ちなみに、キリスト教では使徒の時代から、献金は富の放棄ではなく、愛の行為としてなされるもの、と教えられてました
目的がカルトの主張とは全然違うんですよね

新約聖書は一貫して施しは貧者を助ける愛の行為であるべきと強調します
また、施しに入り込む偽善についての教え(マタイ 6:2-4)は、自分のために行う施しに対する警鐘を鳴らしています

パウロも惜しみなく分け与えることを勧め(ローマ 12:8)、そのために堅実に働くよう命じています(エペソ 4:28)

ヤコブも、愛の行為を欠いた信仰の空虚さを強調しつつ、具体的な援助を推奨します(ヤコブ 1:26-27、2:14-17)

同様にヨハネも、困っている兄弟たちを助けるよう促しています( I ヨハネ 3:17-18)

エルサレム教会では、富者は貧者の支援のために資産を自発的に提供していました(使徒 2:44-45、4:34-35、5:3-4)