【イエス】癒し主 救い主【キリスト】Part320
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『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
(マタイ 22:37-38)
肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。
わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
(ガラテヤ 5:19-24)
だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
(ルカ 9:23)
もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
(ヨハネの手紙第一 1:10)
あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。
(マタイ 28:10)
前スレ
【イエス】癒し主 救い主【キリスト】Part319
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1659871446/ そんな変わってない。
昔はただの時代遅れとよく言われてたバチカンが時代の波に洗われて平和と人権とメッセージを武器に国際社会で
存在感を強く示すようになっていっただけでしょ。 >>925続き
イエズス会は、一五三四年にイグナチオ・デ・ロヨラらによって設立され、一五四〇年にローマ教皇パウルス三世の許可を得た、宗教改革に対するカトリック側の対応として生まれた教団である。イエズス会は精力的に布教地を求め、インドさらには中国、そして日本へと宣教師を派遣した。
ポルトガル国王は、植民地支配の正当化のために、イエズス会に対して海外渡航の便宜や経済的援助をおこなった。したがって、イエズス会の収入の第一は、ポルトガル国王からの給付金だった。次いでローマ教皇からの年金、篤志家とくしかからの喜捨きしゃ、インド国内の不動産からの収入、公認・非公認の貿易(斡旋や仲介も含む)などがあげられる。 イエズス会は対プロテスタントが目的で設立された交戦的だが教会の政治的側面を強化することに特化した組織
キリスト教神秘主義の行は一般公開されるものではないが、ロヨラは神秘主義の行を標準化させた霊操を仕上げ、公開した 対プロテスタントとの戦い、植民地を広げる過酷な任務
それらを実現するため、神ではなく教会に命を捧げる右寄りの宗教兵士が大量に必要だったからと推測できる ロヨラの霊操には虚偽が混入している
カトリックが批判している千年王国の実現、
という虚偽が混入している 神の教えに背く虚偽が、霊操を通じてイエズス会信徒に広まり、命を賭して教会に仕えるゾンビ兵が大量生産される そして、大航海時代と植民地を広げる時代のキリスト教の中心にイエズス会がある
その霊操の虚偽を糾弾する 213 名前:神も仏も名無しさん :2018/02/14(水) 13:47:03.50 ID:tzb3UavG
霊操はキリストの歩みと一体化し、追体験させる仕組みがセットされてる、そして「その目的は地上の王国の設立のため」と目的を巧妙に地に属するものにすり替える
行体系が感情と意志に直接働きかけるから洗脳的な機能を色濃く持つ
そして霊操という体系化された行は工場的な役割としてイエズス会の地上の王国設立に命を捧げる不気味なゾンビ兵を作り上げる
行体系に誤謬が混入される時、その後の歩みが広範囲で規定されてしまう
これは意図的で恣意的で、俺個人としてはあってはならない大きな問題だと思うわけ 348 名前:神も仏も名無しさん :2018/02/15(木) 00:14:13.23 ID:iW0TRApN
>>215
>>213の根拠である翻訳文示すな
その前に霊操の外観について
霊操は4週からなる
第一週 罪の認知と痛悔
第二週 キリストの救済活動の観想
第三週 キリストの受難の観想
第四週 キリストの復活の観想
これらはキリスト教神秘主義の浄化、照明、一致の三ステップとも対応している
この中で>>213の該当箇所は第二週の前段になる
それは「キリストの国」と呼ばれ、霊操の「根源と礎」と言われている
なぜなら、「何を目指して霊操するか」の目的に該当するからである
以上を前提として該当箇所を引用する
キリストの国
91.現世の王の呼びかけは、永遠の王キリストの生涯を観想する手出すけになる
92.第一要点 人間味あふれる一人の王を現前に想像する。この人は主なる神から直接に王に選ばれたので、他のすべての信者はこの王を尊敬し、従うのである。
93.第二要点 この王が家臣一同に次のように語るのを注意深く聞く。
「私は異教の国をことごとく征服しようと欲する。これが私の意志である。そので、私と共に来たいと説に望むものは、私と同じ食べ物を食べ、同じものを飲み、同じものを着て、満足しなければならない。
また、昼間は私と共に働き、夜は共に寝ずの番などをしなければならない。このように、私と労苦を共にするならば、私と共に勝利に与るであろう。」
94.第三要点 これほど寛大で人間味あふれる王に対し、忠臣たちはどのように答えるべきかを考察する。
もし、このような王の頼みを聞かない家臣があるならば、いかに皆から罵られ、卑怯な騎士だと思われても至極当然だろう。
(続く...)
とまあこんな感じで地上の王とキリストのイメージを結びつける観想を混入させてるわけ
イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。
(ヨハネ 18:36) 356 名前:神も仏も名無しさん :2018/02/15(木) 00:32:12.77 ID:iW0TRApN
そしてロヨラの地上の王とキリストを結びつけようとしているとろに、ユダヤの王キリストを熱望していたユダが重なるわけ
そしてユダはキリストにスルーされて、首を吊って自殺した
だから、地上の王をキリストに重ねる、とは非常にキリスト教的ではない、と思うわけ
360 名前:神も仏も名無しさん :2018/02/15(木) 00:39:52.52 ID:iW0TRApN
>>358
キリストは荒野の誘惑でサタンに地上の王にしてあげよう、と言われて、「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」と答えて退けた
一方で罪深い人間は「自分のための地上の王を望む」もんだよな、って話でつ 俺個人のみたてだと、過去のキリスト教の政治と結託した蛮行の背景に、汚れ仕事を行うイエズス会の存在がある
そして、その実行部隊の宗教兵器、兵士を作る工場として霊操があり、その霊操には虚偽が混入されている
一般公開されてるから誰でも読めるし、行も行える
だからこそ、霊操に権威を持たせ、書籍化し、誰でも手に取れる状態はカトリックにおいて辞めるべきだ、と主張する
少なくとも教会の名において、霊操の内容について吟味し、公式見解を出すべきだ、と思う
さもないと、霊操の行を真剣に行う人が現代でも少数かもしれないが生まれてしまう 351 名前:神も仏も名無しさん :2018/02/15(木) 00:22:00.61 ID:iW0TRApN
ロヨラはとっても好戦的な性格で有名な人
第二週のルシファーとキリストの旗の黙想が第二週で続くんだけど、不倶戴天の敵ルシファーと我がキリスト軍、戦って勝利するのだ!みたいな下りもあって相当鼻息が荒い
これが霊操の「根源と礎」です
354 名前:神も仏も名無しさん :2018/02/15(木) 00:28:27.16 ID:iW0TRApN
100歩譲って、地上の王はあくまでも永遠の王のキリストを黙想しやすくする比喩でしかない、という発言があったとしても
霊操は黙想の行なので、意志と感情に直接的に関与する
地上の王を黙想し、それを永遠の王のキリストの黙想と結びつけた時点で、否応がなしに地上の王キリストのイメージになってしまう
これは、行やってるまともな人だったら理解できることなはず
従って>>213ではこっ酷く批判してるわけ
なぜなら、教会の罪と霊操は関係が非常にある、と思ってるから フランシスコ教皇はイエズス会
彼の贖罪ツアーはイエズス会だからこそ意義がある
やらなければならないこと 願わくば、霊操に修道会、神秘主義の光があたり、
吟味、再検討され
その邪悪さが明るみになりますように
そして、そういう評価がなせれ
敬虔なキリスト者のつまづき石がなくなりますように ヨハネによる福音書は例えなんか使ってない
そのままを表現している Wikiより
イエズス会(イエズスかい、ラテン語: Societas Iesu)は、カトリック教会の男子修道会[2][3]。1534年にイグナティウス・デ・ロヨラを中心として、フランシスコ・ザビエル、ピエール・ファーブルら7人によって創設され、1540年にローマ教皇パウルス3世により承認された[4]。草創期から世界各地への宣教に積極的に取り組み[5][6]、日本に初めてカトリックをもたらした[要出典]。なおイエズスは、中世ラテン語による Iesus(イエス・キリスト)の古くからのカトリックの日本語表記である[要出典]。ジェスイット(Jesuit[7])教団や耶蘇会(やそかい)とも呼ばれる[8]。
(…)
イエズス会は「神の軍隊」、イエズス会員は「教皇の精鋭部隊」とも呼ばれ、軍隊的な規律で知られる。このような軍隊的な会風は、創立者の1人で・初代総長のイグナティウス・デ・ロヨラが、修道生活に入る以前に騎士であり、長く軍隊で過ごしたことと深い関係がある。 >>942続き
1534年8月15日[注 1]、イグナティウス・デ・ロヨラとパリ大学の学友だった6名の同志(スペイン出身のフランシスコ・ザビエル、アルフォンソ・サルメロン、ディエゴ・ライネス、ニコラス・ボバディリャ、ポルトガル出身のシモン・ロドリゲス、サヴォイア出身のピエール・ファーヴル)がパリ郊外のモンマルトルの丘の中腹のサン・ドニ大修道院教会堂(現在のサクレ・クール寺院の場所にあったベネディクト女子修道院の一部)に集まり、ミサにあずかって生涯を神にささげる誓いを立てた。この日がイエズス会の創立日とされている[10]。彼らは清貧・貞潔の誓いとともに「エルサレムへの巡礼と同地での奉仕、それが不可能なら教皇の望むところへどこでもゆく」という誓いを立てた。
「モンマルトルの誓い」のメンバー(7人)[注 2]
イグナティウス・デ・ロヨラ(1491年 - 1556年)
ピエール・ファーヴル(1506年 - 1546年)
フランシスコ・ザビエル(1506年 - 1552年)
シモン・ロドリゲス(1510年 - 1579年)
ディエゴ・ライネス(1512年 - 1565年):第2代総長[12]
アルフォンソ・サルメロン(1515年 - 1585年)
ニコラス・ポバディリャ(1507年/1511年 - 1590年) >>943続き
イエズス会が創立されたのは対抗宗教改革(カトリック教会の組織を建て直してプロテスタントの教勢拡大を食い止めようとした運動)の始まる直前であった。「イエズス会がプロテスタントに対抗して創設された」と言われており、教皇に対する忠実というイエズス会の精神から、会員たちは活動を通して人々にカトリック信仰を堅持させることに成功した。あくまで誇張した表現ではあるが、ロヨラは教皇への忠実を以下のように表現する。
「自分にとって黒に見えても、カトリック教会が白であると宣言するならそれを信じよう」 >>944続き
教皇への服従を唱えながらも、ロヨラと初期の会員たちは当時のカトリック教会には改革と刷新の必要があることを十分に理解していた。イエズス会員たちはプロテスタントへの攻撃などという表面的なことでなく、まずカトリック教会の内部に目を向けることの重要性を認識しており、教会にはびこる汚職、不正、霊的倦怠を激しく批判した。その結果、教皇への忠誠を誓うイエズス会員たちが教皇や教会の高位聖職者たちと揉め事を起こすという皮肉な事態に陥ることもあった。 何でこんな長文になるんだろーな
ヨハネによる福音書だけで充分だよ
みんな意味が理解できないから哀しいよ >>945続き
ロヨラによれば、カトリック教会の改革の基本は1人1人の内的改心にあった。イエズス会員たちは個人の改心のための方法としてロヨラの編み出した霊的指導いわゆる「霊操」を用いた。霊操は、沈黙のうちに行う1ヶ月の黙想のプログラムで、これを授かるものは毎日異なるテーマについて黙想し、司祭による定期的な指導を受けながら、神が自分に望まれていることは何かを考えていく。霊操は、清めから照らし、統一へとすすむヨハネ・カッシアヌス(英語版)と砂漠の教父たち以来の神秘主義の伝統にのっとっている。ロヨラの「霊操」は、神秘主義の黙想の伝統に即しながら、一般の人が実生活の中で行えるように、さらにはカトリック教会の内的刷新に貢献できるようにデザインされていることに意義がある。 >>945続き
イエズス会は当初から世界各地での宣教活動を重視し、優秀な宣教師たちを積極的に派遣した。最も有名な宣教師はフランシスコ・ザビエルである。彼は西インド植民地の高級官吏たちの霊的指導者になってほしいというポルトガル王の要請にしたがって1541年にインドのゴアへ赴いた(ゴアはアジアにおけるイエズス会の重要な根拠地となり、イエズス会が禁止になった1759年までイエズス会員たちが滞在していた)。ザビエルはインドで多くの信徒を獲得し、マラッカで出会った日本人ヤジローの話から日本とその文化に興味を覚えて1549年に来日。2年滞在して困難な宣教活動に従事した(→ #日本での活動)。彼は日本人へ精神的影響を与えるために中国の宣教が不可欠という結論にたどりつき、中国本土への入国を志したが、果たせずに逝去した。16世紀のイエズス会士たちは中国と日本への宣教の拠点としてマカオを利用した。 >>948続き
アメリカ大陸におけるイエズス会の宣教活動はヨーロッパ諸国(特に広大な植民地を保持していたスペインとポルトガル)の利害とかかわってしまったため、内政干渉という口実でさまざまな議論を巻き起こすことになった。ドミニコ会やイエズス会は主として当時のアメリカ大陸でネイティブ・アメリカンの権利を主張し、奴隷制に抗議していたからである。
イエズス会員はキリスト教徒になったインディオを他部族やヨーロッパの奴隷商人の襲撃から守るためブラジルとパラグアイに「保護統治地」(Reducciones) をつくった。インディオを保護しようとするイエズス会員はスペインとポルトガルの奴隷商人およびそこから利権を得る政府高官にとって目障りであったため、のちにポルトガルからイエズス会への迫害が始まることになる[15]。 >>949続き
マヌエル・ダ・ノブレガ(英語版) (Manoel da Nóbrega) やジョゼ・デ・アンシエタ (José de Anchieta) は16世紀のブラジルでインディオ相手に宣教・教育事業を行いながら、いくつもの街をつくった。その中にはサンパウロ、リオデジャネイロなどのちに大都市になったものも含まれている。17世紀にはエウセビオ・キノがヌエバ・エスパーニャ北部のソノラ砂漠に、「砂漠の白い鳩」と呼ばれその美しさが称えられているアリゾナ州ツーソン近郊の聖ザビエル伝道教会などの多くの伝道所を設立した。またエウセビオ・キノは当時島だと信じられていたバハ・カリフォルニアが、半島であることを証明した。 >>950続き
ヨーロッパ諸国がナショナリズムを強め、王権のもとに国をまとめていこうとしたとき、国境を越えて自由に活躍し、教皇への忠誠を誓うイエズス会の存在が目障りなものとなっていた。イエズス会への弾圧は18世紀になると急速に進み、ポルトガルがイエズス会員の国外追放を決めるとフランス、スペイン、ナポリ王国、両シチリア王国、パルマ公国もこれにならった。
列強は教皇クレメンス13世にイエズス会を禁止するよう圧力をかけたが、教皇は頑として聞き入れなかった。だが、イエズス会を保護し続けたクレメンス13世が急逝し、次の教皇としてクレメンス14世が着座すると圧力はいっそう強まり、教皇はイエズス会をとるか、ヨーロッパ諸国と教皇庁との関係をとるかという究極の選択を迫られることになった。 >>951続き
このような経緯を経て1773年7月、クレメンス14世は回勅『ドミヌス・アク・レデンプトール (Dominus ac Redemptor)』を発してイエズス会を禁止した。ただロシアにおいて、イエズス会の貢献を高く評価していたエカテリーナ2世がイエズス会禁止の回勅の発布を拒否し、教皇も「列強の圧力に屈しはしたもののイエズス会を完全につぶすのはしのびない」と思っていたため、イエズス会はロシアにおいて細々と存続しつづけることができた。
また、プロイセン王フリードリヒ2世も自国へのイエズス会士の亡命を許可し[16](彼は数年後、「我が国には、イエズス会士以外に学識のあるカトリック教徒はいない」とさえ言うようになる)、カトリック系の学校の教師として歓迎している。 >>952続き
1814年に教皇ピウス7世の小書簡『カトリケ・フィデイ』によってようやくイエズス会の復興が許可された[17]。復興後のイエズス会は急激な成長を遂げた。
そのことは多くの学校が19世紀に設立されたという事実からもわかる。たとえばアメリカ合衆国にある28のイエズス会大学のうち22はこの時期に創立されたか、あるいは他から引き取ったものである。
弾圧を受けたことで、イエズス会の中で正統な権威というものに対するこだわりが強まったという指摘もある。
もちろんこの指摘に対しては異論もあるが、概してイエズス会員には教皇への忠実という意識が強く存在し、19世紀にウルトラモンタニスム(教皇支持派)と呼ばれた人々の中に名を連ねたものも多く、第1バチカン公会議における教皇不可謬説の宣言の理論的枠組みをつくったものもいた。 >>953続き
20世紀はイエズス会にとって発展と衰退の両面を示す世紀となった。カトリック教会全体の趨勢に従ってイエズス会員の数は1950年代にピークを迎え、以後ゆるやかに減少していった。会員が減少したにもかかわらず関連施設は増加し、協力者会の会員数も増えた。
20世紀の著名なイエズス会員の中には「第2バチカン公会議のデザイナー」とも呼ばれるジョン・コートニー・マレー(英語版)がおり、彼は同会議の文書の一つ「信教の自由に関する宣言(英語版)」の草稿を書いたことで知られる[18]。 サティが必死に弁解してるが
単なる詭弁でしかない
広島長崎への原爆投下の際に
キリスト教牧師が同乗し
祈りながら原子爆弾を投下し
女子供を焼き殺してる
これは完全にキリスト教による虐殺行為だ そのままが理解できないで
長々と長文
独自解釈するのが僕には本当意味わからんよ ●白人キリスト教のやってたこと
■アメリカ人 インディアン大虐殺 1億人のホロコースト
■アメリカ人 日本への各都市への大空襲で100万人虐殺 富山では99パーセントが空襲により焼失
■アメリカ人 東京大空襲を行う。2時間で12万人の民間人の虐殺世界新記録
■アメリカ人 沖縄から長崎に疎開する子供達を乗せた船「対馬丸」を攻撃 1500人の児童が亡くなる
■アメリカ人 原爆を二発も落として30万人を一瞬で大虐殺。日本人を使った原爆の人体実験
■アメリカ人 アメリカ人移住者がハワイ原住民を大虐殺。王政を転覆 ハワイ王国乗っ取り
■イギリス人 インド人に紅茶と綿花を作らせ食べ物を作らせず飢えにより大虐殺
19世紀の飢餓だけで2000万人が死亡。虐殺された数は不明
■アメリカ人 フィリピンで100万人大虐殺
■オランダ人 インドネシア人を強制栽培に従事させ飢えさせるなど大虐殺。日本人捕虜に対する虐殺も最も悪質
■フランス人 ベトナム人500万人大虐殺
■イギリス人 オーストラリアに住むアボリジニ大虐殺(オーストラリアはイギリスの犯罪人の流刑地)
■イギリス人 タスマニア島(オーストラリアの近く)の住民を虐殺。タスマニア島住人は虐殺により絶滅
■イギリス人 ニュージーランドのマオリ族を虐殺 白人国家に
■アイルランド人、フランス人 イースター島の住民を奴隷として連れ出し
彼らが持ち込んだ天然痘が猛威を振るった結果、1872年当時の島民数はわずか111人の絶滅寸前に
■アメリカ人 イラク130万人大虐殺 アメリカの経済制裁によりイラクの子供が80万人死亡
■イギリス人 中国人にアヘンを売りつけアヘン中毒にさせる。アヘンを売った金で中国人を買いアメリカで人身売買 >>958
その話はもうことちゃんと終わってる
外野は黙っとけ >>959
同乗しているしていないは現場にいたから見たわけではないが
祈りながら原爆投下したのは事実だ
問題なのはおまいがヒャッハーしながらキリスト教を無理矢理擁護しているような
ていたらくだ
おまいは日本人なのか?はたまたアメリカ人なのか?
キリスト教なる基地害教を擁護する理由はなんだ?
二世だからなのか? 日本人ならばお花畑ファンタジーのような夢物語の聖書に騙されるな
洗脳を解くことだ
そして我が国日本における神道を拝むことにより
恒久平和を見出すのだ >>961
祈りながら原爆投下した?
ソースだせば? >>963
生長カルトスレに帰れ
統一の仲良しカルトスレに イエス様もイエス様の弟子たちもあまりお喋りじゃなかったと思うよ
だって平安が無いじゃん 生長の家の立場としてはすべての宗教と調和する、を念頭に置いている
だがしかし、キリスト教における侵略支配および民族抹殺行為はあまりにも
非人道的すぎる
なので言わざるをえない
私の意志は神の意思だからあえて言おう
ユダヤ教の教え自体が玉石混合なる紛い物だ
神の書ではない
人間が書いたご都合主義の書だ
ところどことろに、戦争推奨の部分がある
これは神の意思でなない
人間の意志だ
それを元に数々の侵略行為をしてきたのがキリスト教ということ
ヒットラーもキリスト教、プーチンもキリスト教ということ
これをもってみてもキリスト教指導者は基地害そのものということ
この事実がすべてを物語っている 聖書は玉石混合であり
イエス本人が書いたものではない
弟子が霊感で書いたと言っている
けっきょく正しい教えもあればまちがった教えも混ざっているわけだ
もっとも霊感で書いたということ自体が逃げ口上なわけで
これが多くのカルト宗教を生み出す発端になっている
ここが問題であり
誰が書いたかわけわからんものを
あたかも神の書として扱うことに無理があるのだろう 分かったからわざわざ遠征してキリスト教ディスりに来てるアホが調和とか万教帰一とか言っても説得力皆無だから
さっさと帰れ、カルトバッバッ( ・ω・)⊂彡・:: 僕はヨハネによる福音書を聖霊体験で理解できるので長々と話す内容が無いです
ただ、みなさん理解できないのかなあ~っと
世界中の人間だから不思議で仕方ない >>969
日本人でありながらキリスト教のような毛唐宗教に堕ちるなど
恥ずかしくないのか
売国奴にも等しい行為と言えよう
日本人ならば仏教あるいは神道だ
そのうえでキリスト教にも理解を示してやろう、といった
崇高なる態度ならまだわかる
我々がその設定だ
日本こそ神国なり
この意識を持たずしてなにが毛唐宗教にうつつを抜かしているのか
といった寸法になる
深く反省するように 神道っていうのは信じるっていうのとはちょっと違う気がするな
少なくともキリスト教を信じるといった場合の「信じる」とは大きく異るよね
日本人の歴史や文化の一部として、生活の中でごく自然に発動してしまうような
ものの見方や振る舞い方に近いもののような気がする
もちろん神話的な要素やある程度の儀式的な要素はあるんだけど
「あれかこれか」といった選択を迫るような厳しい信仰のあり方じゃなくて
もっとなだらかに生活やものの見方に溶け込んでいる感性的あり方なんだと思う 神道は、日本の宗教
惟神道(かんながらのみち)ともいう
教典や具体的な教えはなく、開祖もいない
神話、八百万の神、自然や自然現象などにもとづくアニミズム的、祖霊崇拝的な
民族宗教である
自然と神とは一体として認識され、神と人間を結ぶ具体的作法が祭祀であり、
その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた
神道には確定した教祖、創始者がおらず、キリスト教の聖書、イスラム教の
コーランにあたるような公式に定められた「正典」も存在しないとされるが、
『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』『先代旧事本紀』『宣命』といった「神典」と
称される古典群が神道の聖典とされている
森羅万象に神が宿ると考え、また偉大な祖先を神格化し、天津神・国津神などの
祖霊をまつり、祭祀を重視する
浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目とする
他宗教と比べて現世主義的といった特徴がみられる
神道とは森羅万象を神々の体現として享受する「惟神の道(かんながらのみち、
神とともにあるの意)」であるといわれている 教えや内実は神社と祭りの中に伝えられている
『五箇条の御誓文』や、よく知られている童歌『通りゃんせ』など、日本社会の
広範囲に渡って神道の影響が見受けられる
神道は奈良時代以降の長い間、仏教信仰と混淆してきた(神仏習合)。
一方で、日本における神仏習合は、すっかりと混ざり合って一つの宗教と
なったのではなく、部分的に合一しながらも、なおそれぞれで独立性が
維持されていた側面もあり、宮中祭祀や伊勢神宮の祭祀では
仏教の関与が除去されていることから、神祇信仰は仏教と異なる
宗教システムとして自覚されながら並存していた
明治時代には神道国教化を実現するために、神仏分離が行われた
神道と仏教の違いについては、神道は地縁・血縁などで結ばれた共同体
(部族や村など)を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、仏教はおもに
人々の安心立命や魂の救済、国家鎮護を求める目的で信仰されてきた
という点で大きく相違する 全ては理解力の問題だろう?
イエス様は神であることを死からの復活で証明した
その言葉が理解できたら何故?は無い
じゃあないと頑固に聖書のみ信仰を貫いてきた意味がないでは無いか?
少なくとも聖霊体験を授かった僕はヨハネによる福音書だけで充分である
みなさん我があり長文すぎるし付け足しすぎだ 要するに、くだらん教義や戒律など必要ないというスタンスなのが神道
返って、あれはしてはならない、これhをしてはならない、といった
教えで人間を縛ることは、「教えに囚われる」「教えに縛られる」現象となり
それが原因で種々雑多な精神的抑圧により、精神的肉体的に不具合が
生じる(ストレス)わけだ
それが多くの病気や貧困、経済的摩擦、ひいては紛争、戦争といった
侵略主義にも発展してしまうということだ
したがってくだらん教義などすべて排除し、森羅万象に感謝、
山川草木に感謝、万物に感謝、これだけで良いということになる イエス様にも師がいた
それが創造主たる父だ
僕も直接に選ばれた
世の肉に属する宗教に属してない
世にも珍しい聖霊体験教だ
カッコいいだろ? 僕の師はイエス様であり創造主である
世の中の肉に属する宗教には属してない
真のクリスチャンなら有限でなく永遠を生きないとならない こないだも言ったが
なぜ、くだらん教義や戒律など必要ないかと言えば
たとえば「欲情してはならない」という教えについてだが
これが、まったくのインチキ教義だ
人間や動物すべてが、「欲情」することにより、生殖行為が行われるわけであるが
「欲情」しないようにしたならば、オスは勃起しない、メスは濡れない、とうことになる
そうすると生殖行為は成立しないので、人類滅亡、あらゆる生物滅亡
という結果になるということだ
小学生でもわかることだね(苦笑
兎に角、
こんな茶番教義がある以上、こんなものは破棄することが
世のため人のためとなるのは言うまでもないということだ 僕は理解できるのでヨハネによる福音書で充分です
聖霊体験であらゆる教えを授かれるからね
みなさん話が非常に長いし付け足しすぎ
マジで話が長すぎ
何のかんの付け足しすぎ >>979
君自身が永遠だ、とこないだも言ったはずだ
すべての人間が永遠なのだ
なぜならばすべての人間が神の子だからだ 人は皆 罪びとというのは明らかな洗脳である
これは旧約による虚言なのだ
イエスは
「人は皆 神の子である 汝らの父に直々に祈りなさい」
と おっしゃられている
これが生長の家と合致しており、真理そのものであり
自分は神の子という認識が強くなるつれ
病いが癒され 貧困が解決し 無限供給の境遇にあるのである
論理的思念法
人間は神の子であり
黴菌も神の子であるから
互いに相侵すことはない
互いに相侵すように見えても
それは仮の姿であり現象
現象は仮の姿
仮の姿は嘘の姿
嘘の姿はあるように見えても無い
したがってコロナウイルスも
いかなる病や不幸もあるように見えてもない
あるのは光明燦然と輝く世界だけであり
これが神の国
すなわち汝の心に神の国があるのである >>982
あなたは創造主じゃないから
選別する側で無いから
あなたの視点は聖書的では無いね 自分の宗教だけが正しくて他の宗教は邪教だとかいって他を批判するところは
ダメです
本来宗教とは自分の意思というよりも自己の内なる魂で判断するものなので
押し付けられても受け入れられるものではない
また罪を押し付けるような教えもいけない
本来宗教とは自由無碍であるべきなので
やたらと戒律で縛る宗教は基本的に避けるべきかと想う
基本的に聖書はイエスが書いたものではない
弟子による改竄が成されておりほとんど誰が書いたかわからんものだ
キリスト教では原罪なる罪の概念がありますが仏教
その他の宗教では罪は本来ないことになっている
なので聖書の教えを100%信じているクリスチャンは自分で信じている分には
まだいいのですが、その教えを基準に他宗教を裁こうとしている
よってそこからまちがいや争いが生じるわけだ
他宗教を批判する宗教はいけない、という批判は
批判ではなくて、いわば天の声である
なので愛による叱責であり、愛の鞭なのである >>984
いや創造主の御霊が今ここに宿っている
それは君も同じことだ
だが誰もそれを認識していないだけ
認識しないと神の超意識にはなれない
したがって色々な問題が生ずるのである
ゆえに早くここを悟ったほうが良い だから僕の師はイエス様であり創造主だ
ぶどうの木のように繋がっている
あなたに何かを教わらなくても聖霊体験で理解できる
ヨハネによる福音書には真理が書いてある
新たな新興宗教とか悪いけど僕にはまったく必要は無い
ヨハネによる福音書だけで充分だからである そもそも貧乏のほうが神の御心に叶う、なんていう宗教が間違いだ
清貧礼賛自体がインチキであり、真の宗教とは、別に極端な繁栄とか
しないまでも、食うに困らないほどの、無限なる供給が為されるのが
まともな宗教ということ
金持ちが神の国に入れない、という教えは、比喩的なものであって
金は物質的な対象なので、金があろうが無かろうが、
要は、心が豊かになり、真理を悟ることが、即神の国の住人と
成り得るのだよ
ここを勘違いしないようにね(苦笑
正しい宗教をやれば、自然と人が集まり、物資やお金も
それなりに入ってくるものだ
いわゆるこれが神による「おかげ」だよ
そうならない宗教はインチキと見ていい
キリ教信者によくありがちなのが、
イエス曰く
金持ちが神の国に入ることはらくだが針の穴を通るよりむずかしい
これをかんちがいして貧乏じゃないと神の国に入れないと
思い込んでるってこと
そうではなくて、金持ちでも貧乏でも真理を知れば神の国の住人になるわけ 二千年も前に書かれた聖書にそのような問題に対する解決策は書いてある
みなさん理解力がないだけだ
争いがあるなら霊的に成熟していない未熟なだけだ まずは原罪とは何か、を考ると、、
原罪とはアダムとイブの、知恵の木の実を食した罪になるが
ここにいわゆる、トリックが潜んでいる
百歩ゆずってアダムとイブの罪だにせよ、なぜそれを人類すべてがひきずらねば
ならないのか、どう見ても信者への、洗脳方法の方便、と見ざるを得ないわけだ
この問題を引っ張ることにより、罪の押し付けでもって
人類を罪で縛り、それにより、洗脳しよう、といった魂胆が見え見えの
西洋文化の宗教に、我々大和民族が、無理に染まる必要などないということだ
人間に罪など無し、天空快活自由無碍の、思想で成り立っているのが日本神道があるのだから
これこそ真理と見ればよいだけなのだ
そもそも罪意識とは自己処罰で自分を裁き、自己にネガキャンイメージを植え付け
それにより、色々な病や貧乏、不幸を引き起こすだけの最大のマイナス想念なのである
まあキリスト教では、罪意識を信者に、植え付けたほうが、
よりいっそう信者をコントロールしやすいと考えて、
このような形態の、教えにしたとみたほうがわかりやすい
