以下はWikiより
=浄霊布教=

旧体制時代における神慈秀明会の布教方針。
浄霊布教とは、#浄霊を布教の要とする布教方針の事である。また、その奥には、
出来るだけ多数の未信者に浄霊をすればするほど、それに見合った
多数の入信者が得られるとする考え方がある。

旧体制時代の神慈秀明会の布教は、戸別訪問、駅前デモンストレーションなど、
さまざまな形態をしていても、その本質はすべて浄霊布教であった。

神慈秀明会の布教とは、浄霊をできる人を増やすことであるという事が基本的な考えであるため、
布教とはまず浄霊を行い、相手に浄霊を知らしめることであった。浄霊を受けない未信者は、
縁なき衆生として布教対象にはならなかった。浄霊を受けたことのない未信者が入信するということは
原則的に起こりえない。神慈秀明会では、浄霊を行うことで、それを受けた相手の未信者に奇跡の
事例が起こったり、相手の魂が浄まり向上するので魂が目覚め、入信に気持ちが傾くなど、
浄霊の不思議な効力によって入信者が得られると信じられていた。また、実際にこのやり方は
それなりに功を奏しており、神慈秀明会の布教は成果を上げ、世界救世教系分派教団の中で
もっとも大きな教団に成長した。

そのような効果のあるとされる浄霊を多数の未信者に行えば行うほど、
比例的に入信者も増えるという考えから、
神慈秀明会では、信者らに年間や月間の浄霊数を競わせるような
イベントや企画、浄霊数に応じた賞の授与などが積極的に行われていた。
各拠点から本部へあげる定期的な報告においても、その拠点全体の未信者浄霊数が
重要な報告事項となっていた。

神慈秀明会の浄霊が、1回につき3分から5分で終わる短いものであり、路上でも簡単にできる
簡易的な儀式であることも、この浄霊布教の考え方に拍車を掛けた。
1日に多人数の未信者に浄霊をすることが可能なので、
布教中には、1日10名が基本的な浄霊数目標として掲げられることが多かった。


★布教中には百浄霊(ももじょうれい) という企画が行われた。
★有志が1人で1日に100名の未信者浄霊を行う挑戦企画である。
★この百浄霊に挑戦し、達成することで、その布教現場全体が霊的に向上し、
★入信者が出来やすくなるという考え方があった。

この浄霊布教も、新体制に伴い、ほとんど禁止措置として行われなくなったが、
立教以前か浄霊布教以外の布教方法を知らない神慈秀明会は、
浄霊布教を行わなくなったことが、即、布教活動自体の停止を意味しており、
現在でも浄霊布教以外の布教方法が確立できていない状況
(どのように布教をすればいいのかわからない状況)は変わっていない。

旧体制時代に、会主小山美秀子、会長小山荘吉によって行われた講話の多くは、
この浄霊布教に関するものであり、同時に、現在教師職を有するような
旧体制時代の有力信者の主な信仰体験も、浄霊布教に関するものが
ほとんどであったため、新体制における浄霊布教の禁止措置は、
教師らが自らの信仰体験のほとんどを出来なくなったり、
旧体制時代の講話の多くが使えなくなるなど、教団自らの首を絞めている面も多い。

以下略