【イエス】癒し主 救い主【キリスト】Part320
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『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
(マタイ 22:37-38)
肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。
わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
(ガラテヤ 5:19-24)
だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
(ルカ 9:23)
もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
(ヨハネの手紙第一 1:10)
あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。
(マタイ 28:10)
前スレ
【イエス】癒し主 救い主【キリスト】Part319
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1659871446/ 人は皆 罪びとというのは明らかな洗脳である
これは旧約による虚言なのだ
イエスは
「人は皆 神の子である 汝らの父に直々に祈りなさい」
と おっしゃられている
これが生長の家と合致しており、真理そのものであり
自分は神の子という認識が強くなるつれ
病いが癒され 貧困が解決し 無限供給の境遇にあるのである
論理的思念法
人間は神の子であり
黴菌も神の子であるから
互いに相侵すことはない
互いに相侵すように見えても
それは仮の姿であり現象
現象は仮の姿
仮の姿は嘘の姿
嘘の姿はあるように見えても無い
したがってコロナウイルスも
いかなる病や不幸もあるように見えてもない
あるのは光明燦然と輝く世界だけであり
これが神の国
すなわち汝の心に神の国があるのである >>982
あなたは創造主じゃないから
選別する側で無いから
あなたの視点は聖書的では無いね 自分の宗教だけが正しくて他の宗教は邪教だとかいって他を批判するところは
ダメです
本来宗教とは自分の意思というよりも自己の内なる魂で判断するものなので
押し付けられても受け入れられるものではない
また罪を押し付けるような教えもいけない
本来宗教とは自由無碍であるべきなので
やたらと戒律で縛る宗教は基本的に避けるべきかと想う
基本的に聖書はイエスが書いたものではない
弟子による改竄が成されておりほとんど誰が書いたかわからんものだ
キリスト教では原罪なる罪の概念がありますが仏教
その他の宗教では罪は本来ないことになっている
なので聖書の教えを100%信じているクリスチャンは自分で信じている分には
まだいいのですが、その教えを基準に他宗教を裁こうとしている
よってそこからまちがいや争いが生じるわけだ
他宗教を批判する宗教はいけない、という批判は
批判ではなくて、いわば天の声である
なので愛による叱責であり、愛の鞭なのである >>984
いや創造主の御霊が今ここに宿っている
それは君も同じことだ
だが誰もそれを認識していないだけ
認識しないと神の超意識にはなれない
したがって色々な問題が生ずるのである
ゆえに早くここを悟ったほうが良い だから僕の師はイエス様であり創造主だ
ぶどうの木のように繋がっている
あなたに何かを教わらなくても聖霊体験で理解できる
ヨハネによる福音書には真理が書いてある
新たな新興宗教とか悪いけど僕にはまったく必要は無い
ヨハネによる福音書だけで充分だからである そもそも貧乏のほうが神の御心に叶う、なんていう宗教が間違いだ
清貧礼賛自体がインチキであり、真の宗教とは、別に極端な繁栄とか
しないまでも、食うに困らないほどの、無限なる供給が為されるのが
まともな宗教ということ
金持ちが神の国に入れない、という教えは、比喩的なものであって
金は物質的な対象なので、金があろうが無かろうが、
要は、心が豊かになり、真理を悟ることが、即神の国の住人と
成り得るのだよ
ここを勘違いしないようにね(苦笑
正しい宗教をやれば、自然と人が集まり、物資やお金も
それなりに入ってくるものだ
いわゆるこれが神による「おかげ」だよ
そうならない宗教はインチキと見ていい
キリ教信者によくありがちなのが、
イエス曰く
金持ちが神の国に入ることはらくだが針の穴を通るよりむずかしい
これをかんちがいして貧乏じゃないと神の国に入れないと
思い込んでるってこと
そうではなくて、金持ちでも貧乏でも真理を知れば神の国の住人になるわけ 二千年も前に書かれた聖書にそのような問題に対する解決策は書いてある
みなさん理解力がないだけだ
争いがあるなら霊的に成熟していない未熟なだけだ まずは原罪とは何か、を考ると、、
原罪とはアダムとイブの、知恵の木の実を食した罪になるが
ここにいわゆる、トリックが潜んでいる
百歩ゆずってアダムとイブの罪だにせよ、なぜそれを人類すべてがひきずらねば
ならないのか、どう見ても信者への、洗脳方法の方便、と見ざるを得ないわけだ
この問題を引っ張ることにより、罪の押し付けでもって
