教や民族の違いはもちろんのこと、時間や場所さえも超越した愛と理性、そして“神聖なる計画”を理解することが重要だと、彼は考えていたのです。
ダスカロスはよく、自分の語る言葉であっても決して鵜呑みにしてはいけないと、生徒たちを戒めました。何であれ鵜呑みにせず疑問をもち、すべてを実際に体験して試し、自己修養によって得られた指針から主体的に判断しなくてはならないと教えたのは、他者を崇拝し盲目的に自らを委ねてしまいがちな人間の危うさを知っていたからだと思います。
ダスカロスは人間の心にジャングルのように巣くうエゴイズムからの脱却という、厳しい課題の実践を生徒たちに求めました。多くの人々にアピールする意識の覚醒、ヒーリングや霊的能力の修得といった華やかな表の部分ではなく、奥深く地道な ― だからこそ確かな力となる ― 真の霊的教えの実践を説いた教師、それがダスカロスだったのです。 ダスカロスは7歳のときにヨハナンから<7つの約束>を授けられ、その導きによって自分の学校の先生たちを相手にサークルを始めたといいます。
<7つの約束>を読むと厳しい戒律のような印象を受ける人がいるかもしれませんが、これは戒律でも、破ることが許されない誓いでもありません。ダスカロスはサークルに入門する生徒たちを「真理の探究者」(Researchers of Truth)と呼んで、7歳のときに自分が授けられたものを、彼らと分かち合いました。それは、真理の探究者ならば心に刻むべき“約束”、それが<7つの約束>だと考えたからなのでしょう。
<7つの約束>の中でも、とりわけダスカロスが重要性を強調したのが、7つめの約束である「内省」です。一日の終わりに、自らの感情・思考・行動を顧みて、自分を裁くことも賞賛することもなく、第三者として客観的に点検する。不足があれば、より良い感情・思考・行動をシュミレーションしてみる。これを習慣化することによって、「感情と思考をコントロールしてエゴイズムを減らし、兄弟姉妹であるすべての人々を愛する」ようになること、それこそ真理の探究者にとって最も大切な修養だと、ダスカロスは考えていたのです。 こうしたダスカロスの教えの多くは、かつてキリストが12人の弟子に与えたものと同じ、<エソテリック・ティーチング>(秘儀的な教え)と呼ばれる内容だといいます。
<エソテリック・ティーチング>とは、古代エジプトの時代から高位の僧だけに脈々と伝えられた秘儀・秘教です。なぜ、こうした教えが一般の人々に長く隠されてきたというと、霊的知識や能力について学び、修養を重ねることには、常に大きな責任と危険がつきまとうからだとダスカロスは語っていました。
(どれほど霊的に成長しようと、人間には最後まで欲望、慢心といったエゴイズムの誘惑がつきまといます。そして知識や能力を持つほどに自他への影響力は高まり、間違って悪用した場合のダメージや“負債”はいっそう大きくなってしまうのです)
ダスカロス自身も、修養を重ね、着実に意識の覚醒に向かいながら大きく階段を踏み外した人々を、実際にたくさん見てきたのだと思います。
そして、そんな彼らの姿に胸を痛めていたからこそ、「内省」の重要性を説き、<7つの約束>によって日々エゴイズムを減らしながら、急がず一歩ずつ確実に意識の階段を昇っていくように警笛を鳴らし続けたのでしょう。 ダスカロスには学生時代に影響を受けた
小学生の頃以降、キリスト教からは離れたが、キリスト教にもどる一番のきっかけを与えてくれた人でもある ダスカロスは確か正教会所属だったはずだが、彼の活動はキリスト教会とは関係がない
カトリックの観点だと、ダスカロスはニューエイジに分類される
が、正教会の中でもダスカロスは有名で尊敬されていたらしい
個人的には善いニューエイジに分類している 彼のような人を知っていると、岡田茂吉のような人物は下品な俗物にしか見えなくなる
秀明会の方々は彼を調べてみて、岡田茂吉と比較してみて欲しい また、世界救世教がなぜ戦争状態になり、ダスカロスのサークルはそうならなかったか、についても考察してみて欲しい
戦争が起きるのは利己心の種がDNAとして受け連れられているから
ダスカロスのサークルも娘さんが継いでおり、世襲だ
しかし、利他的な動機だけで作られた、組織化を拒否するDNAを植え付けられたサークルは戦争が起きることはない これらは、「予め設計」されるもの
その設計への解像度の高さが何かの活動を始めた人の「器」だ
岡田茂吉は一代しか続かなかった理由は器の小ささにある ひょっとして、「サティ」という名前はダスカロスに由来? いや、名前の由来は作曲家のサティです
家具のような存在を目指そう、という願望の表れですw 宗教スレ一、バトってるので例によってがっつり名前負けしております😂 あれ?
