一休宗純は67歳の時、「自戒集」にて
「寛正二年六月十六日、大燈国師の頂相(肖像画)を本寺へかへして念仏宗となる」と宣言した。
 この年11月には蓮如の勤めた親鸞の200回忌に出席し、蓮如に注文していた親鸞の肖像画を酬恩庵へ持ち帰って
「末世相応の心を」と題し、「襟巻の あたたかそうな黒坊主 こやつが法は 天下一なり」と親鸞について詩んでいる。
「九年まで 座禅するこそ 無益なれ
 まことの時は 弥陀の一声」(一休、達磨大師と阿弥陀仏について)
一休は晩年87歳の時にまとめた「狂雲集」にも
「前年、大燈国師の頂相を賜うことをかたじけのうす。予今衣をあらためて浄土宗に入る。故にここに栖雲老和尚にかえし奉る」
「禅門の最上乗を離却し、衣をあらたむ、浄土の一宗僧。
みだりに如意・霊山の衆(大徳寺の如意庵と霊山徳禅寺のこと)となって嘆息す、多年、大燈をくらませしことを」
と詠んでいる。
 また弟子の宗臨に、自分の49日法要には山科本願寺の蓮如に法要を頼むよう遺言している。
 尚、法要を頼まれた蓮如は「私は生きている間に一休さんを導き終えたのだから、死後にわざわざ念仏の功徳にたよる必要はない」と答えたという。