日蓮正宗の妙観講について
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平成十五年一月、妙観講では「誠心」という書籍を出版しました。さらにこれを新書版に改訂したものを平成二十一年に出版しました。 じつに邪義の集大成ともいうべき悪書です。 http://www.lichnoye.mesyats.phd21.com/joshin/01.htm 「悪書」「誠心」でググると出てきます。 悪書「誠心」を破す http://www.lichnoye.mesyats.phd21.com/joshin/01.htm *************************************************************** p12 発刊にあたって(理事会) 妙観講が正規の法華講中として認可されてから、はや二十三年目を迎える。それ以前の、草創期ともいうべき時期も合わせれば、三十年の歳月が流れた。*************************************************************** のっけから自意識過剰なO・K氏の信仰が表れています。 この文章が書かれた時から「三十年」前といえば、O・K氏が法道院に所属したころです。理境坊とはなんの関係もありません。 理境坊開基の日秀師とも関係なければ指導教師小川御住職とも一切関係ないのです。 O・K氏が法道院で、指導教師御主管に背を向けて勝手なことばかりやっていた時代、それが妙観講の「草創期ともいうべき時期」なのだそうです。 どうして下野房日秀師あるいは小川只道御尊師の理境坊着任から話を始めないのでしょうか。O・K氏一派はそこへ、あとから流れ込んできただけではありませんか。 動画 https://www.youtube.com/watch?v=85ueOklFWBM&t=126s 「悪書」「誠心」でググると色々出てきます。 日蓮正宗の迷惑な勧誘(折伏)を一般常識で撃退しましょう。 日蓮聖人によれば「正しい法華経を実践すると 成仏の相(死後硬直が無い)現証が発生する」と説かれています。 日蓮正宗信徒は勧誘時に「日蓮正宗信徒の遺体は白く死後硬直が無いのを見た、 これは日蓮正宗のみが正しい証拠であり、他宗は死後硬直が有るので地獄に堕ちた証拠」と発言します。 また日蓮正宗寺院・法華講員のHPに日蓮正宗信徒には死後硬直が無い、難病が完治したなど妄想体験談が掲載されています。 皆さん確認して下さい、死後硬直無いと言う事は法医学を覆す出来事です。 日本医師会にも日蓮正宗のみに死後硬直が無いと言うエビデンス(証拠・根拠)は存在しません。 病院で処方される薬は、医学会においてエビデンス(数多くの比較試験で効能が実証)され承認・処方されます。 エビデンスに基づかない偽薬は処方されません。 勧誘を受けたら 「日蓮正宗と他宗の比較が必要です。仲間内の体験談で無く、日蓮正宗のみに死後硬直が無いと言うエビデンスを見せて下さい、 それまでは連絡をしないで下さい」と断りましょう。 法華講員は「私が見た」「医者が言っていた」などレベルの低い回答で逃げ出しますので、「それは偽薬です」と一笑しましょう。 医師学会の公的データが有るのか否かが大切です。 日蓮正宗住職、法華講員は大聖人様の成仏の相を信じていません。 本当に信じているなら本山を上げ命懸けでエビデンスを求めるでしょう。 医学会で認められれば日蓮正宗が正しい証明となるのですが、残念ながら成仏の相は偽物だからです。 宗教に関係なく死相は誰も穏やかです。「日蓮正宗だけ」は無知です。 コピペ拡散希望です。 悪書「誠心」を破す http://www.lichnoye.mesyats.phd21.com/joshin/01.htm **************************************** p140 「他人の指導を求めてはならない、自分の言うことだけ聞きなさい」という心情、これは悪道に墜ちる元となる、ということであります。 「自分に指導を求めるように」という発言を時おり耳にすることがありますが、そもそも、そういう言葉を使える感覚というものが、どうにも理解できません。それは思い上がりであります。 それはともかくとして、「自分が面倒をみている人は、他の人の指導を受けてはならない。」これは一見、筋道を通しているように聞こえるのですが、その心のどこかに、やはり、面白くない、なぜ自分を尊敬しないのか、というような名聞名利が混じっていることが多いものです。 **************************************** これはお笑いコントの原稿なのでしょうか? まるで泥棒が「盗みはいけない」とお説教しているようなものではありませんか。喧嘩に明け暮れている人間が「暴力はいけない」と言っているようなものではありませんか。どこかの新喜劇でそういうギャグを見たことがあるような気がします。 「妙観講の指導(つまりO・K氏の指導)だけを聞きなさい。他の寺院、講中の話を聞いたら師弟子の筋目からはずれるから成仏は叶わない」 いつもいつもそう言っているのは、どこの誰でしょうか。 そのため妙観講員は、他寺院講中の人々と口をきくことすらも避けようとし、一種独特の閉鎖講中となってしまっているのです(67世日顕上人が仰せの通り『独特の講中』です)。 