243のつづき

さて、昭和45年に秀明教会は、教会単位で熱海教団から離脱します。
この離脱は、明主様の殿堂(神殿・教祖殿)を建立するためのものですから、
大変重要な、神さまのご経綸であったと思っています。

ところで、明主様の殿堂や美術館は完成し、
離脱から30年も年月が過ぎてくると、

やはり教会(秀明教会)の中にも『多様性』というモノが必要となって来る訳です。
明主様ご在世当時の様な、ですね。

もしも、あまりに信者さんを一つの尺度でしか見ない様であったならば、
それはやはり明主様とはズレてしまう。
おそらくは、こんな所に原因が有るのですよ。

つづく