>>449
<カルトの有無は、人権侵害の有無> A

2)ヘブライ語聖書(タナハ)は、イエスキリストの愛の宣べ伝えではないと、
 けじめをつけなければ、イエスキリストは不要になります。
 
 実際、キリスト教徒による歴史的、持続的人権蹂躙は、ヘブライ語聖書を根拠に
 自己正当化されてきたのであるから、一民族の神話、歴史物語と文学として、
 位置づけなければ、聖書を根拠とした人権蹂躙は、繰り返され、止める事は
 できない。
  いい人もいる、わるい人もいると言うような、心や感情の問題で処理できないと
 いうことに気付きましょう。
 旧約聖書の居場所をキリスト教全体で、けじめをつける。
 旧い契約として、旧約聖書は有効性を持たないとする。
 それぐらいの思い切った変革心がないと、
 現状世界を愛と平和に変える事はできない。

3)旧約と新約のミックスがもたらしたものは、人の愛なき欲望に
  歯止めがなくなったことです。
  旧約を使って、悪事を働き=聖書の神の霊に従っているので、いや悪事でない。
  しかも、クリスチャンなので自分の罪は取り除かれ、
  神に赦されているので、人の考え、理性、など、神から遠い。
  (つづきます)