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「不合理だからこそ我信ず」について思う事

「僕」と「恋人」は「御互い」に「別人」なので
「僕の論理的筋」は「恋人には通用しない」為に
「僕」にとって「恋人」は「不合理」である。

「不合理」であるが故に、
「僕」と「恋人」は「御互い」に「対立し衝突」
致します。

けど、
「対立し衝突する事」が「和解により解消された」
なら「御互いに一つになった様」となり「合理」となっていきます。
(「僕と彼女」の「論理的筋の一致」によって)

それは、
「互いに別人」でありながら「一人の人」として。
(「おしどり夫婦」かの様に)

今は「不合理」であるからこそ、
将来「和解による合理」となる「期待が持てる」
のです。

「期待が持てる」からこそ「希望」となるのです。

それ故に「信じる事」が出来るのです。

ただし、
「和解を齎す方が居られたなら」ですが・・・


・・・ただの思う所に於いての独り言(落書き)です。

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