人類を罪で縛り、それにより、洗脳しよう、といった魂胆が見え見えの
西洋文化の宗教に、我々大和民族が、無理に染まる必要などないということだ
人間に罪など無し、天空快活自由無碍の、思想で成り立っているのが日本神道があるのだから
これこそ真理と見ればよいだけなのだ
そもそも罪意識とは自己処罰で自分を裁き、自己にネガキャンイメージを植え付け
それにより、色々な病や貧乏、不幸を引き起こすだけの最大のマイナス想念なのである
まあキリスト教では、罪意識を信者に、植え付けたほうが、
よりいっそう信者をコントロールしやすいと考えて、
このような形態の、教えにしたとみたほうがわかりやすい
そういった悪想念をすべて振り払い、我々はすべて神である、
罪無し、病無し、無限供給にある、
という光明思想を念ずることこそ、明るい未来、平和、調和、繁栄、恩寵を
引き寄せるということになるわけである
イエスは聖書ですべての民は神の子である、と教えているのにもかかわらず
このような「人間=罪びと」というようにのちの宗教学者や弟子が聖書を
改竄したことでまちがいが生じたわけである
人間すべて罪びとだということにより、人は皆、おのれを低き者だと蔑み
それにより、窃盗や殺し合い、戦争を犯すようになり
この世は阿修羅の世界、カオスの世界となってしまったのだ
そうではなくて、人間は、すべて神の子だという事実を悟ることで、人は皆
自分を尊び、他人を尊び、助け合い、大調和しあうようになり
平和で平穏な神の国、の住人となるのである
人間神の子を悟れば、その場で神の国なのだ
何年先、何十年先が神の国なのではなく、
今この瞬間で、神の国の住人となるなのだ このキリスト教スレひとつ見てみるがよい
揚げ足をとり、ひたすら罵り合っているではないか
これが「人間は皆、罪びと」といった
まちがった教えの最たる悲しい現実なのである
そもそも実相世界には年齢や時間など無い
罪など無い
すべて完全なる世界だ
もちろん自然発生的には、無から有を生じはしない
これが基本原理であり基本法則だからだ
だが、そこに何らかの理念や思考が加えられたならばちがってくる
つまり無に何らかの理念、思考が生じられたのだ
ここが一番の肝となる
それがいわゆる神と言う名の「X」の理念、思考というやつだ
それが加えられたために万物創造、天地創造が成されたのだ
地球創製時である数千度もする大地に生物など生ずるはずもなかった
だが、そこに神の意思とことばでもって、生命が誕生したのである
そしてこの理屈こそが、無神論者の理論が打砕かれた瞬間となったのだ
神はただ、在りて在るもの、つまり始めも終わりも無い存在、無始無終だ
すなわち大宇宙が、そのままスッポリ神だと見れば合点がゆくだろう
ということは、我々は皆、神の子であり神そのものなのである
そしてこの可視的存在、目に見える存在は幻想世界であり
実体は別の次元に存在している
これがいわば実相世界であり、神の国であり、完全なる光明思想の根本なのだ
現実世界は迷いの世界であり、そこから抜け出る唯一の方法が、この実相世界を
常に観ずることなのである 242グノーシス派2022/08/15(月) 17:24:32.35ID:mHydiSVX
>>238
それ、聖書信仰者にしか通用しない言い分だよ。
明らかにフィクションな小説に、この小説は「すべて神の霊感を受けて書かれた」と書いてあったとしても、
理性的な人は笑うだけだよ。
事実、カルト新興宗教が、これに同じモノ言いで書物で、人々を騙して信者にしてるのだからね。
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そうですね、どういう事かと申しますと、
福音書と呼ばれるイエス伝は、記者が聞き取り調査で、
纏め上げていく作業をし大きく分けて2種類です。
弟子たちの手紙で、書かれている聖書という言葉は、
ユダヤ教のタナハ(ヘブライ原典)を指している事に
注意しておかなければなりません。
著作に関わった全員が、
契約と選民の特殊な神観の精神の中で醸成された、環境と遺伝子を持ち
民族アイデンティティを維持してきたユダヤ人が書いたものなのです。
律法・歴史書・文学書・預言書 という形の聖書があったのではなく、、
時代や場所も、バラバラの話を多くの人々の手でさまざまな文書の
形でまとめ上げられ、何を入れて何を入れないかの最終的な決定は
ユダヤ教知識人の会議で紀元後1世紀にようやく決められ聖書となりました。 >>996
ユダヤ民族(イスラエル)の総じて歴史として、
綿々とつづった壮大な叙情詩の創作力は読み物として、その魅力は
世界の国々の人々を楽しませてくれます。
(クリスチャンがギリシャ神話の方がおもしろいと流行り出すと
かなり、上層部はあせったらしいのですが)
キリスト教の拡大で、多くの人が活版印刷の発明と共に、
そのようになりましたが、現代では聖職者でも
全て神の霊が書いたなどと、危険な事を考える人は少なくなっています。
ユダヤ人でない者が、ユダヤ民族のアイデンティティを持つ、
異様で不自然な見境の無さは、グノさんが言われますように、
カルト新興宗教と近く、そのようにならなくても、
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