生長の家カルトも幸福も唯心らしいw

キリスト教はプラトン主義ではなく、アリストテレス主義だw

つまり、イデアと現象の二つの世界があり、イデアだけが実在しており、現象はマーヤだ、みたいな世界観ではなく、形相と質量、それらは不可分で、質量の中に形相が宿っている、という考え方
これは、人かつ神である子なる神、キリストを表象するのに相応しい真理だ
また、三位一体そのものも言い表している

唯心カルトはコインの裏しか考えられてない
その裏がみえてなく、コインは一面しかない、と言い張る
アフォかといいたい
そもそも識が生じるのは在る、ないしは我があるからだ
私と外界、の関係が生じないのになぜ識が生じ得るのか

それは俗世の視点だからそうなる、とかいうアフォがいるが、古代神秘主義の時代から魂の身体、乗り物の概念はある
形而上の世界でも、次元が一つ上の私=在ると外界の関係があるわけだ
そして、キリストはそこをさらに押し上げて霊のからだ、栄光のからだを人類史上初めて提示した
この身体が天で在るを保ちながら活動できる身体だ

唯識や唯心論は識しかない
識が生じるのは乗り物があるからだ
そんなことすらわかってない