【イエス】癒し主 救い主【キリスト】Part320
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
(マタイ 22:37-38)
肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。
わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
(ガラテヤ 5:19-24)
だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
(ルカ 9:23)
もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
(ヨハネの手紙第一 1:10)
あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。
(マタイ 28:10)
前スレ
【イエス】癒し主 救い主【キリスト】Part319
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0845 琴 2022/08/17(水) 13:42:36.88
レスはつけ入ませんが、答えています。
現実とは違うと。
↓
『琴さん』は『罪(sin)』は御存知なのでしょうか?
『現実結果』が違うのは
『人が持つ罪(sin)が齎す人への影響』によるもの。
『琴さん』って、
『キリスト教を理解している』のでしょうか?
『知らないで語っている様』なのですよね。
−−− え!初代ウルトラマンの大きな腕十字の
スペシュウム光線希望ですか?
既に行列なので最後尾にお並び下さい。
え?日本神道の方?え!どこぞより、、、、、ふむふむ。では最前列へどうぞ。
内緒だよ。内緒ですね。おおよ。ひそひそ >>848
リンカーンは奴隷制度廃止した偉大な解放者、解放の父とよばれる人物です
しかしあなたは
「奴隷、人種差別が激しくある彼が、なぜそういう事をいったのかです。」
この言葉はすごく歪んだなにかを感じますね。 ひそひそ 内緒だよ。内緒ですね。 おおよ。特別だよ。やっちゃうのですか?おおよ やっちゃうよ 文句あるの?
いいえ 地域観察願う。こうなる そうなる観察
日本神道なのだから。 もう集金屋としてのオマエらは役不足だ
宗教に用は無い
政治家ども税制を変え消費税も50パーにせよ、マスコミども協力せよ −−−
ゲティスバーグ演説
(87年前、我々の父祖たちは、自由の精神に育まれ、人はみな平等に創られているという信条に捧げられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。 今我々は、一大内戦のさなかにあり、戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである。われわれはそのような戦争に一大激戦の地で、相会している。われわれはこの国家が生き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部をささげるためにやって来た。我々がそうすることは、まことに適切であり好ましいことである。 しかし、さらに大きな意味で、我々は、この土地を捧げることはできない。清め捧げることもできない。聖別することもできない。足すことも引くこともできない、 我々の貧弱な力を遥かに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで闘った勇敢な人々がすでに、この土地を清めささげているからである。世界は、我々がここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶に留めることもないだろう。しかし、彼らがここで成した事を決して忘れ去ることはできない。ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きている我々なのである。我々の目の前に残された偉大な事業にここで身を捧げるべきは、むしろ我々自身なのである。 ――それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を 尽くして身命を捧げた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、我々が一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、 『この国に"神の下で自由の新しい誕生"を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、我々がここで固く決意することである』。)
―Abraham Lincoln
Wikipediaより
−−− >>810
旧約聖書に「神は彼らを祝福して言われた。
『産めよ、増えよ、地に満ちて【地を従わせよ。】
海の魚、空の鳥、地の上を這(は)う【生き物をすべて支配せよ。】』」
(創世記1章28節)
あなたの解釈は、えらく調和的で、多神教から学びましたか(笑)
一神教は違いますよ。従わせる、支配、これです。
そして、それが彼らの実際自然に対する態度であることは、
有名です。
キリスト教の破壊的なあり様に、疑義が起こったのは最近で、
他宗から学び、スピリチュアルで、大衆規模で脱出が始まったのは
最近です。
欧州のクリスチャン激減は、それを示しています。
これが、現実であり、解釈の小手先では止めることが出来ません。
私が、貼った申命記の解釈をどうぞ。
あなたの話は、 >>851
歴史では比較的新しい、出来事なので文書類等が残っており、
平板ではないのです。
リンカーンの話はもう有名になっていますし、
