>>946
イエス様が身体を持って生き返ったなら、
イエス様を捕え十字架にかけたた人々のところにイエス様が現れ行けば、
話は早いのです。
そのような人のところに次々に現れたら、
もう、お手上げ、圧巻で解決したのではないでしょうか。

パウロは、ユダヤ教の異端であるイエスグループの残存者を警戒しました。
しかし、イエス死亡後、神秘体験でイエスと出会ったので、変化します。
それは、余程の体験であっのだろうと、思います。
目が見えなくなったという事は、身体を持つイエスでなく、
復活と申しましても、パウロは霊的なイエスに出会ったというのが、わかります。

弟子たちのみにおける、イエスの身体上の復活の記述が真実ならば、
なぜ、弟子以外の普通に驚愕する様な人々に現れなかったのか、

又、本当に弟子たちのところだけに現れたとしても
とんでもない驚愕であり、即行、弟子は覚醒するはずです。
食事を一緒にしたり、話をしたりしているのです。

ペンテコステをまだかまだかと待ちわびるような、逃げ出した時のままのような
あり方になるとは、考えにくいです。