そうさせたのは誰でしょうか。 古くは法道院にいたときから「眷属のつながりこそ大事だ」と称して自分の折伏系統の人間だけを集めて、指導教師御主管に無断で勝手に会合をやっていたではありませんか。まるで「折伏親である自分の指導だけを聞け」と言わんばかりに。 一体どういうつもりでこの原稿を書いているのか、そのO・K氏の頭の中をのぞいてみたくなります、O・K氏の日頃の態度からして自己批判のつもりで書いているとはどうも思えないし、とても常人には理解できません。 お笑いコントの画像入り動画 https://www.youtube.com/watch?v=4L0pF-EsM38&t=335s http://www.lichnoye.mesyats.phd21.com/joshin/01.htm 誤解を恐れず言うならば、妙観講の人数がそこそこ増えたのは、O・K氏の人間性のゆえです。 たしかにO・K氏には他人を惹きつける人間的魅力があります。もちろん異性からも。 しかしそれは入信以前の不良少年のリーダーだったころから備わっていたものなのです。大勢の不良少年たちを惹きつけて盛り場を闊歩していたころから、備わっていたものだったのでした。 つまり、決して正しい信心によって培われたものではありません。おそらく過去世の業によるものでしょう。善業か悪業かはわかりませんが。 そしてこういうものならば、そこそこ人数を抱えている邪宗教の教祖ならば、誰もが持ち合わせているものです。そうでなければ少なからぬ人間が集まってくるはずがないでしょう。 妙観講員の悲劇の一つに、このO・K氏の特質を「正しい信心によって培われたもの」と錯覚していることがあります。その錯覚によって、O・K氏に魅せられている自分自身の陶酔的感情を、「これこそ信心の歓喜だ」と正当化しているのです。 思い込みはもうやめましょう。O・K氏の人間的魅力は、信心の正邪とは全く無関係です。そして妙観講員自身のO・K氏への心酔も、とうてい正しい信心とは言えません。 南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南 無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無 大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大 師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師 遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍 照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照 金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金 剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南 無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無 大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大 師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師 遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍 照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照 金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金 剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南 無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無 大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大 師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師 遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍 照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照 金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金 剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛南無大師遍照金剛 妙観講の悪書「誠心」を破す http://www.lichnoye.mesyats.phd21.com/joshin/01.htm ************************************************************* p13 これを読むとき、妙観講の講員は誰しも、これまで目にし耳にしてきた講中の方針や指導・在り方が、かくも徹底して大聖人以来御歴代上人の御教示に裏打ちされていたことに、あらためて驚き、感慨を深くすることであろう。 ************************************************************* 心ある者ならば、妙観講の言っていることとやっていることの矛盾に、改めて気づかされるでしょう。 そもそも当のO・K氏自身がこの本に書かれているもっともらしい理屈を全然実践してきていないのですから話になりません。このことについては追い追い、述べてゆきます。 動画 https://www.youtube.com/watch?v=85ueOklFWBM&t=126s 「悪書」「誠心」でググると色々出てきます。 悪書「誠心」を破す http://www.lichnoye.mesyats.phd21.com/joshin/01.htm ******************************************************************** p19 一人ひとりの信徒が、個々にお寺に所属して、行きたい時にお寺に行って、御住職の法話を伺う、というふうに、ただバラバラにお寺に所属して、自分対御住職という関係だけで信心していく、というのが従来の檀家の姿であった、といえると思います。 これに対し妙観講においては、むろん、指導教師御住職をただ一人の小師と仰ぎつつ、さらに、その上で、講中役員を中心に、信頼と尊敬で結ばれた強固な講中組織を形成している、ということが、従来の古い形とは大いに異なっている点ではないか、と思うわけであります。 (略) たとえば、御住職に対し信徒としていかにお仕えするのか、また、どのように精神をもってお寺に御供養申し上げるべきか、これらはいったい誰が教えてくれるのでしょうか。 ******************************************************************** そういうO・K氏は誰から教わったのでしょうか。 実はO・K氏は、最初から指導教師を遠ざけていたのでした。 ただ一人の小師である指導教師を草創期から棚上げし、自分の思い通りになる講中役員を選び、推挙し、管長の認証が得られるように強要し続けてきたのです。 こんなことをやってきている人間からは、「御住職に対し信徒としていかにお仕えするのか」、学ぶべきものは何もない! そういうことを学ぶならばそれこそ、代々寺院を守ってきた古い根檀家から学ぶべきではないでしょうか。 そもそもO・K氏には前科があるではありませんか。自分の気に入らない指導教師のもとを飛び出してしまったという前科が! このこと一つだけでも、O・K氏から学ぶことはふさわしくないと言えるのです。 動画 https://www.youtube.com/watch?v=5YrJTu-x0mY 悪書「誠心」を破す http://www.lichnoye.mesyats.phd21.com/joshin/01.htm ********************************************************************* p66 異流儀となって脱落していった人たちの誤りというのは、”御住職や幹部を信じすぎたこと”ではなく、「本師−小師−講中」という筋道を弁えない、偏った師弟子の道を立てたところにこそ、あったのであります。 ********************************************************************* 講中幹部を信じすぎるところにも信仰の逸脱は起こりえます。 創価学会がまだ正当な信徒団体だったころにおいても、池田大作個人崇拝にはまっている学会員には、たとえ猊下誹謗・御宗門誹謗をせずとも、罰の現証が生じたことは、O・K氏自身、認めているところです。 御宗門を誹謗さえしなければいいというものではありません。せっかく正しい宗教についていても、その信仰の中に個人を絶対視する思想が混入しているならば、「うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんがごと」き結果になるのです。 妙観講でいう在家同士の疑似師弟関係は、まさに「偏った師弟子の道」そのものです。 動画 https://www.youtube.com/watch?v=CV8t-l26wcw 悪書「誠心」を破す http://www.lichnoye.mesyats.phd21.com/joshin/01.htm ******************************************************************** p68 十、信心強き者を師と思い 「今は、左衛門殿を師とせさせ給ひて、法華経へみちびかれされ給い候へ」 ******************************************************************** 在家同士の師弟関係について大聖人が述べられた、唯一の!文証です。 妙観講ではこの御文を根拠として、他の法華講では見られない「独特」の在家同士の疑似師弟関係ごときものを立てています。 