Wikipediaで確認したら、ダスカロスの
本名はスティリアノス・アテシュリス? 「スピロス・サティ」ってのは通称だったのか
ずっと勘違いしていた😅 鹿野園なら、
「遍計所執性、依他起性、円成実性。
どうだ、俺ってスゲー物知りだろ?」
とかなんとか、タンスに向かって
ブツブツ威張りそうだ そうですね
んで、タンスに蹴りを入れてきて
痛てーーーって自爆するパティーンw 鹿野園にしかできない必殺技
自分の延髄に回し蹴り😂 禁欲
https://ameblo.jp/miyatatata/entry-11396992572.html
昔から立派な宗教家たらんとするには、禁欲生活をしなければならないように想われ、それが真理を悟り、魂を磨く最良の方法とさえ思われていた。しかし私は反対である。以下判りやすくかいてみよう。
そもそも、森羅万象一切は人間のために存在している事である。見よ、春の花、秋の紅葉、百鳥の囀り、虫の啼く声、明媚なる山水、月の夜の風情や温泉等々は、何が故に存在するのであろうかという事を考えなくてはならない。 いうまでもなく、神が人間を楽しませるために造られたものでなくて何であろう。また人間が謡う美しき声や、舞踊や、文学芸術等も、もちろんそれによって当人も楽しみ、他人をも楽しませるのである。
それのみではない、人間生活においてあらゆる美味なる食物はもとより、建築、庭園、衣服等も必要のためのみではない。
より娯しむべき要素が含まれている。飲食を楽しむことによって、栄養となり、生命が保持される。
住居も衣食も必要だけの目的であれば、甚だ殺風景のもので済む訳である。子供を造る事も必要の目的のみでない事は言うまでもない。 以上のごとく大自然も、人為的のあらゆる物も、一方それを楽しむべき本能を神が人間に与えられている以上、それを娯しむのが本当である。
それを拒否し、生存上必要のもののみに満足するという禁欲主義は、深き神の恩恵に対する背反的考え方である。また他の方面をみる時、今日までの特権者が利他的観念に乏しく、自分や自分一族の者のみの快楽に専心し、社会や他人を顧慮せず、衆とともに楽しむという、人類愛的思想の発露が余りにもなかった。 それは神の恩恵を独占する訳になろう。この意味においても、私は富豪の大庭園を開放し、美術品を公開し、衆とともに楽しむべきが神慮に応えるゆえんであると思う。
翻って想うに、いにしえの聖者が粗衣粗食極端なる禁欲生活をなし、「祖師は紙衣の五十年」的生活に尊き一生を捧げたという事は、神の恩恵に叛く訳になろう。
それに気付かない世人は、宗教家を観る時、禁欲者でなくては有難くないように思う傾向があるのは遺憾である。 私は前述のごとく、禁欲に反対であるから普通人と同様の生活を営んでおり、これが神意に添うものと考えている。従って地上天国とは、人類総体の生活が向上し、芸術その他の清い楽しみは大いに発達する世界をいうのである。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています