第二バチカン、無神論に対するスタンス

16 無神論の諸形態と根源
人間が神への交わりに召されているということが、人間の尊厳の最も崇高な面である。人間は既にその存在の初めから、神との対話に招かれている。事実、人間が存在するのは、愛によって神から造られ、愛によって神から常にささえられているからです。
神の愛を自由を持って認めて創造主に自分を託さなければ、人間は真理に基いて充実して生きているとは言えない。しかし、現代人の多くは神とのこのような生命的な深い結びつきをまったく理解しないか、あるいは明らかに排除する。
したがって、無神論は現代の最も重大な課題の一つに数えるべきものであり、真剣に検討されなければならない。

無神論という用語は、相互に大きく異なったさまざまな現象を指している。
明らかに神を否定する人もあれば、人間は神についてはまったく何も言うことができないと考える人もいる。また、ある人々は神に関する問題は意味がないと思わせるような研究方法を用いてこの問題を取り扱う。
(…)
確かに、意識的に自分の心から神を締め出し、宗教問題を避けようと努める人々は、良心の命令に従わない人々であって、あやまちを免れることはできないが、このことについてはある意味で信仰者自身にも、しばしばある意味で責任がある。

…無神論は自発的に発生したのではなく、いろいろな原因から生じたのであり、その中には、諸宗教に対する、…批判的反動も含まれている。…
すなはち、信仰者は、信仰についての教えの怠慢、間違った教理の解説、なお宗教的、道徳的、社会生活における欠点によって、神と宗教の真の姿を示すより、かえって隠すというべきである。

教会は無神論者たちの、心の中に隠れた神否定の理由を発見しようと努力する。…真剣に深く検討すべきであると考える。

無神論の対策としては、教会の教えを正しく述べること、教会および構成員の生活を純粋にすることを求めなければならない。