しかし、大聖人のご真意はどうだったでしょうか? 「今は」とあることからわかるように、これはいわば方便と拝するべきでしょう。「常時」ではないのです。 さらにまた御在世当時は、今日と異なり、御僧侶から指導を受けるのも難しい状況があったことでしょう。 (もちろん妙観講のように、わざと御僧侶から指導を受けるのを難しい状況にしていたわけではない)。 信心の先輩に絶対服従せよなどと、そんな意味ではないのです。 動画 https://www.youtube.com/watch?v=CV8t-l26wcw 悪書「誠心」を破す http://www.lichnoye.mesyats.phd21.com/joshin/01.htm ******************************************************************** p68 十、信心強き者を師と思い 「今は、左衛門殿を師とせさせ給ひて、法華経へみちびかれされ給い候へ」 ******************************************************************** 在家同士の師弟関係について大聖人が述べられた、唯一の!文証です。 妙観講ではこの御文を根拠として、他の法華講では見られない「独特」の在家同士の疑似師弟関係ごときものを立てています。 しかし、大聖人のご真意はどうだったでしょうか? 「今は」とあることからわかるように、これはいわば方便と拝するべきでしょう。「常時」ではないのです。 さらにまた御在世当時は、今日と異なり、御僧侶から指導を受けるのも難しい状況があったことでしょう。 (もちろん妙観講のように、わざと御僧侶から指導を受けるのを難しい状況にしていたわけではない)。 信心の先輩に絶対服従せよなどと、そんな意味ではないのです。 動画 https://www.youtube.com/watch?v=CV8t-l26wcw 悪書「誠心」を破す http://www.lichnoye.mesyats.phd21.com/joshin/01.htm ************************************************************** p81 今日に至るまでの約三十年間、ただの一度たりとも、妙観講が教義の逸脱を起こしたり、宗門に造反するなどということは、なかったはずです。この現実をよく御覧になって、これ以上の陰口は、もう、おやめいただきたいものであります。 ************************************************************** 「教義の逸脱」ならばもうすでに充分に起こしているではありませんか。 先輩の指導に沿うことが手段ではなくて目的となってしまっている逆転倒錯信仰などは、その最たるものです。 そしてまたここでも「約三十年間」などといった表現をし、法道院で勝手な信心していた時期のことを妙観講の歴史の中に含めてしまっています。 理境坊にも理境坊御住職にも、なんの関係もない時代だというのに。 こんな心根だから「教義の逸脱を起こ」すのです。 「宗門に造反」せずとも、宗門全体を自分の意のままにしようとしているではありませんか。 こんな悪書を出版して、とうとう自らも認めざるをえなくなった「独特の講中体制」を正当化し、他の法華講にも押しつけようとしているではありませんか。 「慧妙」などという下劣新聞を発行して、世間にはそれが御宗門の公式機関紙であるかのように錯覚され、御宗門全体に恥をかかせているではありませんか。 「この現実をよく」見れば、いやでも批判せざるをえないのです。 動画 https://www.youtube.com/watch?v=CV8t-l26wcw&t=28s 悪書「誠心」を破す http://www.lichnoye.mesyats.phd21.com/joshin/01.htm ****************************************************************************************** p83 十二、信徒による指導 (略) 御在世においても、御僧侶から法門を学び、それを他の信徒に伝え指導してゆく触れ頭という立場の信徒がおり、それが、今日の法華講において講頭などの役員を立てる原型であった、といわれています。 日蓮大聖人が御書を認め、その御書を手続きの小師である御僧侶が、信徒の中でも信行学に抜きんでた触れ頭に教え、触れ頭がそれを後続の多くの人達に伝え教えていくーー、つまり信徒による指導ということが、御在世においても行われていたわけです。当然、これは教義上の分々の指導を含むものであります。 ****************************************************************************************** また嘘を書いている。「原型であったといわれています」だなんて、それはO・K氏が言っているだけです。 実際には触れ頭とは、御書の保管役および伝達係に過ぎなかったのです。信心の厚薄よりもむしろ、御書を安全に保管することができる経済力と社会的地位を兼ね備えた者が任ぜられていたのです。 