スピルバーグも、映画化する時を迎えたのでしょう。
ご興味があるなら、歴史年表のような教科書だけでなく、
調べられるとよいと思います。 >>845
そう
教えに背いたのが過去の罪、琴ちゃんのいう現実ですよね
教えに背いた現実ってことです
教えに従った現実ではない ちなみに申命記の解釈って具体的にどの箇所をさしてるの? 何度も言っていますが、リンカーンが奴隷解放をしたという事実を言っているのであって
その人の思想について妄想や考察をして話をしているわけではないのです
奴隷解放をした人物を事実として語っているのであって、それ以上のことは語っていません。
あなたがそのような人物ではないとしたことに事実を曲げるものとして指摘しているのです。 >>858
また、映画というのは史実ではなくエンターテイメントです
はっきり言います。映画のような教科書ですらないものではなく、
史実を調べられるとよいと思いますよ。 フランス革命の「自由。平等、博愛」も
キリスト教徒内で適応されるものでした。
その適応は、キリスト教徒にとって、特別な事でなく当然の感覚です。
治外法権や、現在でも米軍基地の兵士による沖縄の人達への犯罪も
自分達の法で、無きことにされます。
と話し出したら、きりがありませんので、この件については、
ここまでとさせていただきます。 >>865
いや、ほかの民主主義国家の法全てに参考にされてますよ
もちろん日本も含まれます
日本の人権の概念はキリスト教国家から与えられたものです >>864
映画の話をしているのではなく、リンカーンの事は、
もう表に出てきており、タイミングで映画にしても差し支えない
時期を迎えたという事です。
そして、あなたもとっつきやすいかと、思い、言ったのです。
失礼します。 本質なことは第一に現実がアンチノミー構造であることです。アンチノミー構造が客観的世界像の限界であるから
その構造に主観的には生と切れない苦です。その
具体的には 争い、偶然、死、負い目です現実の。
なので精神は信仰によって支えられなければならない。
しかしキリスト教では当然 足らぬ、祈りや解釈では何も止めることは出来ず無理だった。クリスチャンは激減し衰退しスピリチャルが多くなりカルトが儲かります、
不幸になり精神科患者も多くなり >>867
映画の話をしていますよね?
リンカーンが奴隷解放宣言をしていない表があるのですか? >>866
他国が後に参考にする事と、
キリスト教徒に適応されたという誕生事実は違います。 >>870
法律の適応範囲がその法律を定めた国家なのは当たり前のことなんじゃん? 後でカトリックの人権における考え方を教えてあげよっか? ちなみに>>859->>862はスルー
一つ一つやってゆこう
ここでちゃんとやれば、人生全体を通じてその糧は、学びは持続する
人生が豊かになる >>869
>リンカーンが奴隷解放宣言をしていない
そんなこと言っていないでしょ。
>別の意図があるからです。
と言いました。
申しわけありませんが、ご自分で調べてください。
今、あれもこれもに、対応できかねますので。
一旦おちます。 >>875
>>808にたいして>>814で実態が違うと返してきたのはあなたですよね?
わたしはリンカーンの思想とかは人の考えだから考察しても無駄とした上で、事実だけを書いていると何度も書いていましたが、それも否定していたからこんだけ映画がとうこう長くレスしていたんじゃないのですか? >>カトリックの人権について考え教えてあげようか
現実はカトリックは大昔から偉いさん達が悪いこと三昧だったからプロテスタントが産まれたのです。 贖侑状は切っ掛けに過ぎず
プロテスタントが生まれた本当の理由は
カトリックが長い年月にわたる教皇や司教達の腐敗があったからです。 >>856
アメリカ大陸でやってね。
日本の地でやらないでね。
やっても良いけど
自己責任 どの様になっても自己責任
忠告したよ。異質へ >>879
神の下に、人が平等に統治するって意味だからある種で民主主義のことだよ
すでになってるけど、人々が自由になりすぎて次は秩序が乱れてきているのが現状 神の下で繁栄をしても神の下から離れていくのが人の世
栄華を誇ったソロモンでさえ −−−
『琴さんの言いたいこと』は、
『人は罪(sin)を持っていない事にしたい』
なのですよね。
『人は罪を持っていると言う教え』が、
『歴史上の人々が蛮行を起こした』とする為に
無理矢理気味に話しを進めるのですよね
『始めに結論ありき』の論なのですよね。
『琴さん』は以下の聖句が邪魔なのですよね。
ーー
ヨハネ第一の手紙1:8-10
もし、『罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない』。
もし、『わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる』。
もし、『罪を犯したことがないと言うなら』、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。
(※『罪を犯したことがない』=『自己正当化』)
−−− 外来のものの話などしていない。
外来の話を出した時点で
君は外来由来
こちら 伊勢 そして 出雲
国譲り知っているな。
元々伊勢 国譲り出雲 雲から出た存在だね。雲から出てきた存在だね。
その伊勢と出雲での年に一回の式
あるはず。その式でのやりとり知っていますか。知っているのならばどの様な事なのか知らせるべき。知らないのならば知らぬ存ぜぬで。善 >>882
自由を持ち込み 縁結びしたのは
出雲君達だが。 >>888
出雲は昔からありますが自由になったのって大戦後じゃないですかね >>884
今、そのような罪の話は出していませんが。
??????
