>>241
違うよ!

明主様がご在世中は、明主様のもとには100近い教会があって、
教会長先生はそれぞれに明主様の所にご面会に行き、明主様から直接のご指導を
頂いていた。そして、教会長先生はご自分の教会に戻られると、
明主様の御事を伝えて下さるのですけど、、
教会の内部という事で見るならば、
それぞれの教会には、やっぱり“特徴”や“個性”といったモノが育ってきて、
それがかなり顕著だったみたいなんですよ。

大きくは、渋井総裁先生の五六七会(みろくかい)に所属していた教会は、おおむね布教に強くて
秀明もこの五六七会ですし、
中島一斎先生の天国会は教学を重視されてましたね。阿部執事も天国会ですよ。
さらに細かく見れば、アカデミーの雰囲気の漂う教会もあるし、自然農法で成果を挙げている教会、
国際色豊かな教会など、百花爛漫としており、それらがすべて、教祖明主様のもとに
集約されていたのです。

つづく