そしてまた、これらの者が信徒の指導育成を全面的に任せられたなどという証拠はどこにもない! 六十六世日達上人は「法門触頭は今の宗務院の如き役割」と明確に断定されています。 (日達上人全集第1輯第5巻P630)。 御書は今日においては総本山に御本尊とともに格護せられているし、猊下の御指南も総本山内にある宗務院から全国に発信されるのですから、当然といえましょう。 法門触れ頭についての詳細は、こちらで述べています。是非お読みください! 「これは教義上の分々の指導を含むものであります」。すべてO・K氏の空想に過ぎず、まったく話になりません。 おい、馬鹿晃大小便くん! 今度はここで〆るから、来い! おらおらおらおら!!!!! おい、晃! なんでScript荒らしが来るのを承知で嫌がらせをするんだ? あ? 返事しろや? 返事だよ、返事!!!! おい! 法華経の行者は迫害されるからな。 この法門を申すに魔出来す。 魔競わずんば正法にあらず。 晃さんがネットで最初に始めたんだから ガンガレ 悪書「誠心」を破す http://www.lichnoye.mesyats.phd21.com/joshin/01.htm ************************************************************************ P98 この信頼・尊敬の心は、誉め讃えるという行為となって表れてきます。そして、信行学において勝れた人を、純真な心から讃嘆するならば、我が身の功徳もさらに増してくるのです。 ************************************************************************ 誉め讃える一番の対象は、当のO・K氏ご本人ということです。なぜなら妙観講で一番信心強盛であり、それ故の講頭職だということになっているからです。 つまり、O・K氏を讃えろというわけです。他の法華講においては講頭の信心を誉め称えよなどということは恥ずかしくて誰も言わないというのに、よくもヌケヌケとこんなことを言えたものです。 実際、妙観講の会合では、班長クラスの者が支区部長や支部長を讃え、さらにその支区部長や支部長が講頭のO・K氏を讃える、そんな話がメインです。御本尊様の話は付け足し程度にしか出ません。 会合で下の者に自分を讃えさせて、よくも恥ずかしげもなくみんなが正座している中、一人だけ椅子にふんぞり返っていられるものです。普通の人間だったら照れくさくていたたまれなくなるものでしょう。しかもその会合の原稿は、当のO・K氏自身が校正しているのです! 一体どういう神経をしているのでしょうか。 役職が下位であっても信行学が勝れていることは時として、あるものです。上級者が懈怠している同じ時間に、下級者が信心に励んでいるかもしれない、そういうことはまま、あることです。講員の誰かが真剣に唱題しているちょうど同じその時間、O・K氏は少年マンガ雑誌を読んでいるかもしれないではありませんか。 年がら年中、上の役職の者のほうが一方的に信行学に勝れているなんて決めつけられるものではありません。 O・K妙観講においてはこういった事実は全く無視されています。役職の上下がその人の人間としての価値をすべて決めつけてしまうのです。 じつに殺伐とした組織です。 会合で下の者に自分を讃えさせて、よくも恥ずかしげもなくみんなが正座している中、一人だけ椅子にふんぞり返っていられるものです。普通の人間だったら照れくさくていたたまれなくなるものでしょう。しかもその会合の原稿は、当のO・K氏自身が校正しているのです! 一体どういう神経をしているのでしょうか。 この当時はまだ都内法道院の法華講だったんだっけ 1970年代までの日蓮正宗法華講(顕正会も含む)を語ろう http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1644419847/ 妙観講の悪書「誠心」を破す http://www.lichnoye.mesyats.phd21.com/joshin/01.htm ***************************************************************************** p106〜108 十七、信心は一人ではできない (略) なぜ、一人信心ではいけないのかといえば、まず第一に、仏道修行を正しく成就していくためには、必ず正師を持たなければならないからです。正師を求め、正師の教えに従っていってこそ、正しく仏道を修することができるのです。 p110 十八、常に師の意に照らして 信心というものは、自分勝手に、自分なりの考えで行う、ということは間違いであり、やはり、どこまでも師の御意に照らして、自分の信仰の在り方は正しいのかどうか、ということを振り返りながら進めていかなくてはなりません。 ***************************************************************************** たびたび繰り返しになりますが、法道院で一人信心をしていたO・K氏にこんなことを述べる資格は無い! 法道院時代のことを振り返っての自己批判としてなら意味があるかもしれませんが、O・K氏にそんな謙虚な心根などないことは明らかです。 