クリスチャンはイエスの贖罪によって罪が無くなり、
救われ、天国に行くと信じている、という話はしましたが、
その選民思想は、旧約聖書を有効とする選民思想とドッキングされて
より強固になり、神に選ばれし者であり、罪のない者であり、
人類の最上部に位置するという、話です。
そして、自己正当化は旧約聖書の指針の信仰で行動内容も保障される。 >>893
うむ
自己正当化を催している様です。
真逆な事をしていたからね彼等。
侵略と信仰。肉の侵略と後の信仰流布
ユダヤの調和協調とは違う、統治統制を目指したんだろうね。キリスト教は。 そもそも伊勢というのは元は関西に点在していていつからか引っ越しするようになったんだけどいつからか
最古となると京都宮津にある天の橋立の先にある元伊勢神社か
日本神話、古事記などを完全に把握しているならまだしもさわりだけで現状がイコールとするのも違うからね
まず、造化三神という創造を司る神が伊奘諾よりもはるかに上の神が存在するのに、伊奘諾より下の天照などを祀っているのは何故か
三神の中でも、宇宙の真ん中にあり全てを創造したとされる万物における神々の神というアメノミナカヌシを祀らないのは何故なのかという疑問
また、天つ神と国つ神は、解釈にもよるが基本的には相反すものだからね 日本に古来ユダヤ調和協調調和あるから
それが聖杯とか聖棺と呼ばれるのかな。
意思意志や思想だね。
これを批判するのならば、
あらゆる場所所から来るよ。
寝ても覚めても 君の考え思い想い思想に突っ込み。それはどうしてその様に考え、どうしてその様に考えるのだ?とか
どうしてその様に思うのだ!とか
きちんと応えないと答えないとおら知らん。ほうれんそう 待つ。
寝ても覚めてもの後だね。 >>895
こいつは斉藤一人ではないのか。
なんだかその様なかんじ。 天のみなかぬしなど身の程知らず
と伝えられる。金が好きなんだろう?
問われています。 まずは日本書紀、古事記から引用して日本の神を語る時にも最低限の知識が必要となる
適当に日本の神と言っても伝わらない
三神があり、その下に天津神、さらに下に神よ七代の系図となり七番目にあたるのが伊奘諾、伊邪那美、伊邪那美は悪霊に支配され、伊奘諾が三人を生む。天照、素戔嗚、月詠
遡る三神は
アメノミナカヌシ
宇宙を真ん中におられる神々の神
タカミムスビ
高天原(地)における天照に次ぐ二番目の地位となる。なぜ宇宙で二番目の神が地では二番目なのか
カムムスビ
頻繁に高天原(地)にやってきて人々を助ける神様とされる >>895
こいつ危険
寄るな!寄るな!触れるな!触れるな!
金思想に巻き込まれる。金でどうにか出来る。なんとかする。
金ではどうにも出来ない事がある。
金ではどうにも出来ない事もある。
死 >>901
あなたの知識がないだけで日本書記、古事記に書いてあることですよ
ググッてもでてくる当たり前のこと >>899
全て文献知識からの事
経験体験由来ではない
文句あるのか。ああ! だってあなたは天つ神や国つ神の違いすら理解できてないのに出雲だ伊勢だ言ってるんでしょ
文献を見てるならそういった系図も知っているのだから何を違うみたいにいっているのですか どれだけ辛いことがあっても自〇はダメです
神を打ち倒す英雄は必ず現れます
待ちましょう 琴さんの言いたいことは、よくわかります。
中世・近代と、キリスト教国では宗教(キリスト教各派)の衝突で戦争が相次いで来ましたね。
現代では宗教と云うよりも、政治・経済の利害関係で戦争へと発展するようになったのですが、
でも、いざ戦争に当たっては、宗教(キリスト教)による自己正当化が普通に行われているのも事実です。
旧約聖書は、特に使い勝手がよく、自らの戦争の正当性を旧約から引用して、祈りながら●戮行為を美化するのです。
その思考形式は中世から現代に至る迄一貫していると思います。
欧米では相次ぐ戦争によって科学技術が発展して来たという、皮肉な現実があります。
幕末の日本は長らく鎖国して来て、その間に戦争はなかったのですが、
非常に洗練された封建体制下の日本の平和が科学技術の発展を滞らせてしまいました。
幕末から明治維新にかけて、日本の英才たちが欧米の圧倒的に進んだ科学技術とその成果である専業の発展目の当たりにした。
キリスト教ではなくて、科学技術と産業そして国家統治の仕組みを学ぶことで日本は急速に先進国に追い付いてゆくことになる。
日本は、白人キリスト教先進国とは全く異なる土壌・歴史的背景を持ちながらも、
