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1814年に教皇ピウス7世の小書簡『カトリケ・フィデイ』によってようやくイエズス会の復興が許可された[17]。復興後のイエズス会は急激な成長を遂げた。

そのことは多くの学校が19世紀に設立されたという事実からもわかる。たとえばアメリカ合衆国にある28のイエズス会大学のうち22はこの時期に創立されたか、あるいは他から引き取ったものである。

弾圧を受けたことで、イエズス会の中で正統な権威というものに対するこだわりが強まったという指摘もある。

もちろんこの指摘に対しては異論もあるが、概してイエズス会員には教皇への忠実という意識が強く存在し、19世紀にウルトラモンタニスム(教皇支持派)と呼ばれた人々の中に名を連ねたものも多く、第1バチカン公会議における教皇不可謬説の宣言の理論的枠組みをつくったものもいた。