そういった悪想念をすべて振り払い、我々はすべて神である、
罪無し、病無し、無限供給にある、
という光明思想を念ずることこそ、明るい未来、平和、調和、繁栄、恩寵を
引き寄せるということになるわけである
イエスは聖書ですべての民は神の子である、と教えているのにもかかわらず
このような「人間=罪びと」というようにのちの宗教学者や弟子が聖書を
改竄したことでまちがいが生じたわけである
人間すべて罪びとだということにより、人は皆、おのれを低き者だと蔑み
それにより、窃盗や殺し合い、戦争を犯すようになり
この世は阿修羅の世界、カオスの世界となってしまったのだ
そうではなくて、人間は、すべて神の子だという事実を悟ることで、人は皆
自分を尊び、他人を尊び、助け合い、大調和しあうようになり
平和で平穏な神の国、の住人となるのである
人間神の子を悟れば、その場で神の国なのだ
何年先、何十年先が神の国なのではなく、
今この瞬間で、神の国の住人となるなのだ このキリスト教スレひとつ見てみるがよい
揚げ足をとり、ひたすら罵り合っているではないか
これが「人間は皆、罪びと」といった
まちがった教えの最たる悲しい現実なのである
そもそも実相世界には年齢や時間など無い
罪など無い
すべて完全なる世界だ
もちろん自然発生的には、無から有を生じはしない
これが基本原理であり基本法則だからだ
だが、そこに何らかの理念や思考が加えられたならばちがってくる
つまり無に何らかの理念、思考が生じられたのだ
ここが一番の肝となる
それがいわゆる神と言う名の「X」の理念、思考というやつだ
それが加えられたために万物創造、天地創造が成されたのだ
地球創製時である数千度もする大地に生物など生ずるはずもなかった
だが、そこに神の意思とことばでもって、生命が誕生したのである
そしてこの理屈こそが、無神論者の理論が打砕かれた瞬間となったのだ
神はただ、在りて在るもの、つまり始めも終わりも無い存在、無始無終だ
すなわち大宇宙が、そのままスッポリ神だと見れば合点がゆくだろう
ということは、我々は皆、神の子であり神そのものなのである
そしてこの可視的存在、目に見える存在は幻想世界であり
実体は別の次元に存在している
これがいわば実相世界であり、神の国であり、完全なる光明思想の根本なのだ
現実世界は迷いの世界であり、そこから抜け出る唯一の方法が、この実相世界を
常に観ずることなのである 242グノーシス派2022/08/15(月) 17:24:32.35ID:mHydiSVX
>>238
それ、聖書信仰者にしか通用しない言い分だよ。
明らかにフィクションな小説に、この小説は「すべて神の霊感を受けて書かれた」と書いてあったとしても、
理性的な人は笑うだけだよ。
事実、カルト新興宗教が、これに同じモノ言いで書物で、人々を騙して信者にしてるのだからね。
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そうですね、どういう事かと申しますと、
福音書と呼ばれるイエス伝は、記者が聞き取り調査で、
纏め上げていく作業をし大きく分けて2種類です。
弟子たちの手紙で、書かれている聖書という言葉は、
ユダヤ教のタナハ(ヘブライ原典)を指している事に
注意しておかなければなりません。
著作に関わった全員が、
契約と選民の特殊な神観の精神の中で醸成された、環境と遺伝子を持ち
民族アイデンティティを維持してきたユダヤ人が書いたものなのです。
律法・歴史書・文学書・預言書 という形の聖書があったのではなく、、
時代や場所も、バラバラの話を多くの人々の手でさまざまな文書の
形でまとめ上げられ、何を入れて何を入れないかの最終的な決定は
ユダヤ教知識人の会議で紀元後1世紀にようやく決められ聖書となりました。 >>996
ユダヤ民族(イスラエル)の総じて歴史として、
綿々とつづった壮大な叙情詩の創作力は読み物として、その魅力は
世界の国々の人々を楽しませてくれます。
(クリスチャンがギリシャ神話の方がおもしろいと流行り出すと
かなり、上層部はあせったらしいのですが)
キリスト教の拡大で、多くの人が活版印刷の発明と共に、
そのようになりましたが、現代では聖職者でも
全て神の霊が書いたなどと、危険な事を考える人は少なくなっています。
ユダヤ人でない者が、ユダヤ民族のアイデンティティを持つ、
異様で不自然な見境の無さは、グノさんが言われますように、
カルト新興宗教と近く、そのようにならなくても、
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