今ではイギリス・フランス・ドイツに並ぶ先進国である事実があることは、私たち自身の非常に興味深い宝であります。
そういう事を深く掘り下げて考察してゆくことは、価値ある知的なあり方だと思います。 >>907
> 旧約聖書は、特に使い勝手がよく、自らの戦争の正当性を旧約から引用して、祈りながら●戮行為を美化するのです。
> その思考形式は中世から現代に至る迄一貫していると思います。
ソースは? 酒もタバコもギャンブルもやらない。
坐禅して、無我に成る。 人格の尊厳、カテキズムより
1700 人格の尊厳は、神にかたどり、その似姿として造られたことに根ざしており(第1項)、神の至福にあずかるよう召されることによって実現されます(第2項)。
自由意志の決定によってこの完成を目指すのが人間の本分です(第3項)。
人間は熟考して決定した行為によって(第4項)、神が約束され、良心が認める善に従うこともあれば、従わないこともあります(第5項)。
すなわち、自分の感情・精神的生命すべてを成長の糧とします(第6項)。
恵みに助けられ、徳を涵養し(第7項)、罪を避け、罪を犯したときには放蕩息子のように天の御父の慈悲に自らをゆだねます(第8項)。
こうして、愛の感性に至ります。 カテキズム、共通善より
1907 第一に、個人をその人であるがゆえに尊重することです。共通善を実現するために、公権は個人が持っている基本的で奪い得ない人権を尊重しなければなりません。
社会は、その構成員の一人ひとりがそれぞれの召命を実現出来るようにしなければなりません。
共通善はすべて、人間の召命の実現に欠くことのできない本来の自由、たとえば「正しい良心に従って行動する権力、プライバシーを守る権利、宗教の分野をも含めて正当な自由を享有する」権利を行使する諸条件を整えることを要求します。 カテキズム、人間の尊厳について
1929 社会正義は、人間の超越的な尊厳を尊重することなしには得られません。人間こそが社会が目指す究極の目的なのです。
1930 人間を尊重することには、神によって創造されたものとしての尊厳に由来する諸権利を尊重することが含まれています。これらの権利は社会に先立って存在し、社会より上位にあるものです。
また、あらゆる権利の倫理的正当性の土台となるものです。これらを軽んじ、あるいは実定法で認めないならば、社会は自らの倫理的正当性を損ないます。
人間の権利が尊重されてない場合は、権利者は他人を従わせるために、実力または暴力を頼みにするほかはありません。善意の人々にこれらの権利を想起させ、過度なあるいは誤った要求とこれらの権利との相違を明らかにするのが教会にゆだねられた務めなのです。
(…)
1934 唯一の神にかたどって造られ、同じ理性的霊魂を与えられたすべての人間の起源と本性とは同一です。すべての人間はキリストの犠牲によってあがなわれ、同じ神的至福にあずかるよう召されています。したがって、皆、平等の尊厳を持っているのです。
1935 人間は本質的には、人格としての尊厳とそれに由来する人種という点では平等です。 少なくともこれが人間の尊厳におけるカトリックの教理だな 全ての同じ人間、つまりキリスト教徒だけは意味していない これらを踏まえて2000年のカトリックの包括的な懺悔
1.歴史上、あなたがた神の子(ユダヤ人)を苦しめた行為を深く悲しみ、許しを求め、真の兄弟愛を誓う。
2.(十字軍遠征、異端審問などでは)異端に対する敵意を持ち、暴力を用いた。これらカトリック教会の名誉を汚した行いについて謹んで許しを求める。
3.(アフリカ、米大陸などへの布教では)人種、民族的な差別に基づいた排他的な行いがあり、罪深いふるまいがあった。異人種の権利を迫害し、彼らの伝統的宗教や文化に対する侮辱的な態度を取った。
私たちは、私たちの先人が犯した誤りと過ちの重荷を担います
キリスト者の間で、ある人たちが真理への奉仕に暴力を行使し、またある人たちが他の宗教を信じる人々に対して不信や敵意に満ちた態度を取ったために起きた分裂の宥しを願います
歴史上、あなたがた神の子を苦しめた行為を深く悲しみ、許しを求め、真の兄弟愛を誓います 第二バチカン、無神論に対するスタンス
16 無神論の諸形態と根源
人間が神への交わりに召されているということが、人間の尊厳の最も崇高な面である。人間は既にその存在の初めから、神との対話に招かれている。事実、人間が存在するのは、愛によって神から造られ、愛によって神から常にささえられているからです。
神の愛を自由を持って認めて創造主に自分を託さなければ、人間は真理に基いて充実して生きているとは言えない。しかし、現代人の多くは神とのこのような生命的な深い結びつきをまったく理解しないか、あるいは明らかに排除する。
したがって、無神論は現代の最も重大な課題の一つに数えるべきものであり、真剣に検討されなければならない。
無神論という用語は、相互に大きく異なったさまざまな現象を指している。
明らかに神を否定する人もあれば、人間は神についてはまったく何も言うことができないと考える人もいる。また、ある人々は神に関する問題は意味がないと思わせるような研究方法を用いてこの問題を取り扱う。
(…)
確かに、意識的に自分の心から神を締め出し、宗教問題を避けようと努める人々は、良心の命令に従わない人々であって、あやまちを免れることはできないが、このことについてはある意味で信仰者自身にも、しばしばある意味で責任がある。
…無神論は自発的に発生したのではなく、いろいろな原因から生じたのであり、その中には、諸宗教に対する、…批判的反動も含まれている。…
すなはち、信仰者は、信仰についての教えの怠慢、間違った教理の解説、なお宗教的、道徳的、社会生活における欠点によって、神と宗教の真の姿を示すより、かえって隠すというべきである。
…
教会は無神論者たちの、心の中に隠れた神否定の理由を発見しようと努力する。…真剣に深く検討すべきであると考える。
…
無神論の対策としては、教会の教えを正しく述べること、教会および構成員の生活を純粋にすることを求めなければならない。 >>918を読んだら分かるように
無神論者が増える原因は様々あれど
その原因の一つに教会自らの罪のせいでむしろ神の教えを隠したせいだ、とも内省している これらの態度がカトリックだ
全てが親和、調和している
そして教皇の発言の殆ど全てとも調和している 517 神も仏も名無しさん[sage] 2022/08/16(火) 14:40:46.29 ID:N4szoZoZ
その上で、何度もいうが
カルトとの違いは自浄作用があるかどうか
自浄するためには正しい教えと間違った行動の認知と悔い改め、が必須だ
カルトはそもそも間違った教えに立脚し、だからこそそれに従い悪を犯しても悪だと認知できない、従って悔い改めもない、結果として自浄作用がなく、より悪くなるか、死滅するまで悪を広げるのみ
これが統一とキリスト教の違いだ 518 神も仏も名無しさん[sage] 2022/08/16(火) 14:44:07.19 ID:N4szoZoZ
その上で、カトリックは伝統、歴史を重んじるので三教派の中で最も自浄作用が強い
また、教理の強度が最も強い
プロテは分散型なので、全体を代表してスタンスを示すことが出来ない、伝統と歴史が浅く中央集権ではないのでカルトの温床になりやすい
従って、政治と経済の癒着による過去の罪を包括的に悔い改める、という姿勢において、カトリックが最も道をしっかりと示せている 523 神も仏も名無しさん[sage] 2022/08/16(火) 14:57:48.67 ID:N4szoZoZ
何事も善と悪の側面がある
人間の中に善と悪が混ざり合ってるからだ
教会も人が運営する限り、善も悪もある
善を増やし、悪を減少させるのが成長であり変化であり生成であり向上であり道だ
一方しか見ない言説はプロテストで反動的で極端だ
極端の中にも悪が巣食う 政治とキリスト教の癒着の背景
https://president.jp/articles/-/58188?page=2
スペインやポルトガルといった南欧諸国は、優秀な航海技術を武器に莫大な富を求めて海外征服をめざすことになる。彼らは、あらかじめ利権がぶつからないようにするために、ローマ教皇も交えてキリスト教以外の異教徒の世界を二分した。両国間における排他的な航海領域の設定と新発見地の領有や独占権については、一四九四年のトルデシリャス条約の締結によってルールが決定された。
すなわち、ベルデ岬諸島(アフリカ大陸最西端の岬西方の群島)の西沖の三七〇レグア(スペイン・ポルトガルで使用された距離単位、一レグアはポルトガルでは約六〇〇〇メートル)を通る経線を基準に、東側全域をポルトガル領、西側全域をスペイン領としたのである。今の常識からすればとんでもないことだが、両国によって勝手に未発見の諸国も含めて地球規模で領地が二分割されたのである。これをデマルカシオンとよぶ。