それにもかかわらずこんなことを書いている目的はただひとつ、それは、講員を自分に従わせるためなのです。 「正師」「正師」「師」「師」と書いていますが、現実には妙観講員は指導教師にめったに会えない体制となっています。 そしてそのかわりに、O・K氏はじめ講中幹部が「御住職から委されている」と自称して指導教師づらして講員に対応することとなっています。 文中の「正師」だの「師」だのいう言葉はじつは、O・K氏自身を指しているのです。 全くもって、りつ然とさせられる厚かましさではありませんか。 悪書「誠心」を破す http://www.lichnoye.mesyats.phd21.com/joshin/01.htm ********************************************************* p117〜118 二十、勝手に学ばず師伝せよ 仏法は、本師—小師—講中信徒という正しい筋目の中で、師から教えられることを学 んでいく、ということが大切です。(略)血脈相承を受けたる正師より「極理を師 伝」する、伝え教えていただく、これによって、初めて御書も正しく拝することがで きるのであります。 ********************************************************* O・K氏自身が法道院でこのことを全く実践していなかったのは言うまでもありま せんが、それにもかかわらずこんなことを述べているのは、O・K氏が認めた書籍以 外を講員に読ませないようにする、情報遮断の目的もあるのです。 講員にO・K氏指定外の書籍を読まれるとO・K氏の間違いに気づかれるかもしれ ないから、それを避けるため、こんな理屈で講員を情報遮断しているのです。 講員の目と耳を、O・K発の情報だけに閉じ込めているのです。 妙観講の写真を見た無宗教ホモが「何コイツら?気持ち悪い~見事にブスだらけだわ」 無宗教ホモにまでバカにされてる 悪書「誠心」を破す http://www.lichnoye.mesyats.phd21.com/joshin/01.htm *********************************************************** p124 波木井実長は、法門のこと、仏法上のことについては大聖人の御指南に従うけれども、生活上のことは、自分の考えで好きなようにする、という姿勢だったようで、この訴訟についても、大聖人の仰せをあえて無視し、不本意な結果を招いてしまったのです。 *********************************************************** 大聖人は御本仏です。御本仏であるから森羅万象すべての事物について正しい御指南を下すことができるのです。だからこれに背いたら波木井のように不本意な結果となるのです。 しかし、御法主上人猊下であっても御住職であっても、御本仏ではないのですから同じことができるというものではありません。 ましてやO・K氏ごときに大聖人と同じことが許されるわけないではありませんか。 他人からの生活上のアドバイスは、あくまで参考にすぎない。決めるのは自分自身です。 *********************************************************** p124〜125 自分は信心上の指導は聞くけれども、生活上のことは好きにさせてもらう、絶対に何が何でも変えないぞ、などという行き方をしていて、いくら所願満足の御祈念をお願いしても、また一日何時間唱題しても、その願いは思いどおりには叶わない、ということです。心しなくてはいけません。 *********************************************************** 心してはいけません。 O・K氏が行う生活上の指導を絶対正しいなどと思いこんだら、それはO・K絶対主義であり、そっちのほうが謗法です。 飽くまで一つの参考意見として聞くだけにすべきです。 在家信徒への絶対服従は、謗法です。 *********************************************************** p125 後輩の人達に、生活上のことを指導・アドバイスするときは、そのようにして自分が身に付けた、仏法上の道理の分々を示していくべきです。自分が何ら仏法の通りを弁えることなく、ただ、自分なりの人生観や考え方に基づき、「指導」などと称して、ああだ、こうだ、と後輩に教え指示することは、後輩の人達が迷惑しますので、よくよく自戒してください。 *********************************************************** ちゃんとわかっているではありませんか。 在家の先輩による生活上の「指導」には間違いもありえる。そのことをO・K氏自身も認めているわけです。 もちろんO・K氏自身も例外ではありません。 だからこそ、聞かされた側はそのあと自分自身でよく考える必要性があるのです。 「講頭がおっしゃったから」というだけのことで盲目的に従ったらどうなるかわかったものではありません。 病名:発達障害ASDのインチキキチガイイヌヤマが自供ス。