ノンクリの救いについて
カテキズムと第二バチカンから
これも調和する

<カテキズム>
1260 「キリストはすべての人のために死なれたのであり、人間の究極的使命は実際にはただ一つ、すなわち神的なものですから、聖霊は神のみが知っておられる方法によって、全ての人に過越の神秘にあずかる可能性を提供されることを私たちは信じなければなりません」。
キリストとその教会とを知らずに真理を求め、自分の知るところに従って神のみ旨を行う人は救われ得るのです。
このような人々は、洗礼の必要性を知っていたなら、洗礼を受けたいという望みを表明したに違いないと考えられるからです。

<第2バチカン教会憲章>
16 …神はすべての人に生命と息といっさいのものを与え、また救い主はすべての人が救われることを望むのであるから、影と像のうちに未知の神を探し求めている他の人々からも、神はけっして遠くない。
事実、本人のがわに落ち度がないままに、キリストの福音ならびにその教会を知らないが、誠実な心を持って神を探し求め、また良心の命令を通して認められる神の意志を、恩恵にささえられて正しい生活をしようと努力している人々にも、神は摂理に基づいて、救いに必要な助けを拒むことはない。