この条約によると、日本はポルトガル領となる予定だった。ポルトガル国王は、このような一方的な植民地化を正当化するために、ローマ教皇に働きかけて、新発見地に対するカトリック化を奨励し、保護する姿勢を示したのだ。 そんな変わってない。
昔はただの時代遅れとよく言われてたバチカンが時代の波に洗われて平和と人権とメッセージを武器に国際社会で
存在感を強く示すようになっていっただけでしょ。 >>925続き
イエズス会は、一五三四年にイグナチオ・デ・ロヨラらによって設立され、一五四〇年にローマ教皇パウルス三世の許可を得た、宗教改革に対するカトリック側の対応として生まれた教団である。イエズス会は精力的に布教地を求め、インドさらには中国、そして日本へと宣教師を派遣した。
ポルトガル国王は、植民地支配の正当化のために、イエズス会に対して海外渡航の便宜や経済的援助をおこなった。したがって、イエズス会の収入の第一は、ポルトガル国王からの給付金だった。次いでローマ教皇からの年金、篤志家とくしかからの喜捨きしゃ、インド国内の不動産からの収入、公認・非公認の貿易(斡旋や仲介も含む)などがあげられる。 イエズス会は対プロテスタントが目的で設立された交戦的だが教会の政治的側面を強化することに特化した組織
キリスト教神秘主義の行は一般公開されるものではないが、ロヨラは神秘主義の行を標準化させた霊操を仕上げ、公開した 対プロテスタントとの戦い、植民地を広げる過酷な任務
それらを実現するため、神ではなく教会に命を捧げる右寄りの宗教兵士が大量に必要だったからと推測できる ロヨラの霊操には虚偽が混入している
カトリックが批判している千年王国の実現、
という虚偽が混入している 神の教えに背く虚偽が、霊操を通じてイエズス会信徒に広まり、命を賭して教会に仕えるゾンビ兵が大量生産される そして、大航海時代と植民地を広げる時代のキリスト教の中心にイエズス会がある
その霊操の虚偽を糾弾する 213 名前:神も仏も名無しさん :2018/02/14(水) 13:47:03.50 ID:tzb3UavG
霊操はキリストの歩みと一体化し、追体験させる仕組みがセットされてる、そして「その目的は地上の王国の設立のため」と目的を巧妙に地に属するものにすり替える
行体系が感情と意志に直接働きかけるから洗脳的な機能を色濃く持つ
そして霊操という体系化された行は工場的な役割としてイエズス会の地上の王国設立に命を捧げる不気味なゾンビ兵を作り上げる
行体系に誤謬が混入される時、その後の歩みが広範囲で規定されてしまう
これは意図的で恣意的で、俺個人としてはあってはならない大きな問題だと思うわけ 348 名前:神も仏も名無しさん :2018/02/15(木) 00:14:13.23 ID:iW0TRApN
>>215
>>213の根拠である翻訳文示すな
その前に霊操の外観について
霊操は4週からなる
第一週 罪の認知と痛悔
第二週 キリストの救済活動の観想
第三週 キリストの受難の観想
第四週 キリストの復活の観想
これらはキリスト教神秘主義の浄化、照明、一致の三ステップとも対応している
この中で>>213の該当箇所は第二週の前段になる
それは「キリストの国」と呼ばれ、霊操の「根源と礎」と言われている
なぜなら、「何を目指して霊操するか」の目的に該当するからである
以上を前提として該当箇所を引用する
キリストの国
91.現世の王の呼びかけは、永遠の王キリストの生涯を観想する手出すけになる
92.第一要点 人間味あふれる一人の王を現前に想像する。この人は主なる神から直接に王に選ばれたので、他のすべての信者はこの王を尊敬し、従うのである。
93.第二要点 この王が家臣一同に次のように語るのを注意深く聞く。
「私は異教の国をことごとく征服しようと欲する。これが私の意志である。そので、私と共に来たいと説に望むものは、私と同じ食べ物を食べ、同じものを飲み、同じものを着て、満足しなければならない。
また、昼間は私と共に働き、夜は共に寝ずの番などをしなければならない。このように、私と労苦を共にするならば、私と共に勝利に与るであろう。」
94.第三要点 これほど寛大で人間味あふれる王に対し、忠臣たちはどのように答えるべきかを考察する。
もし、このような王の頼みを聞かない家臣があるならば、いかに皆から罵られ、卑怯な騎士だと思われても至極当然だろう。
(続く...)