『正直云って仏とは何かと問われても分かりません、公案が進んで無くよくわからないのです』 知障イヌヤマ談 ウソブクのよ透ってないのに、もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ! 40回も透ったら、初関を透る、じゃねーべ! イヌ自白調書:悟りとか分からねーし、知らねーし、悟ってねーわ來 ググるイヌヤマは常にシカトされ自己存在の確認要求哀願奴隷。 イヌが鳴く:なんで 宗教板って まともなの俺だけなんだ?みんな間違ってばっか、俺だけが正しい。みんな間違ってるのに何で正しい事を言ってる俺は否定ばっかりされるんだ?みんな俺のことを 凄いなと認めろよ。 俺は自分より優れた奴が ゆるせないんだよ(脅迫性人格障害の特徴) ナント妻子と月一、金曜夜7時からのお坐り会、茶菓(ちゃか)代ワンコインで、これが研究会出席虚勢のトマヌケ犬は、誰からも疎まれる。 イヌヤマは月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証。命取りの摂心に親子で100回参加と虚飾ス。 5ちゃんねるの会話はバトル形式、馴れ合いを禁じる。ググるシッタカイヌヤマは、褒めてクレヨの哀願奴隷。相手を罵倒する悪口雑言の数々は外道イヌヤマへのリアル社会の絶対評価です。荒らしイヌヤマは問いに問いで返す脊髄反射の脳足りんで悟前(ごぜん)未悟(みご)、金魚ドジョウと救い難い。 新小岩の食業ドライバーイヌヤマとは法相宗(ほっそうしゅう)>奈良 興福寺(こうふくじ)前官長じっちゃんのお抱え運転手で食業ドライバーだったに過ぎず仏法からは門外漢だね。 だから、しったかぶる以外に存在承認欲求を満たすものは一切無い ① 荒らしイヌヤマは無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。シッタカイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれる。 ② 放置された廃人知障イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘う。ワケワカメ糞邪鬼イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け、完敗です。 ③ ;反撃はイヌの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。門前のヤセイヌにエサを投げ与えぬ事。 ④ ;障碍者基礎年金受給者イヌヤマが枯死するまで孤独に暴れさせゴミが溜まったら削除。 多数者を演じ孤立してないと強弁し自作自演のおぞましい日々の無脊椎動物イヌヤマは成り済まし多重人格者で要治療対象者。 虚言癖病:鬼子鬼和尚小鬼安堂イヌヤマ軍曹麦屁魔女エロ和尚アカベイ偽和尚野良雀は異名同一人物がキャラ変で世をたばかる極悪人。 ***************************************************************** p136〜137 二十四、名聞名利を堅く戒めよう 仏道修行のなかに、名聞名利に執着する心を持ち込んではいけません。 (略) だいたい名誉欲とか慢心というものの本質は、いまだ、たいしてわかってもいない者が、さも自分がたいした者であるかのように、自ら傲り昂ったり、あるいは、そのように周囲に見せかけようとする、じつに醜い、恥ずべき心根なのです。 ***************************************************************** 妙観講で一番名聞名利が強いのは、当のO・K氏自身ではありませんか。 講中の会合で、「さも自分がたいした者であるかのように自ら傲り昂ったり」、支部長や支区部長などを使ってO・K氏自身を讃えるような“信心の琴線に触れよう ”などと題する発表をさせ、「そのように周囲に見せかけようとする」、いつもいつもO・K氏自身がやっていることではありませんか。 >>39 ブスだか美人だか知らないけど見事に若者がいない 妙観講のご尊顔を某新聞で見たけど、(犯罪行為した時の報道) 連中の放つオーラが凄まじくキモかった記憶が それが致命的弱点だってことにいつになったら気付くんだろうね そ~ね~ 妙観講=お荷物軍団 って宗門の中でも大評判だし~ >>7 不良少年のリーダーの魅力なら信じられます。 池田哲学だって日蓮正宗で培われただけ ではなく、入信前にベルグソンとか西洋哲学の 勉強をして仲間と人生論を語り合っていた ときに培われたものです。 不良少年のリーダーなら信じないけど 一個の人物だと認めますね。 日蓮正宗法華講大講頭O.K様 ゲイバーやニューハーフの店は政治や宗教の話題はタブーでないのは、 政治家が政治利用目的で来店したり、 海外のLGBT事情が宗教絡みだからって理由 そこで聞いたのが、 「妙観講って見事にブス揃いよね」 「あんなブスじゃいくらブス専でも相手されないわよ。モノには限度があるわ」 だそ~です 六本木ラキラキは創価だらけ(ってよりも必ず入信させられる) そこの従業員に妙観講のメンバーの写真を見せてみたいかも? どんな反応すっかな? ニューハーフの反応だし興味深い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる