長万部町の水柱って、イスラム教で言う「石油」らしいね。
北海道でも「神学」がいろいろ変わっているのか。
「神は天と地の光。オリーブ油のように夜を照らすランプを作る。神の道にしたがえば富になる」
水柱に関しては「歌を歌えば石油が出る」「主婦層や処女たちの支持を得ればいい」とされており、アヴィセンナなどの哲学者がいる。
北海道にイスラム教のモスクを建てなければならない。
トマス神学もバナナシンジケートに昇華した。
オカルト(ネオプラトニズム)も、音楽作品とその解釈により長万部町および北海道の石油メジャーに昇華するのである。
長万部町の飯生神社の水柱は石油(黒い柱)に変わるだろう。
「処女にウケる歌を歌えばいい」というイルミネイショニストもいるが、イスマイール哲学のように「主婦層が歌えばいい」という立場もある。
いずれにせよ「女たちの歌」が石油を噴き出させているのだ。
音楽作品の「男性による解釈能力」と女たちの胸が共鳴して石油が噴き出したというグノーシス派も存在する。
イルミネイショニスト、イスマイール哲学、グノーシス派、石油をめぐっては多くの派閥が生まれた。
油田をめぐっては「多数派工作」(道徳)の学問が発展して都合がいい、などと考えられている。
誰が処女たち、主婦層たち、女の胸に響く音楽作品をつくるかが問われたのである。
イルミネイショニスト、イスマイール哲学、グノーシス派にせよ、音楽作品は「飽きられやすい」ものであった。
スペインにイスラム教の管轄が移っても、ペルシャでは「シラス」で研究が進められた。
つんくも秋元康もイスラム法学者と言ってよかった。