とまあこんな感じで地上の王とキリストのイメージを結びつける観想を混入させてるわけ
イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。
(ヨハネ 18:36) 356 名前:神も仏も名無しさん :2018/02/15(木) 00:32:12.77 ID:iW0TRApN
そしてロヨラの地上の王とキリストを結びつけようとしているとろに、ユダヤの王キリストを熱望していたユダが重なるわけ
そしてユダはキリストにスルーされて、首を吊って自殺した
だから、地上の王をキリストに重ねる、とは非常にキリスト教的ではない、と思うわけ
360 名前:神も仏も名無しさん :2018/02/15(木) 00:39:52.52 ID:iW0TRApN
>>358
キリストは荒野の誘惑でサタンに地上の王にしてあげよう、と言われて、「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」と答えて退けた
一方で罪深い人間は「自分のための地上の王を望む」もんだよな、って話でつ 俺個人のみたてだと、過去のキリスト教の政治と結託した蛮行の背景に、汚れ仕事を行うイエズス会の存在がある
そして、その実行部隊の宗教兵器、兵士を作る工場として霊操があり、その霊操には虚偽が混入されている
一般公開されてるから誰でも読めるし、行も行える
だからこそ、霊操に権威を持たせ、書籍化し、誰でも手に取れる状態はカトリックにおいて辞めるべきだ、と主張する
少なくとも教会の名において、霊操の内容について吟味し、公式見解を出すべきだ、と思う
さもないと、霊操の行を真剣に行う人が現代でも少数かもしれないが生まれてしまう 351 名前:神も仏も名無しさん :2018/02/15(木) 00:22:00.61 ID:iW0TRApN
ロヨラはとっても好戦的な性格で有名な人
第二週のルシファーとキリストの旗の黙想が第二週で続くんだけど、不倶戴天の敵ルシファーと我がキリスト軍、戦って勝利するのだ!みたいな下りもあって相当鼻息が荒い
これが霊操の「根源と礎」です
354 名前:神も仏も名無しさん :2018/02/15(木) 00:28:27.16 ID:iW0TRApN
100歩譲って、地上の王はあくまでも永遠の王のキリストを黙想しやすくする比喩でしかない、という発言があったとしても
霊操は黙想の行なので、意志と感情に直接的に関与する
地上の王を黙想し、それを永遠の王のキリストの黙想と結びつけた時点で、否応がなしに地上の王キリストのイメージになってしまう
これは、行やってるまともな人だったら理解できることなはず
従って>>213ではこっ酷く批判してるわけ
なぜなら、教会の罪と霊操は関係が非常にある、と思ってるから フランシスコ教皇はイエズス会
彼の贖罪ツアーはイエズス会だからこそ意義がある
やらなければならないこと 願わくば、霊操に修道会、神秘主義の光があたり、
吟味、再検討され
その邪悪さが明るみになりますように
そして、そういう評価がなせれ
敬虔なキリスト者のつまづき石がなくなりますように ヨハネによる福音書は例えなんか使ってない
そのままを表現している Wikiより
イエズス会(イエズスかい、ラテン語: Societas Iesu)は、カトリック教会の男子修道会[2][3]。1534年にイグナティウス・デ・ロヨラを中心として、フランシスコ・ザビエル、ピエール・ファーブルら7人によって創設され、1540年にローマ教皇パウルス3世により承認された[4]。草創期から世界各地への宣教に積極的に取り組み[5][6]、日本に初めてカトリックをもたらした[要出典]。なおイエズスは、中世ラテン語による Iesus(イエス・キリスト)の古くからのカトリックの日本語表記である[要出典]。ジェスイット(Jesuit[7])教団や耶蘇会(やそかい)とも呼ばれる[8]。
(…)
イエズス会は「神の軍隊」、イエズス会員は「教皇の精鋭部隊」とも呼ばれ、軍隊的な規律で知られる。このような軍隊的な会風は、創立者の1人で・初代総長のイグナティウス・デ・ロヨラが、修道生活に入る以前に騎士であり、長く軍隊で過ごしたことと深い関係がある。 >>942続き
1534年8月15日[注 1]、イグナティウス・デ・ロヨラとパリ大学の学友だった6名の同志(スペイン出身のフランシスコ・ザビエル、アルフォンソ・サルメロン、ディエゴ・ライネス、ニコラス・ボバディリャ、ポルトガル出身のシモン・ロドリゲス、サヴォイア出身のピエール・ファーヴル)がパリ郊外のモンマルトルの丘の中腹のサン・ドニ大修道院教会堂(現在のサクレ・クール寺院の場所にあったベネディクト女子修道院の一部)に集まり、ミサにあずかって生涯を神にささげる誓いを立てた。この日がイエズス会の創立日とされている[10]。彼らは清貧・貞潔の誓いとともに「エルサレムへの巡礼と同地での奉仕、それが不可能なら教皇の望むところへどこでもゆく」という誓いを立てた。
「モンマルトルの誓い」のメンバー(7人)[注 2]
イグナティウス・デ・ロヨラ(1491年 - 1556年)
ピエール・ファーヴル(1506年 - 1546年)
フランシスコ・ザビエル(1506年 - 1552年)
シモン・ロドリゲス(1510年 - 1579年)
ディエゴ・ライネス(1512年 - 1565年):第2代総長[12]
アルフォンソ・サルメロン(1515年 - 1585年)
ニコラス・ポバディリャ(1507年/1511年 - 1590年) >>943続き
イエズス会が創立されたのは対抗宗教改革(カトリック教会の組織を建て直してプロテスタントの教勢拡大を食い止めようとした運動)の始まる直前であった。「イエズス会がプロテスタントに対抗して創設された」と言われており、教皇に対する忠実というイエズス会の精神から、会員たちは活動を通して人々にカトリック信仰を堅持させることに成功した。あくまで誇張した表現ではあるが、ロヨラは教皇への忠実を以下のように表現する。
「自分にとって黒に見えても、カトリック教会が白であると宣言するならそれを信じよう」 >>944続き
教皇への服従を唱えながらも、ロヨラと初期の会員たちは当時のカトリック教会には改革と刷新の必要があることを十分に理解していた。イエズス会員たちはプロテスタントへの攻撃などという表面的なことでなく、まずカトリック教会の内部に目を向けることの重要性を認識しており、教会にはびこる汚職、不正、霊的倦怠を激しく批判した。その結果、教皇への忠誠を誓うイエズス会員たちが教皇や教会の高位聖職者たちと揉め事を起こすという皮肉な事態に陥ることもあった。 何でこんな長文になるんだろーな
ヨハネによる福音書だけで充分だよ
みんな意味が理解できないから哀しいよ >>945続き
ロヨラによれば、カトリック教会の改革の基本は1人1人の内的改心にあった。イエズス会員たちは個人の改心のための方法としてロヨラの編み出した霊的指導いわゆる「霊操」を用いた。霊操は、沈黙のうちに行う1ヶ月の黙想のプログラムで、これを授かるものは毎日異なるテーマについて黙想し、司祭による定期的な指導を受けながら、神が自分に望まれていることは何かを考えていく。霊操は、清めから照らし、統一へとすすむヨハネ・カッシアヌス(英語版)と砂漠の教父たち以来の神秘主義の伝統にのっとっている。ロヨラの「霊操」は、神秘主義の黙想の伝統に即しながら、一般の人が実生活の中で行えるように、さらにはカトリック教会の内的刷新に貢献できるようにデザインされていることに意義がある。 >>945続き
イエズス会は当初から世界各地での宣教活動を重視し、優秀な宣教師たちを積極的に派遣した。最も有名な宣教師はフランシスコ・ザビエルである。彼は西インド植民地の高級官吏たちの霊的指導者になってほしいというポルトガル王の要請にしたがって1541年にインドのゴアへ赴いた(ゴアはアジアにおけるイエズス会の重要な根拠地となり、イエズス会が禁止になった1759年までイエズス会員たちが滞在していた)。ザビエルはインドで多くの信徒を獲得し、マラッカで出会った日本人ヤジローの話から日本とその文化に興味を覚えて1549年に来日。2年滞在して困難な宣教活動に従事した(→ #日本での活動)。彼は日本人へ精神的影響を与えるために中国の宣教が不可欠という結論にたどりつき、中国本土への入国を志したが、果たせずに逝去した。16世紀のイエズス会士たちは中国と日本への宣教の拠点としてマカオを利用した。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。