>>97
現代史研究家の鳥居民氏は、
ポツダム宣言はわが国が「黙殺」するように作られていたと論じました。
ポツダム宣言の草案には、共同署名国としてソ連が書かれていましたが、
トルーマンと原爆投下を強硬に主張する
国務長官ジェームズ・バーンズはそれを削り、中国国民政府に差し替えました。

わが国がソ連に和平の仲介を依頼していることを知っていたため、
ソ連への期待を持ち続けさせようとたくらんだのです。

草案には天皇の地位保全(国体護持)を認める条項もありましたが、
それも削除しました。
国体護持こそがわが国がこだわっていた降伏条件だったからです。

そして、最後通告の公式文書だと思わせない形式にし、
ホワイトハウスや国務省からではなく宣伝機関の戦時情報局から発表しました。

広島と長崎に原爆を落とすまでわが国を降伏させないように、
ポツダム宣言はできていたのです。
米国は開戦前にわが国の戦争回避の努力を知りながら
時間稼ぎをして追い込みましたが、
戦争が終わるときも和平意図を知りながら引き延ばして原爆を落としたのです。

もしドイツの降伏が遅くても、
原爆はドイツに対して使われることはなかったでしょう。
日本人に対する人種偏見があったからこそ恐るべき人体実験が行われたのです。

「日本人は獣として扱う」
トルーマンは広島に原爆が投下されたとき、
ポツダム会談を終えて巡洋艦オーガスタで帰国する途中でした。
将校から「原爆投下成功」のメモを見せられると飛び上がって喜び、
「歴史上、最も大きな出来事だ」と言いました。