こうしたことからも、自分を理解すること、自分の心のパスワードを知ることは大切である。
心のパスワード、それはすなわち、自分にとってセンシティブなものを、説得しながらだまそうと近寄って来る他者から守り、一時の流行や派手で皮相的なスローガンに影響されず自分にとって真に重要なものを見分けるために必要なものである。

 この中で助けとなるのが、「良心の究明」である。それは、生活の中で起きることを心を落ち着けて解釈し、自分が重要性を与えているもの、求めているもの、結果として見出したもの、特に心を満たすものを見分けることを学ぶ良い習慣である。

 「良心の究明」は、大いなる助けになる。それは、自分の心というものが、何もかもがスムーズに通過するような場所ではないことを教えてくれるからである。
そこでわたしたちは自分の心を見つめることになる。今日、心を横切ったものは何か。何が起きたのか。何が自分を反応させたのか。自分を悲しませたこと、喜ばせたことは何か。
一日の感情の経過や心を惹いたものをそこで見つめる。

 主だけが、わたしたちの価値を確認してくださる。
イエスは十字架の上でわたしたちのために死なれ、わたしたちがその御目にいかに大切であるかを示してくださった。主の優しい抱擁をはばむ障害も失敗も存在しない。

 祈りと自己を知ることは、自由のうちに成長することを助けてくれる。これらはキリスト者の基本要素であり、人生において自分の場所を発見するための貴重な要素なのである。